西式健康法

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背腹運動代用は可能?

約37分
背腹運動代用は可能?

 外国から寄せられた質問

  背腹運動代用は可能?

まず、質問の内容からご紹介します。

内容は、海外居住の外国人から、『背腹運動の代用として、電動金魚運動マシンにかかりながら、腹部太陽叢上にバイブレータを載せ振動を与えれば、期待する背腹運動の効果が得られるのではないか?』というものです。
結論から言ってしまうと、それでは代用にはなりませんが、西式の歴史と申し上げるべきか、理論的な変遷(混乱?)とも関わる大変重要な内容であり、お一人のための単なる返信として記述するのではもったいないし、労力に見合いません。
というわけで、最終的には概略を英語に翻訳しなければならないかもしれませんが、どの道、まず日本語で執筆する必要がありますから、そのあたりのことについてまとめました。

背腹運動の目的
まず、代用になるかどうか?という問題について論じる場合には、本来の背腹運動の目的を明確にする必要があります。
ところが、これが、時代によって変遷している部分があるという事実が、混乱を生じさせる原因となっています。
当初、西式概略発表時点、和暦ですと大正8年(1920年、米国留学帰国年)から昭和5年(1930年)、あるいは昭和10年(1935年)くらいまでということになりますが、西式健康法という名称も付いていなかった頃は、背腹運動の目的は脊椎の不整(当時は亜脱臼と表現)の矯正、修正でした。
当時、この背腹運動のことは『西式強健術』と称していましたが、この名称は実業之日本社が月刊『実業之日本』に連載するに当たって命名したようです。
左右揺振によって、物理的に脊柱の歪みを正し、同時に腹部運動をしなければいけない理由として、消化管内の糞便停留による残滓(ざんし)を常に掃除するため、としています。
そして、その根拠として、動物は歩くたびに背骨をうねらせ、腹部を上げ下げ(膨らませたり引っ込めたり)しているのであって、同時に行うことが何としても必要である。
腸の運動は要するに自然の内臓療法であって、各臓器の血液循環を促しめる毛管作用を旺盛にならしめて、毒素の代謝作用を完全に行なわしむることを目的とする、と説明されています。
ある面、純粋に科学的な思考というより、動物をよく観察してその構造や各々器官の目的を類推し、それに対してやや科学的な視点から考察を加えた、といったところでしょうか。
当初は、腹部運動の目的に関しても、筋肉運動の結果として生ずる交感神経亢進を腹部運動によって抑制させる、ということについても述べられてはおりませんでした。
交感、副交感神経の亢進状態がそろい、つまり、共に亢進した結果、それなりに拮抗することによって中庸の状態となりますが、その状態では、極めて自己暗示が入りやすい状態(西式的に表現すれば『潜在意識に入りやすい』状態)となります。
その状態で「良くなる、能くなる、善くなる」という言葉を念じ、あるいは唱えることによって、無用な交感神経亢進状態を鎮め、回避し、病気を治すために有利な副交感神経亢進状態に導く、というのが今日の主流の解釈ですが、西式公表当初は、そのような解説はなされてはいなかったということです。

 酸塩基平衡
 ところが、この説明がある時期に改められたと言うべきなのか、判断に迷うところですが、文献的には昭和11年(1936年)に出版された、『西式健康法』(Nishi System of Health Engineering)からということになりますが、その主旨は変わってしまいます。
背腹運動の目的から脊椎整正、矯正という文言が、一時的ということにはなるのですが、消えてしまいます。
そして、背腹運動の目的は、「体液の酸塩基平衡を達成するため」となってしまうのです。
そのターニングポイント、つまり、背腹運動の主たる目的が脊柱のゆがみ矯正から、酸塩基平衡の達成と、同時に交感、副交感の両自律神経の調整というように変更されたのは、昭和9年(1934年)に出版された『アチドーシスとアルカロージス』(西勝造著)という単行本の出版以降のことであると考えられます。
『アチドーシスとアルカロージス』(ACIDOSIS AND ALKALOSIS)の著者前書きには
 S.グラハム氏、N.モーリス氏共著(Stanley Graham & Noah Morris共にM.D)の『アチドーシスとアルカロージス』という新著を得た。卓越した内容の本であるから、ここにおいて該書を基とし、一書をまとめることとした。むしろ、訳述とすべきであろうが、必ずしも原本どおりでもなく、取捨すべて私の自由とした点により、著とした所以である』と記されています。(下線は筆者)
この原著『ACIDOSIS AND ALKALOSIS』は、英国で昭和8年(1933年)に発行された書籍であり、実際に学祖が日本で手にしたのは翌昭和9年(1934年)か10年(1935年)ということになろうかと思いますが、学祖がこの本を読んだことによって、大きな影響を受けたであろうことは間違いないものと思われます。
そして、その影響が、前出の昭和11年発行の『西式健康法』(Nishi System of Health Engineering)に反映されたのでしょう。
ところで、なぜ、『西式健康法』にはわざわざ『Nishi System of Health Engineering』という英語の題名が付いているのかと言いますと、本書はまず欧米向けに英語で執筆したもので、その後、その日本語訳本を出版することになったからである、と著者自ら説明しています。
なお、ここで言っているところの「アチドーシスとアルカロージス」の内容は、多くの方が認識している「酸性食品、アルカリ性食品」の問題とはまったく異なる視点であって、今日の生理学においても、ほぼ妥当であろうとされるような、純粋に科学、生理学的な観点からの人体体液の酸・アルカリに関する内容を解説、執筆した文献です。
 酸性食品・アルカリ性食品という1900年前後にグスタフ・ブンゲという学者が提唱した学説については、代表ブログ 011 『自律神経と酸塩基平衡』をご参照ください。
 なお、日本語版Wikipediaでは、当初、「酸性食品、アルカリ性食品」という分類法は、極めていかがわしい、怪しい理論であるという趣旨の解説であり、後半に、やや肯定的な見解も掲載されている、といった体裁でしたが、いつの間にか、誰かの手によって、ほぼ、全面的に肯定論に書き換えられてしまいました。
それでも、念のために申し上げておきますが、科学的には完全な「トンデモ理論」です。
世間的にマイナーなテーマの場合には、うっかりしていると、巧妙に改変されたフェイク情報がWikipedia にも載ってしまうことがある、ということですので注意が必要です。
話を戻しますが、その後、学祖の文献では、背腹運動の目的について、脊柱整正と酸塩基平衡、どちらに重きが置かれているかということを調べてみましょう。
昭和23年に執筆されたと考えられる、『原本・西式健康読本』では、折衷案的表現となっています。
主たる目的は、脊柱不整の矯正であるが、左右揺振のみだと酸過剰になると同時に交感神経の過剰緊張を惹起するから、必ず同時に腹部運動を実施せねばならない、という主張です。私の解釈もほぼこの解釈です。
この内容は、その翌年に発行された『西医学・健康原理実践宝典』においても踏襲され、ほぼ同じ内容となっています。
また、昭和28年に初版が発行された『無病長生健康法』(実業之日本社)では、あくまで脊柱整正法であるとしながらも、左右揺振、腹部運動は各々酸過剰(左右揺振)、アルカリ過剰(腹部運動)となるから、必ず同時に実施すべし、という説明をしています。
無病長生健康法は、『西式強健術と触手療法』(現在、たにぐち書店より復刻発行されている)を昭和5年に発行した(西式健康法最初の単行本)実業之日本社によって出版されたものであり、『西式強健術と触手療法』の内容は、月刊『実業の日本』に連載された学祖の連載記事でした。
そういう事情であるからかどうか、つまり、実業之日本社としても、理論、解説内容の追加、変更に合わせた形で、『無病長生健康法』では付け加えられた、ということになります。
また、『西式強健術と触手療法』の編者(実業之日本社、編集担当社員)による『はしがき』には次のように記されています。
 「30余年間、常に国民保健に貢献してきた吾が実業之日本社が、ひとたび本強健術を掲載するや、満天下の読者諸君の間に一大センセーションが惹き起こされ、更に単行本としての出版の声は各所に嵐のごとくあげられた。かかる白熱的要求に応えるため、西氏は『実業の日本』誌上に掲載されたる原稿に訂正増補を加えて世に贈る心組みであるが、繁激なる職務と各地よりの宣伝講演に引き回され、遺憾ながら、未だ完成するに至らない。」
 ということで、単行本出版にはその時点(昭和5年=1930年)では、学祖自身内容的に十分にまとまっていない、満足していない内容も含まれていたのでしょう、その時点では単行本出版にあまり積極的ではなかったようなのです。
実業之日本社では、さらに続けて、
「そのため、熱烈なる愛読者諸君よりの出版催促の追求日々猛烈となり、本社もまた、かかる愛読者の熱望を座視するに忍びず、ここに『実業の日本』誌上に掲載せられたる原稿を整理し、上梓することとなったのである。」
と説明しています。『西式強健術と触手療法』の内容がその当時(昭和4~5年)の学祖の最新の考えとは、すでにいくらかの差異が生じていた、ということを示しています。
なお、これは宣伝のための大げさな表現ではありませんで、私がこの原稿を執筆するにあたって、参考にしている現物の「西式強健術と触手療法」は昭和10年9月に印刷された、第209版です。
聞いた話によりますと、今日のように、ある程度売れそうな本であるとか、当初から大量の予約注文が入るようだと、最初から数万部あるいは十万部単位での印刷が行われることもあるようですが、当時はどんなに売れても1回当たりの印刷部数は数千冊ずつであったようです。
それにしても、トータルでは数十万部は売れたかと思われますので、当時としては天文学的な大ベストセラーであったと思われます。

 説明が変わってしまった原因
なぜ、そこまで極端に解説、主張が変化したのか?ということですが、どういう説明をすれば納得してもらえるのか、やはり米英と日本では異なるから、と考えたからという可能性が一番高いのではないかと思います 。
今日では、座禅といったような欧米人の感受性によるところの東洋的なもの、と言うべきか、否、それよりも異質なものと言った方が適切なのかもしれませんが、そういったものの方が、少なくとも、進歩的と言われている一部欧米人には熱烈に受け入れられやすく、評価もされています。
日本人の当時の常識的センスとして、座禅とか武道とか、東洋的な思想であるとか、伝統的なものに対しては、東洋では支持されても米英ではまったく評価されないであろう純科学的な感じが強い、酸・アルカリ論で説明をしたほうが欧米人には理解されやすい、支持されやすいであろうと考えたのではないか?ということです。
「酸・アルカリ論」は、当時の欧米においても、最新の生理学でありましたから、その生理学をベースに説明した方がより科学的と受け入れられ、理解されると考え、そうなれば欧米においても実践する人が多くなるのではないか?と、考えたのではないでしょうか。
「アチドーシスとアルカロージス」で表されているような内容、考え方は、当時からすれば、今日の最新ゲノム解析にも匹敵するような最新の理論であったと思われます。
学祖にしてみれば、どのような説明であろうと、とにかく、『背腹運動』が自分を含めた多くの人々に絶大な効果があったことは間違いないから、とにかく、実践さえしてくれれば多くの人が健康になれる、即ち、幸福に近づくこができると考えたことでしょうし、あるいは、どちらの説明のほうが説得力があるのか試してみたかった、ということであったのかもしれません。
どういった説明であっても、仮に純科学的には将来否定される説明であったとしても、確実に効果は得られるのであるから、多くの人が信じ、実践さえしてくれるならば、理屈の正誤はどうでも良いとも言えるからです。
仏教における『便法』として、より説得力のある理論が語り継がれれば良い、と考えたのかもしれません。
最終的に、学祖自身はどちらの説の方が真実に近いと考えていたか、あるいは私の解釈と同じ折衷案が正しいと考えていたのかは、残念ながら今日では知る由もありませんが、わたくしの説明は、最新生理学上の観点からしても、否定される余地のないものと考えております。

 講義講習ではどうであったか?
 話の内容としては少し戻ることになりますが、学祖から直接西式を学んだような方々の中でも比較的新しい方々、と言っても、多くは明治末期から昭和初期ころまでにお生まれになったような、現在ではご存命の方のはるかに少ないような方々のことです。
西式について、もっぱら終戦後に学祖の講義を受けたことがある、講演会をしばしば聞いたこともあるし、それなりに文献も読んでいる、という方々のことなのですが、そういった方々は,酸・アルカリ平衡達成が目的と理解している方々の方が多かったという印象はあります。
一方で、純生理学的、生化学的に考えると、体液を酸性化、アルカリ性化させようとする要素は、ある意味きわめて単純です。
ホメオスタシス(homeostasis)とか「恒常性」と称されますが、体液pHは血中のミネラルイオン濃度と呼吸による血中二酸化炭素濃度、さらには運動によって生じる乳酸等によって決まってきますが、pH自体は常に一定になるように微妙に調整されています。
酸塩基平衡が偏りそうになると、尿中への排出成分を変えたり、極端な場合には嘔吐して、塩酸である胃酸を一気に大量に排出したり、骨中のカルシウムをイオン化して血中に放出したりいろいろな方法を使って至適pHを維持します。
学祖も著書『西式健康法』(Nishi System of Health Engineering)のなかで、「スポーツ、ラジオ体操の如き、ただ筋肉運動を行うものは体液を酸性化させ」であるとか、「静座法、腹式呼吸法、深呼吸法などは即ち血液及び組織液をしてアルカリ性に導くと言わねばならない」とは述べていますが、食品中の酸アルカリに関しては、
身体及びその体液の反応が、不変の状態に保たれざる限り、正常なる生命を保持することはできない。ここにおいて、この状態を満足させるために、体液外に含まれるアルカリ及び酸の調整が絶対に必要となるのである。何となれば、生理的代謝過程は炭酸のような酸を生成し、我々の摂取する食物は種々な量の酸とアルカリを含有しているからである
という記述のみです。
念のために補足しておきますと、ここで言う『我々の摂取する食物は種々な量の酸とアルカリを含有』という言葉の意味は、ブンゲ博士の酸性食品、アルカリ性食品という分類法によるものではないと考えられます。
例えば、梅干には相当量のクエン酸とリンゴ酸が含まれている、ということを言っているのであって、ブンゲ博士の分類法によるところの、「梅干はアルカリ性食品」といったようなことを言っている訳ではありません。
また、万一にも「アチドーシス」「アルカローシス」といった、実際に体液(血液を含む体内水分)のpHが偏るようなことになれば、それは現代医学的にも深刻かつ重大な事態であって、巷で言われているようなアルカリ性食品や酸性食品のバランスで調整、などというレベルの話ではありませんし、そういった方法ではまったく対処不能です。
学祖の文献では、酸性食品、アルカリ性食品の摂取割合によって酸・アルカリを調整するという手法については、まったく推奨したことはないと思いますし、紹介すらしていないと思われるのですが、一部の西式指導者の方々の中にも、『梅干しはアルカリ性食品』といったようなブンゲ博士の酸性食品、アルカリ性食品理論と混同している方も少なくないようです。
ただ、単行本にはそのような記述はまったく見当たらないのですが、月刊誌の記事上では「アルカリ性の野菜を摂る」といった表現も使われたことがありますので、私の申し上げたことが100%学祖の考え、とまでは言い難い面もあります。
もっとも、仮に科学的な事実とは異なっていたとしても、例えば、とにかくあらゆる面から生野菜を十分に摂取することは大いに実践すべきことですから、別にアルカリ性食品だから食べなさい、ではなくても、ほとんどの人にとって良いことであることは間違いありません。
さらに、これに陰陽理論が重なってくると話はもっとややこしくなってしまいます。
とにかく実践する気になってくれれば、能書きはどうでも良い、と言えばどうでも良いとは言えます。
唯一問題となるのは、酸性、アルカリ性食品分類に基づく食べ物の種類調整をするだけでも、十分に健康になれると勘違いしてしまう人も出てしまう、ということが最大の問題でしょう。
食べ物の種類をちょっと工夫するだけで、健康になれるのだとしたら、確かにこんなに楽で手軽で、ありがたいことはありません。
面倒な運動療法の実践も、温冷浴も何も要らないということになれば、飛びつきたくなる人が出ることも解らないではないのですが、そんなに簡単なものであるはずがありません。
ただ、ブンゲ博士の理論は、一部食品業界の方々にとってはとても都合の良い、ありがたい「トンデモ理論」ですから、今日でも、未だに宣伝・広告、あるいは出版物の中でも受け継がれてしまっています。困ったことですが。

酸・アルカリ論の実際
私が申し上げているのは、食物を適当に、賢く選択すれば、後は不要といったような偏った極論のことを問題にしているのであって、その他要素における酸・アルカリ論、自律神経論を否定しているわけではまったくありませんので、くどいようですが絶対に誤解しないでいただきいと思います。
例えば、高い山に上がれば空気が薄くなって、酸素量は減少しますが、呼吸数が増加して血中の二酸化炭素濃度も低下します。
体液はややアルカリ性になる傾向が出るということで、それは二酸化炭素という体液の酸性要素物質が減少することによります。
血液検査を実施しても、実際のアルカリ度が明確に上がるわけではありません。いくらかは変動している可能性はないとは言えませんが、いろいろな要素が絡んでいますし、恒常性によって直ちに補正されることになりますから、それが高度差によって生じた変化かどうかの判定すら、実際は困難というレベルの話しです。
例えば、普段は海抜数十メートルといった平地で暮らしている人が、メキシコシティ(標高約2,300m)に観光で行ったりすると、この現象が起こります。
体液のアルカリ化傾向が出るということなのですが、それではこのときに俗に言う酸性食品と称する肉を大食したり深酒をすれば解決する、といった間違った理解はしないで欲しい、ということを申し上げています。
それでも、酸性度の強いレモン果汁のようなものを相当量飲用すれば、高度差によるアルカリ化をいくらか中和できる可能性がないとも言い切れません。
だからと言って、飲用による一時的な酸性物の供給と、順応するまでに数日を要するような、気圧低下環境における継続的、持続的なアルカリ化要素とを拮抗させるということは困難であろうと思われます。

自律神経と酸・アルカリ
 そして、ここからが一番重要なことですが、酸・アルカリ分類というのは、自律神経亢進、興奮状態と実質上連動しているということです。
つまり、酸性過剰傾向、といっても現代医学で言うところの病態としての「アチドージス」とは明確に異なるのですが、そういった状態では交感神経緊張が勝った状態ですし、アルカリ過剰傾向(もちろんこれも「アルカローシス」と呼ばれる顕著な病的状態ではない)は、副交感神経緊張が優位な状態と同義と考えて差し支えない、ということです。運動をすれば、乳酸、二酸化炭素が増加し、体液中の酸性成分が増えることになりますが、同時に心拍数上昇、動脈血管の収縮を起してやる必要が生じます。
つまり、交感神経亢進が必ず同時に生じる、連動するということです。
反対に休養して眠くなった時や、睡眠中は、細胞による要求血液、酸素量は最低水準となりますから、心拍数は最低水準、動脈血管も弛緩気味となって血圧も低下し、副交感神経が優位、亢進した状態になります。
それは、体液のアルカリ化を促したというより、生理的代謝(動物的生命活動と言っても良いと思われます)による、酸性物質産生量の減少と捉えたほうが正しい解釈であると思われます。
なお、言うまでもありませんが、副交感神経亢進時には消化管の働きは逆に活発化します。
そこで言えることは、この「酸・アルカリ問題」というものは、あくまで自律神経の問題として考察することによって、すべてがすっきり見えてくる、理解できるようになるし、解決法も見つけやすくなる、ということを申し上げています。(ブログ011「自律神経と酸塩基平衡」を参照のこと)

振動によって自律神経亢進を起こせるか?
 基本的な話はひとまずおいて、質問内容の検討に戻ります。
質問者は金魚運動によって交感神経を亢進させ、みぞおち部に電気マッサージャーを当てて副交感神経興奮、亢進を起こさせれば、背腹運動を実施したのと同じ状態となって、ほとんど苦労せずに背腹運動の効果(この場合、酸塩基平衡の達成)が得られる、と考えています。
なぜなら、前述のように背腹運動の目的として、『酸・アルカリの調和』的な説明も存在しているのは事実でして、そういった説明しかしていない文献だけを読んだ方であれば、そういった発想を抱くことも無理のないことなのです。
質問者は、どうも英語版の「Nishi System of Health Engineering」を入手して読んだようですから、前述のとおり、同書において背腹運動は「酸・アルカリ平衡の調整、達成のため」といった説明だけがなされていますから、そういった発想になってしまったものと考えられるのです。
学祖の著作物については、その著作権が切れる何年も前から、インターネット掲載も含めて、海外では何種類かの海賊版が出版されていまして、質問者もそういった文献を読んだのでしょう。
ヨーロッパ言語であれば、ほとんどの国の言語に翻訳する際には、日本語から翻訳するより、英語から翻訳する方がずっと簡単ですから、おそらく、欧米露で西式を知った方の多くは、「Nishi System of Health Engineering」や、それをベースに書き下ろされた第三者の著書、あるいはさらにそれらの翻訳本で読んだ方が圧倒的に多いものと類推されるのです。
話を戻して、質問者の質問というか提案によって、実際に効果が得られる可能性があるかどうかということを検討するために、各々の作用について考えてみます。

外部振動では副交感神経興奮は起せない
 まず、最初に、外部から振動を与えることによって、各々自律神経を興奮、亢進させることが出来るかということについて検討してみます。
結論から申し上げれば、少なくとも副交感神経に関しては、いくら外部から振動刺激を与えても、それによって副交感神経が亢進、興奮し、副交感神経系統全般に興奮が生じるということは考えられません。
まず、主たる理由ではありませんが、外部から振動を伝えられるような部位には副交感神経節、叢は存在しないことが指摘できます。
交感神経に関して言えば、外部からの振動、圧迫、温熱寒冷刺激によって興奮を生じさせることは十分に可能ですが、副交感神経については無理だということです。
何故なら、刺激によって強制的に身体を動かすようなことをすると、微振動であろうと強制的に筋肉運動させられる電動の自転車マシンであろうと、生きている限り身体はそれに抵抗する動きをしてしまいます。
外部からの不自然な強制的体動に対して、何の抵抗もしないとなると、関節だけでなく振動の強さ振幅によっては、臓器にも悪影響が出かねませんから、その過剰な動きを抑制、軽減するために、いやでも筋肉を使い抵抗する動きをしてしまいます。
つまり、血流量が自動的に増加(心拍数の増加)するわけですが、それは自動的に、同時に交感神経を興奮、亢進させることになります。
そういうわけで、交感神経に対しては、外力で無理やり体を動かすことによっても、自動的に亢進を起させることができるのですが、副交感神経はそうはならないということです。
副交感神経系を亢進させる方法はいくつかありますが、そのひとつは例えば瞑想のように、訓練によって覚醒時であっても副交感神経亢進状態に誘引する方法です。
ただし、これは禅僧、ヨーガの達人レベルの精神コントロールができる必要があるのではないかと思います。
一方で、どなたでも、一切の修練、訓練をしなくても容易に副交感神経亢進状態を得られる方法が消化管を働かすことなのです。食物を食べ、小腸での消化吸収が始まると自然と眠くなってくるようにです。
繰り返しますが、一般人が副交感神経系を亢進させる唯一の方法は、消化管が働かざるを得ない状況にしてやる以外にないと考えられるのです。

太陽叢とは?
 次にストレートに内容を引き継ぐ話ではないのですが、『太陽叢』についても、検討、理解することが重要です。『太陽叢』という用語は、『西式強健術と触手療法』にはまったく出てきませんが、『西式健康法』(「Nishi System of Health Engineering」)では、神経系統の解剖学的説明の中に出てきます。
戦後昭和24年初版が発行された、『西式健康読本』では次のような説明があります。
腹部の運動は、人体アルカリの調整器官たる太陽叢(大人では臍の斜め上左約1寸の部にある)を刺激して、体液をアルカリ性とするものであるから、脊柱運動を無視して、腹部の運動のみを実行するときには、アルカリ過剰となり、内臓下垂症に陥り、胃潰瘍、胃がんなどの難病に悩むことは、従来の腹式呼吸実行者の経歴が、これを雄弁に物語っている。
と、述べています。
しかし、これらの記述の中にはいくつか事実と異なる内容が含まれているのです。
まず、『太陽叢』の位置ですが、これは『太陽神経叢』あるいは『腹腔神経叢』として有名な、英語では『Solar plexus』(ソーラー・プレクサス)と呼ばれる神経叢です。
この『Solar plexus』という言葉は、英語では鳩尾(みぞおち)の俗語として使われているくらいですから、正にみぞおちの位置であって、「臍の斜め上左約1寸(約2.5cm)」ではありません。
もちろん、太陽叢とソーラー・プレクサスは、言葉としては酷似していますが、別な組織、器官であるという解釈も有り得るのかなとは思います。
ちなみに、みぞおちに打撃を受けると、息ができないほどの苦痛を感じますが、これは、みぞおち奥の腹腔神経叢には多数の交感神経(神経叢)が配置されていて、痛覚も鋭敏であるためとされています。
また、この神経叢にはごく一部、副交感神経(迷走神経の分枝)も存在しますが、圧倒的に交感神経が主流である神経叢です。
学祖が晩年に執筆した「西医学健康座」の第1巻(昭和28年(1953)10月初版発行)において、やや詳しい記述が出てきます。それは、生理解剖学的にもその位置を除けば、ごく妥当な説明です。以下に転載します。
われわれの臍の左方1寸(約3cm)、更に7~8分(約2.1~2.4cm)上方のところを太陽叢と言っている。ここは表面部は交感神経が腹腔神経節を中心に神経叢をなしているところであり、内部は迷走神経が内臓神経叢をなしているところである。腹部に力を入れて、前方に押し出す運動即ち腹部運動は、太陽叢内部の迷走神経を興奮させることになるのである。
 私が多くの先輩西式研究者から聞かせていただいた話では、腹部運動は太陽叢という副交感神経叢を刺激して、副交感神経亢進作用を得る、ということであったと記憶しているのですが、少なくともこの「西医学健康講座」の記述では、そのあたりはやや異なってはいるものの、生理学的な説明としては正しい説明となっています。くどいようですが、位置を除けばです。
生理学的機能は正確に表現しているにもかかわらず、位置が異なるということに本当に不自然なのですが、それについては後述します。
学祖は、欧米の最新生理学、解剖学書を何冊も保有しておりましたし、最初に本格的な欧米の生理学、解剖書(当時として最新の)を入手したのは、大正7年(1919)を中心とした米国留学時代であったと思われますから、この位置に関する誤った記述は理解しがたいものがあります。
インド医学やヨーガなどでは、気の出入り口というのか、エネルギーの出入り口といった解説も見受けられますが、そのようなポイント「チャクラ」と呼んでいます。
そのうちの第3だか第4のチャクラは、みぞおち部にあることになっていますが、このチャクラもそれらの図解などで見てみますと、「斜め上左約1寸(約3cm)」ではなく、みぞおちと同じ位置で正中線上にあることになっています。
西式実践者の方々の中には、高名なヨーガ指導者が何人かいらっしゃいましたから、その考えがヨーガ、インド医学を真っ向否定するような内容であるとは考えにくいと思います。
別にチャクラの解説ができるわけでも、したいわけでもありませんが、少なくとも学祖の言っている「太陽叢」は、解剖学書に記載された「太陽神経叢」(Solar plexus)とも、インド医学?でいうところの「チャクラ」とも、少なくとも位置において異なっている、ということを申し上げています。

消化管を働かせて副交感神経亢進
 前述の「外部からの振動によって、自律神経亢進を起こせるか?」のところで申し上げましたように、現実問題としては、腹部の出し入れをして、つまり腹筋を動かして、太陽叢(腹腔神経叢)周辺に外力というか、断続的な圧迫を加えたところで、副交感神経亢進を起こさせることは困難であると考えられるのです。
そういった動きは、周辺部に配置された交感神経系統に亢進を生じさせることは可能と思われるのですが、副交感神経系統に興奮、亢進を生じさせることは無理ではないか、ということです。
そうなると、強めの筋肉運動である背部運動(左右揺振)で交感神経亢進、それほど強くはないが腹筋で腹部の出し入れを行う、基本的には筋肉腹部である腹部運動でも交感神経亢進ということになってしまいます。
背腹運動自体が交感神経亢進のみを起こす、学祖が批判していたラジオ体操やスポーツのみを良しとするような、運動・スポーツ礼賛主義と同じになってしまいそうなのです。
しかし、もちろん、実際はそうはならないわけで、別な現象が起こります。
腹部運動で腹筋を使って腸管に外力による連続的な力といいますか、変形を加えますと、もっとも原始的な自律神経である腸管神経系に混乱が生じます。
そうしますと、それに対する補正指示として、副交感神経を経由して多量の指令が出されますから、副交感神経系の神経伝達(神経伝達電流量)が非常に盛んになり、副交感神経全般に興奮、亢進が及ぶ、ということになります。
この問題に関しては、ブログ007「背腹運動」において解説しておりますので、そちらをご参照ください。

腸管神経系についての詳細
 ブログ007で簡単に説明しましたが、腸に自律的な神経系統が存在するというアイディアが最初に提唱されたのは、19世紀末から20世紀初頭とされているようです。
当時は、誰も取り合わなかったようで、提唱者等の詳しい情報は残っていないようです。以前、その起源について概略が書かれた文献を読んだ記憶はあるので、今回探してみたのですが見つかりませんでした。
現在では常識となっていますが、腸管神経系(生理解剖学的にはこの呼称が一般的であるようです)は、発生学的には脳よりも古いということも常識とされています。
確かに、脳がないナマコであっても消化管は有しており、それは一種自律神経によって消化吸収活動をしているわけで、脳の支配は受けていません。
ですから、ヒトであってもその他の生物でも、消化管が存在するすべての多細胞生物には、もっとも原始的な第1の自律神経である『腸管神経』系という自律神経が存在しているということです。
脳やその他神経系から、まったく命令、指示がなくても、消化管は基本的な消化吸収活動を行え得るということであって、これは人類であっても基本的には同じであるということなのです。
哺乳類など最高レベルの高等生物の場合には、消化システムそのものが複雑だからでしょうか、ヒトでは副交感神経系(他の哺乳類も同様であるとは思います)も消化吸収活動に関与しているわけですが、本来はあくまで腸管神経系を補完するものであるはずです。背腹運動における腹部運動は、自分の考えで行う行為ですから、この指令は大脳新皮質から発せられます。実際に筋肉を動かすための指令は、自律神経ではない方の神経系である体性神経の、運動神経を経由して筋肉に伝えられます。
腹部運動は、生物としては不自然な、消化吸収のためには必然性のない腹部の動き、腸管の動きを強いることになります。
当たり前のことですが、もっとも原始的な神経系である『腸管神経系』は、「あぁ、健康のために運動しているのだな」といったことにはまったく考えが及びませんから、大混乱して脳に異常事態を次々と報告することになります。
それに対する補正の指示、命令は、副交感神経経由で伝えられてきますし、神経繊維同士には絶縁体がありませんから、腹部運動を続けていると、副交感神経系の興奮が次々と周囲の神経線維にも伝わっていくことになります。
というわけで、学祖の説明とは異なりますが、腹部運動を続けていると、副交感神経全般の興奮状態は強まり、広がっていくということになります。
これは、講習ではしばしば申し上げていることですが、ブログには書いておりませんでしたので、ついでにこの神経の機能の特性についても説明しておきます。

生物神経系がコンピュータより優れている点
 これはついでの説明ということになりますが、生物神経繊維間に絶縁がないことはある面では利点であり、ある面では欠点となります。
利点は、絶縁物質が不要であるため、重量軽減とその器官が占有する容積をうんと小さくできるということです。
高圧線鉄塔に張られている高圧電線には絶縁皮膜がありません。電線素材も銅線ではなくアルミ合金製とのことです。鉄塔数を少なくするためには、単位長さ当たりの重量を小さくすることが最も重要なので、電力の伝導効率は明らかに低下するけれども、総合的なコスト面から判断すれば無絶縁皮膜、アルミ合金電線の方が勝る、ということです。
ヒトや生物は、生存率をわずかでも向上させるために徹底的に効率を追及しています。
絶縁体で絶縁し、ショートが起きないように、導通率が良い材質の中を電子移動によって、信号やエネルギーを送ることが最も効率がよく、速度も早いのですが、重量、容積が大きくなってしまいます。
電線内の通電は、実際に電子が移動するとことによってなされるのだそうで、その速度は光の速度のおよそ1/2程度とされています。
どんなに金属の純度、精錬度を上げても、電線中の不純物を完全にゼロにすることはできませんから、それが電子移動の障害になる(らしい)のです。
ですから、生物も各神経繊維の周囲を絶縁体で絶縁し、伝導効率の高い素材(生物組織でそのような素材が合成可能か?ということは別にして)でつなげば、神経電流の伝達速度は飛躍的に向上させることができます。
生物神経の伝達速度は100m~30m/秒(kmの間違いではありません、念のため)とされていますから、秒速15万km 程度とされる電線内における電気の伝播速度と比較すると、何十万倍とか何十万分の一とかいう計算も大変なくらいに、極端に遅いのです。
そこまでの説明を聞いただけでは、ほとんどの方々は、お話にならない、コンピュータ等の最新の電子技術と比較するまでもなく、生物の仕組みというのは原始的でお粗末な、どうしようもなく時代遅れのシステムに見えるかも知れませんが、別な角度から見ると、別な意味で非常に優れたシステムなのです。

アシモ君の苦手なこと
 自動車、オートバイのホンダがヒト型ロボットの開発をしていることは多くの方がご存知のことと思います。アシモ君です。
月面に着陸し、直接月面上を歩いたアームストロング宇宙飛行士らと同じような外観をした、身長約130cm、自重約50kg程度の二足歩行、自己完結型ロボットです。
近況に関する報道を見かけなくなりましたので、調べてみましたら、2018年で開発は終了しており、会社として、ロボット分野は介護補助等の実用的ロボットの開発に絞っているのだそうです。
ホンダによると、その開発過程における各種技術は、そういった実用ロボット類に十分に生かされているとのことです。
さて、なぜアシモ君の話を出したかということですが、それこそ、まさに生物と現行ロボット類の神経システム、制御システムの得失を如実に現しているからです。
アシモ君は最終開発段階近くでは、一応階段を登れるようになるまで進歩しました。もちろん駆け上がるなどということはできず、何とかかんとか、やっとこさっとこ何段か登れるようになった、という状態でしたが。
私が視た階段を上る映像では、一段目に足をかけて、体重移動をしている途中で、見事に転倒してしまったという映像で、大勢の観客の前でデモンストーレーション中のことでした。
成功する割合の方が相当高くなっていた時点ではあったのでしょうが、私が視た記録映像ではたまたま失敗してしまった、といったところではあったのでしょう。
もちろんそういった表面的な事実だけでロボットはまだまだ、生物の足元にも及ばない、などということを申し上げたいのではありません。
階段を登る直前のアシモ君の予備動作についてお話したいのです。
アシモ君は、平地(屋内で傾斜のない、ほぼ完全に平らなところ)を歩く分には、小走りといって良いほどの早歩きもできるようになったのですが、階段を登らせようとすると、必ず階段の前で数秒間立ち止まり、ちょっと考えるようなそぶり(実際は、ただ静止してしまうだけ)を見せてから脚を上げ始めます。
現在でも視聴可能な YouTube 映像では、アシモ君に、階段直前で一度待機させて「乞うご期待!」的なナレーションを入れるので目立ちませんが、アシモ君がためらっているようにも見える映像も残されています。
ヒトからすれば、何で、ただの普通の階段登るくらいで立ち止まるの?何考えてるの?と言いたいところですが、まさにこれこそが絶縁皮膜電線によるデータやり取り方式の最大の欠点なのです。
現在のロボット技術では、センサーから収集したデータはすべてCPU(セントラル・プロセッシング・ユニット=中央演算装置)へ、その情報を素に次の動作を決定して、その指令をCPUから各アクチュエーター(モーター等の機械的な動作を実行する装置)へ動作指令を送るのもすべて電線(一部は赤外線通信等)を介して行っています。
基本、電線ですから、各々のデータは準光速で瞬時にCPUに届きますが、データ量が多すぎた場合には、演算に時間がかかるようになります。
最新の高級パソコンでは、もうあまりないことなのかも知れませんが、コンピュータが重くなるとか、動作が遅くなる、あるいは一時的にフリーズしてしまう状態のことです。
どれだけ素早く大量のデータを集めたところで、CPUの演算能力を上回ってしまえば、計算が追いつかず、次の指示が出ない、出せないということになるのです。
階段登りというのは、技術を披露するための単なるパフォーマンスですから、どれだけ時間がかかろうとかまわないと言えばその通りなのですが、同じ現象が自然界で起これば、それは致命的な事態を招くことになります。
狼一匹ならこん棒一本で楽に勝てるが、5匹の狼に囲まれてしまった場合には、個々の狼に対する監視と、瞬時に済ませるべき無限に近い予測行動パターンを想定しておく必要があるのですが、脳の演算能力を超えてしまうと、とっさの判断、行動が、ほんのわずかではありましょうが遅れる原因となります。一瞬のためらいと言ったところでしょうか。それでも、極端な場合には、ぼうっと立ち尽くしてフリーズしてしまうようなことにもなるわけで、何らの防御、抵抗をすることもなく、狼の餌食となってしまうことになります。
これは、野性の世界では致命的です。事態が複雑になればなるほど演算が遅れ、行動を起こすタイミングが遅れるということは、生存率の著しい低下を招きます。
そういったことにならないよう、神経電気信号の伝達速度は著しく遅くなるけれども、生物神経システムは絶縁組織を廃して、他の利点を優先採用したものと考えられます。

神経信号は伝言ゲーム
速度は遅いがCPUの負担を少なくできる
 神経細胞が電気信号を伝える仕組みは、神経細胞内に溜めているプラスに荷電したナトリウムイオン、カリウムイオンを、イオンチャンネルという出口から、放出量を増加させることによって行います。
一時的にですが、神経細胞外のプラス荷電イオン量が増加しますから、電位差によって電流が発生し、それが電気刺激となって、隣の神経細胞にも刺激を伝えるといったことが繰り返されて、神経信号は伝わっていくという仕組みです。つまり、無線通信のように、電波を使って遠方の多数の対象に同時に、瞬時に信号を伝えられるわけではなく、まるで伝言ゲームのような方式で伝えているのです。
そういった構造であるから、電気信号でありながら、伝播速度は驚くほど遅いということになります。
その代わりに、何を優先したのかというと、脳に過度な負担を掛けずに、つまりいちいち脳から細かい指令を受けなくても、緊急事態に対応できる仕組みを創りあげたと考えられるのです。
アシモ君の場合、すべてのセンサー信号(映像信号や傾斜計、加速度計等々)を常に受けながら、その先に起こるべき事態をCPUが予測、想定し、やや先回りして、事前に上体の前傾を開始する等の対応をして、転ばずに歩行し、階段も一応登れるようなことはできるようになりました。
しかし、階段を上るような、重心点が上下方向にも連続的に変化するような、つまり3次元的な予測は、計算・演算要素が非常に多く、複雑になりますから、事前予測計算に時間がかかってしまいます。これが、数秒間のフリーズの原因です。
さらには、二足歩行による重心移動は、タイヤのような連続的な変化、変位ではありませんから、その脚の運び方(股関節、膝関節、足首関節の総合的連続的な動き)の計算も非常に複雑になります。
そういう面からは、二輪自動姿勢制御乗り物である、セグウェイの姿勢制御方式の方がずっとシンプルです。
そういったような訳で、さんざん考えたはず(といっても数秒ではありますが)の計算結果であっても、ごくわずかな計算違い(照明の加減による映像センサーの微妙な陰影に対する計測ミスで、対象距離の判断をわずかに間違えた、といったような)によって、ヒトでは幼児や相当な高齢者でない限り、絶対にするはずがないようなミスを犯してしまうわけです。
話を戻しますが、そういったすべてのデータを脳に集めて、そこで演算、その計算結果の補正信号を個別に末端に送る、ということになると、脳に著しい負担を掛けてしまい、とっさの行動もうまくできなくなってしまうので、決まったパターンの状況(外敵に襲われるといった)になった場合は、いちいち脳に報告、相談して負担をかけなくても、自動執行ができる仕組みが、生物の自律神経システムであり、絶縁なし電線の最大の長所と言えます。
興奮が大きければ大きいほど、緊急度が高ければ高いほど、何らの複雑な装置などなくても、自然と信号の伝播(漏れ)は広範囲に及んでくれる、という極めて合理的な仕組みなのです。
ここまでご説明すれば、やっと話は大元の話に戻れるのですが、つまり、腹筋を使って腹部の出し入れ的動作を行うと、腸はそれによって動かされ、その腹筋によって動かされた腸(主として小腸)は消化吸収のための通常の動きとはまったく異なる動きであるため、大混乱に陥り、副交感神経を経由して頻繁に補正信号が送られてきます。
副交感神経がいくら補正の指令を送っても、大脳新皮質の思考によって自ら行っている動作ですから、腸管神経系の納得するような結果は得られず、腹部運動実施中は、副交感神経は補正指示の神経電気信号をずっと、送り続けることになり、ますます、副交感神経全般の興奮、亢進が進む、という仕組みです。
そういう仕組みであるから、単に外部からマッサージャー等で振動を与えたところで、副交感神経興奮を起してやることはできません。
と言うわけで、質問者の提案では残念ながら目的を達成することはできない、ということになります。

金魚運動は背腹運動の代用になるか?
 次に、金魚運動は左右揺振の代用になるかということですが、これも交感神経興奮、亢進を起させる、という面ではそれなりに生じる現象ですが、自らの筋肉を積極的に動かし、それなりの運動量を伴う左右揺振運動と、金魚運動マシンで体が動かされているときに反射的に筋肉が動かされる状態では、関係する筋肉群の要求血液量はかなり異なります。
つまり、左右揺振と腹部運動を同時に行うことによる、つまりは、背腹運動を正しく実施した場合の交感神経、副交感神経両者の亢進、興奮状態の調和というか、拮抗が自律神経の平衡した状態ですから、質問者の提案では、むしろ自律神経の平衡だけでなく、酸塩基平衡も危うくしてしまう可能性すらある、ということになります。
というわけで、電動金魚運動マシンで金魚運動を行いながら、みぞおち部にマッサージ器でバイブレーションを与えても、背腹運動による自律神経平衡が達成できないことも問題ながら、脊椎のゆがみ(ブログ 007「背腹運動」をご参照ください)を矯正することもまったくできないということになります。
進化の過程の中で、生きるためにしぶしぶ行うしかなかったような動作、行動であっても、たくさんの要素を総合し、それらを織り込んで、結果的に生存率を少しでも向上させるための進化をしてきたわけです。
ごく一部の事実だけをもって、小手先の工夫で間単に問題を調整できるようなことの方が、残念ながらはるかに少ない、というのが現実です。

なぜ?医学的事実と異なる記述が?
 先ほども少し触れましたが、なぜ間違える訳もないはずの、太陽(神経)叢の位置を解剖学的な事実とは異なる位置として論述してきたのか、言い続けたのか?ということが最大の謎です。学祖の知識、所蔵資料等からすると、たまたま、うっかり間違えて記述してしまったということはまったく考えられませんし、万一、一時は勘違いし、間違えて理解していたのだとすれば、後の著作でいくらでも改める機会がありました。
真相は不明ですが、本稿で説明してきましたように、数年しか経過していない時点での著作において、まったく異なる説明をした、という事実もあります。
とくに晩年の著作では、太陽神経叢は基本的には交感神経叢であるが、一部は副交感神経(迷走神経と記述)も入り込んでいる、と、今日の生理解剖学上と照らし合わせても、極めて正確な説明をしています。
そこで、私が唯一考えられることは、学祖は自律神経としての「腸管神経系独立自律神経説」の存在をアメリカ留学中に知ってこれに違いない、と思っていたのではないでしょうか。
しかし、その時代には、欧米でもまったく支持されることのなかった学説でしたし、欧米でも怪しいトンデモ理論と評価されていたと考えられるのです。
当時は、教会の影響力もまだ相当強く、進化論を好ましく思っていない人もまだまだ多数存在していたような時代であったと思われます。
欧米でさえ、そのような扱いであった「腸管神経系」の存在を前提にして背腹運動を解説しようものなら、誰も知らないと思って、米国留学を鼻にかけて、また西勝造が自分の理論に都合の良い説を勝手にでっち上げてるとか、利用していると言われかねない状況でした。
そこで、あまり独創的なことはあえて主張せず、当時の多くの学者等の賛同を得やすいように、「太陽叢」として説明しようとしたのではないか?と、私は孫の贔屓目で考えています。
はっきりとそのことを聞いた人もいませんし、文献にもとくには残されていないのですが、私がどうしても引っかかってこの説を信じているのかというと、それは『太陽叢』の位置なのです。
英語では完全にみぞおちを示す、Solar Plexus の位置を、みぞおちとせずに、へその左上数cm といった、わざわざ間違った位置にしていること、さらには、位置はそこだと何度も言っていながら、腹部の動かし方はどうでも良い、好きなようにやり易いように出し入れさえすれば良い、と述べていることです。刺激したい太陽叢がへその左上数cm にあると規定するならば、腹部の出し入れはへその左上部分が良く動くように、であるとか、へそのやや左上に意識を置いて、といったような説明があっても良さそうなのですが、「動かし方はどうでもよろしい」というように述べているのです。これは、腸管神経系の存在を前提することによって初めて言えることであると思います。
学祖は、米国留学から帰国した当時、最新の欧米医学を機会あるごとに紹介してきました。
そういった最新情報でも、今日ではすぐに内容の確認ができますが、当時はだれも裏付けを取れないし、確認のしようもありません。
何となく、古い通説を講義していたような医学部教授連にとっては、学祖と議論すると大恥をかいてしまうことも多々あったはずで、非常に目障りであったことと思います。
それでも、『人の幸福はまず健康から』と考えていた学祖は、できるだけ当時の西洋医学界を敵に回わすことのないように、東洋医学的な説明で批判の対象となることを回避したのではないかと、私は考えているのです。
ただ、いつの日か「さすがの西勝造先生も、これだけは間違えておられましたねぇ」などと言われては面白くありませんから、わざと有り得ない類の間違いを残して、後世の誰かに気付いてもらおうという気持ちがあったったのではないか、と私は考えています。
将来、本物と区別がつかなくなったら後世に大変な迷惑をかけることになるから、どこかにほんのわずかですが、贋作と分る証拠を残すという、レベルの高い贋作画家と似ているのではないか、ということです。

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