月刊誌原稿の再掲載について
ここに掲載する内容は、月刊『西式』第1巻 第1号(昭和12年=1937年3月15日発行)に掲載された、学祖西勝造先生の原稿を再録したものです。順次本ホームページ上で公開していく予定です。
なお、多くの現代人にとって判読が困難と思われる旧字体、旧仮名遣いは、原文の雰囲気を損なわない程度に、現代の標準的な文字、仮名遣いに改めておりますので、ご了承ください。
発 刊 の 辞
大日本西会 会長 西 勝 造
私が健康法を発表して丸十年、昨年夏、ついに同行六名米国に渡り、もって西式の存在を在米邦人及び米国人に知らしめたのであった。それが為全米六千有余の新聞紙上に掲載せられ、ニューヨークのブロードキャスティング・ボードよりはラジオをもって全世界にニュースとして放送せられたのであった。
機関雑誌「テトラパシー」を初めて発刊したのが昭和五年七月、由来巻を重ねること六巻、冊数六十五、いまや満天下に普及実行せられるに至ったとは云え、テトラパシー誌はあまりに難しく一般向きでないから、何とかして通俗的のものをとの要求のあったことは、既に久しい以前からであったが、その機の熟するに至らなかった。元来テトラパシー誌は医師に読んで貰うことを目的としたものであって、普通人にはあるいは難解であり無味乾燥であろうことは、思わぬでもなかったのである。然るに今回、ここにいよいよ陣容を整え、本誌の発刊を見るに至ったのは時代の要求するところでもあり、近時西式の理解範囲のとみに拡がれることも争うべからざる事実である。
本誌は西式の初歩より始め、理解の容易を目的とし、ことに「眼を見、諸々の病を知って治す法」の新講義をも連載することとした。蓋(けだ)し西式健康法の根本原理の根幹をなすものは眼なればなりである。「腸と脳、血液循環」はさらにその上層の理論体系をなすものであって、その基本は眼にあったのである。私の健康法は心身一如(しんしんいちじょ)として説いているのであって、我々の五官のうち、心身一如なる働きをもつものは眼以外にはないのである。読者は初めより読了せられるを便なりと思う。これをもって発刊の辞となす。
(月刊『西式』昭和12年3月発行第1巻第1号)
健康へのちか道 (一) (第1回)
西 勝 造
はしがき
疾病は偶発的なものではなく、あらゆる場合、破壊的な習慣によって持ち来たされるものであって、従って、それを根本的に一掃するには悪習慣を廃して良習慣を養うことが肝要である、と常に私は説いているのである。そして又思考の悪習慣や運動の不足、その他、数多の誤った生活方法は、やがて必ず、それも病因となるものであって、なかんずく、飲食物方面に於ける誤謬は特に訂正を要するものである。人体は飲食物より獲得し得る物質のみをもって構成されているであるから、人体組織の健康は、他の如何なるものよりも、この飲食物の適切な摂取方法によって左右されるところが多大なのである。医師の診察室は健康の真髄を教えるところでなければならない。私はこのことを口に、筆に、常に力説して止まないのである。然るに疾病のたびごとにただ漫然と疾病の根源を究(きわ)めずして末梢に走って、対症療法をこれ事とし、悪く言えばおざなりの「その日暮らし」式で満足している有様なることは、世界を通じてこの医界一般の情勢なのである。
そこで如何にしたら真に健全なる体躯と精神とを養うことが出きるかということに就いて、私は十年来、説きもし、書物として、これまで発表してきたのであると同時に、一般疾病の治療法として西式断食療法を主張し、且つ一巻の書物として世に問うたところ白熱的の歓迎を受け数十万の実行者を得るに至ったが、中には失敗するものが二、三あった。それというのは、私の最も重要とする断食前の五十訓、断食中の五十訓、断食後の五十訓を読まないで勝手に断食をやって、苦しくなったと言って私に相談されても、時既に遅かったといったものが、私の責任に帰されたが如きである。いずれにしても、その大多数は驚くべき好結果を得られたのであった。それがため、私をして益々確信をいだかしめるに至ったのである。元来我々生体は食物によって生を保っている以上何時如何なるものを食してはならない、ということは、何時如何なるものを食べるべきかということに劣らず重要事である。この二つのことは同じ問題の消極的方面と積極的方面というにほかならないのであるから、本誌の如き性質の雑誌にあっては、この二つを別個に取り扱いはせず、両者をまとめて、一緒に述べる方が理論的であると思う。
前年来、会員間にかくの如き記事を求められつつある事実に接し、また書面にて問い合わせされる向きもあり、いちいちお答えもできないし、本誌の発刊を機として述べてみたいと思う。
疾病とその原因
今や厳然たる科学となるに至った西式健康法及び疾病の研究は、言わば数千年来、医界といわず一般の人間界の研究と経験の系統化された知識の結晶とも称すべきものであろう。人体組織の機構は、その作用及び機能に於いて、微妙繊細広大無辺を極め、如何なる偉大な科学者、著名なる発明家をもってしても、未だかつて人体のそれに近似だにすべき器具あるいは機械の考案され得ないところであって、それはあたかも大自然が、その霊妙なる叡智を表現するために全力を傾注して最高級の媒介物を、人間の内部に創造したかの如くである。
従って、創造の力が微細な電子を以って、人間の魂にふさわしい殿堂を造り上げた法則をいくばくなりとも理解するためには、当然、深遠な人類の研究が必要となるのである。卒然として、その艱難(かんなん=苦しみ悩むこと)と危険の世の中へ押し出された赤ん坊は、自分自身の全然何ものも知らない法則に支配されるが、同時に又、推理力を発達させるべき先天的能力を付与されているということは明らかである。この力を用いることによって、彼は遂には人生の道を選び、満ち足りた一身の成功や高い栄誉にも達することができるようになるのである。永劫の何処からか、血液は循環することを学び、消化器官は栄養物を同化することを知り、細部は新陳代謝という欠くべからざる作用を営むことを会得したのである。如何にすれば自然的過程の秩序を妨げることなく生きられるか、ということを知悉(ちしつ=知り尽くすこと)するために、あらゆる方法を尽くして研究がなされねばならない。『疾病』と呼ばれる状態はあらゆる場合、自然の法則に合致しない生活習慣によって身体のある機能を阻害する事より起こるものなるが故である。
自然は秩序整然としているが、しかし無情なものでもなければまた悪意を抱くものでもない。だからもし我々が、全知全能、広大無辺の造物主の峻厳不変(しゅんげんふへん=非常に厳しく変わらないさま)な法則と衝突するような、有害な習慣を許容するならば、それは自分自身を咎める外はない。苦しい時に、それが自己の誤りから来るものとはしないで「悪い星の下に生まれ合わせた」とか運命だとか信じるなどは、愚かしい限りである。結局、意識的な生活習慣は自分自身のみずから造るところであるから、それ等は永劫不変、宇宙の法則に調和するように仕向けなけられねばならないのである。患者の疾病を作り出すところのあらゆる原因を指摘し得る能力は、技術でもありまた科学であって、事実それは、その患者の全生活の習慣の余すところなき研究を包含するものである。そうした原因の主なるものの内、その幾ばくかは、少なくとも本誌の如き雑誌中に於いて、分類されるところであるが、かくの如き研究は、熱心な真理の探求者に対して、探求の素材となるべき確乎たる事実的根拠を与え、ぼう大な福利の源泉となるべき資料を供給することによって、あらゆる場合に無限の価値を発揮して止まぬものである。
私は自分の観察と経験によって健康を阻害する主要原因は次のようなものであると信じている。
(月刊『西式』昭和12年4月発行第1巻第2号)
健康へのちか道 (二)
西 勝 造
第一に疾病原因の最先端に位するものは、皮膚の機能が生物的本来の働きを欠くために、肝臓が十分に職能を発揮し得ないので、大小腸が、その蠕動運動を妨げられる結果、腸内容が輸送できないことになり、自然に大腸内糞便が停滞することによって、腸管の神経が麻痺に陥り、腸血管が膨張し、麻痺し、種々なる黴菌を停留せしめ、ついには破裂し、出血し、これが身体の各器官に影響を及ぼし、且つ組織中に於ける老廃物を含んだ血液の充満が疾病の主なる原因であると思う。約言すれば、この濃厚化した血液は、新陳代謝の不完全により生じた老廃物の過重な負荷に苦しみ、身体のある部分を、健康に必要な自由さをもって通過し得ない結果、次第に器官や組織中に凝滞して充血を醸し出し、そのものに特殊な部分の自由で自然的な機能を阻害するようになるのである。人間のあらゆる疾患中には、ほとんどすべて、この症状が現れているのであって、万病の主要原因は、これであると言っても決して誇張ではないのである。
こうした血液の状態は、身体が再生と成長のために実際必要としている以上の食物を摂取したり、不適当な食物を過度にとったり、生理的の筋肉運動不足のため同化された栄養分が完全に使用しつくされなかったりすることから起こるのである。これは腫物や癌の生じる主な原因の一つとなり、また肺結核や気管支炎、卵巣及び子宮の疾患、オリモノ等、粘膜よりのおびただしい排泄物を特徴として現れる諸疾患の主要原因となるのである。
従って、これを治療しようとするならば、この充血を取り除き、食事、運動、環境等に関する習慣を改め、そうして肉体の障害を解きほどかねばならない。この場合に於ける断食療法の効果は驚くべきもので、その結果は瞬く間に現われ、患者の経験する身体上に於ける大変化は、まるで囚人が鎖からとりのぞかれたことを想像したと同様に顕著なものである。しかし、だからといって断食を簡単に無用意に実行してはならない。やるなら私の断食百五十訓を熟読玩味し、且つ経験ある人々に就いてよく会得し、若しくは西式断食を心得た断食療養所に入って実行するか、さもなければ私の後に述べる寒天食餌断食法を行うならば、安全にして実行も容易であり、ひもじい思いをせずして目的を果たし得られるのである。
第二には活力減退ということが、多くの疾病中に見出される症状であって、これも元を質せば大腸内の糞便停滞即ち宿便滞留ということから招来するものであるけれども、これは主として神経エネルギーの浪費によって起こるものである。人体は宇宙エネルギーの放射性変形物とも称すべきものであるが、しかし誤った思考や行動の習慣に従うと、多量のエネルギーが不要の方面に転じられて浪費され、そのため最も必要とされる部分へは、不十分な力しか送り得られなくなる結果、正常な身体機能が阻害されるに至るのである。破壊的な感情を振るうことは、おそらく他の如何なることにも劣らず、激烈な精力浪費の一原因であろう。人間が恐怖とか、煩悶、嫉妬憤怒等の情炎を燃え立たせるときは、厖大(ぼうだい)なエネルギーの浪費が行われ、こうして使用されたエネルギーは、他の方面に於いては用をなさなくなるのである。その結果は、早晩、組織のある部分の障害となって現われる。
活力の建設を乞い願う人々は、すべての眼の過労をさけなければならない。眼は心身一如の代表のもので、心のみの過労は結局に於いて肉体の過労となるけれども、肉体の過労は精神の過労に移行するが、そのいずれも直接ではなくて、間接に影響するのであるが、眼だけは精神と肉体とを兼備した身体中の代表器官であるだけに、眼の使用に際して不必要の労力を省くためには、適当な眼鏡をかけることも、しばしば必要となるのである。混雑した店内であまり長く買い物をしていると、酷く疲労を覚えるものであるが、たとえ軽い疾病に冒されている人でも特にこうした習慣を戒めなければならない。一方、体育運動はエネルギー建設のために、絶大な助けとなるのであるから、組織的柔軟体操を行わなければならない。例えば、歩きくたびれたときは仰臥して両脚を垂直に近く揚げて微振動を一~二分間して後、そのままの仰臥の位置で身体を一直線状に延ばして一~二分間休息するとか、又組織的柔軟体操といえば私の唱える保健療養の六大法則の第六、西式強健術(現在は背腹運動と呼称)と称する如き、初めに準備運動十一を行い、次に本運動として酸塩基が平衡状態になるよう、脊柱を真っ直ぐに左右に揺振すると同時に腹部を凹凸させ、いわゆるピッチを合わせて十分間くらい、朝夕規則正しく行うということである。然るときは的確な結果がいつとはなしに現われて来るのである。
活力減退はまた、嫌悪すべき音響、臭気、強光線、悪空気、悪水、不味覚、悪感情等によって巻き起こされた焦燥興奮が原因となることもある。この事実をもってしても、静かな、秩序ある生活方法の如何に推奨すべきものであるかは明らかである。
活力減退は自家中毒の主要原因の一つとなる。それは、排泄作用を営むためには、当然身体の一般老廃物を排除するに足るだけのエネルギーが必要とされるが、もしそれが阻害されるとなれば、そこに必然的に何等かの形式の毒化作用が起こり、その結果、症状が惹起されるに至るからである。元来この症状なるものは、生体を元の健康体に引き戻さんとする自然の現われであるが、今はしばらく症状を疾病ということにして置くことにする。
いったん健康を壊して病気に陥るようなことになれば、その治療に費やされる時間、エネルギー、労力、費用などというものは、健全な状態を保持すべく適切な習慣や規律を工夫したり守ったりするために費やされる必要なものに比較するならば、到底問題にならぬほどの莫大な差があるのである。健康の保持に努めよ。常に心掛けなければならない要件は、一日に一回以上の便通があるかということ。血圧は一ヶ月に一度は必ず測って最大血圧と最小血圧との比が生理的の比率をなしているか、こればかりは計って見なければ分らない。常に健康を誇り、自分は今まで病気をしたことがない、五十才の今日まで肩ひとつ按摩に揉んで貰ったことがない、他人の病気を鼻先でせせら笑い、同僚の病弱を憐れみ、少しは俺を見習うがよいなどと大口を叩いて、未だ口の端の乾く間もあらばこそ「ウウン」とただ一語卒然とぶっ倒れ、そのままの脳溢血で逝くのを見るとき、現代の保健衛生の頼りなさ、ここに初めて「命」は別物だと深く感ずることになり、定まれる寿命だと諦めざるを得ないことになるのである。
諸子が、常々私のいう、心臓が決して、血液循環の原動力ではない、力源は全身体の隅から隅へと瀰漫(びまん=一面に広がること)している五十有余億の毛細血管によると知るからには、一ヶ月に一度は必ず血圧を測り、最大血圧と最小血圧の比率(3.14:2:1.14)を測定し、この比率が破れていたら、早速に寒天食餌法による安全断食法をたとい一日でも実行し、保健療養の六大法則の第四、毛管運動を実行し、もって三者の比率を接近せしめることに努力しなければならない。
(続く)
(『西式』昭和12年5月発行第1巻第3号)
健康へのちか道(三) (第2回)
西 勝造
第二章 そ の 近 道
疾病治療のために、自ら食物を断つという方法は、生物が地上に現われて以来の古いものである。下等動物並びに鳥類が必要に応じて、本能的にこの回復方法をとって来たということは、確実な証左に照らして明らかである。「適者生存」(”Survival of the fittest”)という原始的争闘は飢餓を満たすべき機会の到来と共に好運なる勝利者をして眼前の食物を能う限り貪り食わしめねば止まぬ情勢を生み出した。征服の成果を、あくまで貪り尽くすということは、原始的人間にとって、至極当然の行為であった。食物の獲得が至難であり、同じく飢餓を満たすべく食物を懸命に求め歩く隣人の襲撃並びに腐敗を防ぐことが困難な時代にあっては、そうするより外はなかったのである。
人間の知性が発達すると共に、次第々々に自然界を征服するに至り、農耕時代に入るに及んでは、穀類や野菜類を巧みに貯蔵する方法を知るようになり、ついには肉類をも乾燥して保存し、必要に応じてそれを用い得るようになった。栄養に富む食物が豊富になってくると、飢餓を満たすという欲望が減少し、次第に舌ざわりの甘さを求める美食主義が跳梁するようになり、それがために人間は、自然に対する原始的争闘時代に飢餓によって苦しめられたよりも、はるかに深刻な苦悩に責めさいなまれねばならなくなったのである。
未開野蛮の原始時代から、進化した今日の人類に至るまでには、無限の年月が流れている。が、もし人類にして、誤れる食欲を抑圧することによって、思索的に精神的に又肉体的に確保されるべき利福を学んでいたならば、そこに如何なる進歩がなされていたであろうか、歴史の流れを振り返って見ると、ここかしこに冷静な魂の持主がしばし立ち止まり、感覚的満足に対する糾弾の声を挙げている。だが狂える群衆は、そうした先覚者の言葉や精神に気をとめようとはせず、己れ自身以外のあらゆるものに対する「力」を求め争い続け、ついには自らの腹部を己が霊魂の墓場となし終わったのである。クリシナとかモーゼ、釈迦、キリスト、マホメット等の精神界の偉人たちは、その信徒たちの精神を覚醒し、感覚的快楽に対する道徳的並びに倫理的抑制の必要をある程度まで自覚せしめた。だが、節制的生活によれば、豊かな善果が得られるということは良習慣の実行者、即ち良習慣を実行すれば肉体的変化がもたらされ、立ちどころに時を移さず幸福が味わえる、ということを知る人々の方がはるかに深々と悟るであろうと思う。
初期の医師とか療術家達は、事実、共に手を携えて、健康は節制的生活に基づくものであると教え、又著述家や教導者達も、疾病に苦しむ肉体に対しては食物を拒むべきことを説いた。幾世期にわたって、幾千幾万の教導者達が弟子達を従えて現れては去っていった。当時に於ける彼等の多くは疾病治療といえば必ず断食を行ったものである。だが必然的に実行せねばならぬ厳格な規律のために、大部分の疾病者たちは、あるいは医師から、この療法を示されなかったり、あるいはそれよりも容易な方法の方式を信頼して、これを回避したり、あるいは、これを荒唐無稽な妄想として斥(しりぞ)けたりした。この問題に関しては、汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)もただならぬほど(文献が非常に多数あることの比喩表現)の書物が著(あら)わされていることであるから、勤勉な真理の探究者は必ずやデュウイとか、ハスケル、ターナー、カーリントン、ハザード、イールズ、シンクレア、マックファーデン、チルデン、ブルック、その他無数の熱心な研究者達の著作物に興味をそそられることであろうこれ等の人々の真摯な目的や諸発見は、既に世に定評のあるものである。
私は精神療法より近代的の外科術、臓器療法に至るまで、あらゆる治療法を正に余すところなく研究したが、その結果に於いて、ある一種の断食療法に匹敵し得るほどの福利をもたらすものはひとつも発見出来なかった。が、先に私が「西式断食療法」を書いた目的は、あえて読者の前に断食療法及び食餌療法の百科辞典を披露しようというのではなく、むしろ私自身の個人的な観察と考究の結果、並びにそこからもたらされる教訓と思惟されるものを、叙述したのである。ところが世の一般人は、私の断食前五十訓、断食中の五十訓、断食終了後の五十訓とを本当に守ってくれる人々はなかなか少ないのである。そこで私は、その後最も安心して誰でも出来る寒天食餌法なるものを提唱した次第である。しからば、寒天を用いない断食法とは、いったいどんなことを意味するかを述べてみよう。
「断食」という言葉が、飲食物のある制限もしくは調節を意味する如く、そこには当然、ある一種類の食物を断つものからあらゆる飲食物を完全に断つものに至るまで、多種多様の断食方法や程度があるのである。断食中に於いては、種々な肉体的変化が現れ、それによって、この療法を行った後に、驚くべき結果を顕現するのであるが、それは次の如くである。
一 断食は身体に清掃の機会を与える。身体は再生及び成長の素材として使用しきれぬほど過度に食物を詰め込まれると、新陳代謝が不完全になり、そのために老廃物が凝縮するようになるのであるが、断食によって同化作用が緩慢になるに従って、排泄作用が活気を加えて進行し、そうした身体は文字通り「大掃除」を施行することができるのである。
二 消化器に向かって与えられる休養は言うまでもなく「栄耀栄華に暮らしすぎて懸命な生き方を知らなかった」人に対して、絶大な利益をももたらすのである。消化力と同化力は、胃腸が暫時休止を許されるならば、著しく増加するものであって、かくして、長年にわたって活動して止まぬ機能は、その正常態に回復されるのである。
三 いくばくもなく、滋養に富む簡素な食物に対する正常な食欲が生まれて来、かの飽くことを知らぬ貪婪(どんらん=ひどく欲深いこと)な食欲にとって代わる。病状が征服されない限りは、人間は断じて自然な空腹感を味わい得ないのである。
諸病平癒 断食は身体に疾患治癒の機会を与える目的をもって行われるものであるから、ある方法をもってすれば、あらゆる急性並びに慢性の疾患に適用され得るのである。私は、断食に対して禁忌徴候を示した疾患を未だかつて見たことがない。だがしかし、治る道程として一つの症状を現わすから、その症状を以って従来の疾患が悪化したものと早合点して大騒ぎする傾向のありそうな病気だけは禁じてきたが、これも私のいう「症状は療法なり」の原理が解り、血液循環の原動力が飢餓より起こる小静脈管突端部の真空による毛細管現象なりということが明瞭となり、心臓はただ単に弾性のある「タンク」あるいは「サック」の働きをするに過ぎないということが本当に分かりさえすれば何病を選ばず断食法に上越(うえこ)す良法は絶対にないのであるが、ただここに考えなければならない一事は腸閉塞の問題で、この腸閉塞を完全に防ぎ得て断食の原理に立脚する寒天食餌療法を提唱するゆえんここにあるのである。一度(ひとたび)私がこの寒天食餌断食法を発表するや多くの人々によって適用され、実に驚くべき効果を安全裡に現わすに至ったことについては、後章幾多の実例により述べるつもりである。
絶対断食法 寒天断食に対して付けたもの ―― 絶対断食法に於いてはあらゆる食物を身体内に入れず、ただ飲料としてはコップ一杯の中に二、三滴のクリーム・マグネシア即ちクリマグ(当時推奨の「水酸化マグネシウム剤」の商品名=現在のスイマグ・エースと同成分の薬剤)以外には入れない清水(せいすい)を与えるだけである。その水の量はたいてい患者の渇を標準とするのであって、飲めなければ無理に多く飲む必要はなく、それでも一日に茶のみ茶碗に一杯や二杯は飲めるものである。だいたい少量でも飲んでさえいれば誤りがない。ある熱病患者の場合なぞは、極度に水を要求もするが飲ませるのが本当である。その時の生水の温度は体温の二分の一より二、三度低くて差し支えない。例えば摂氏三十八度の体温ならばその二分の一は十九度であるが、十六、十七度ということになる。普段の理想水温は体温の半分のものである。そしてもし患者が精神力の喪失あるいは食道の収縮のために嚥下することが出来ない時は、緩やかに灌腸を行うが如くにして水を供給することが必要である。
灌腸 最善の方法としてはクリマグを五十倍に薄めた微温湯の灌腸を行い、毎日一回もしくは二回づつ、結腸を洗滌(せんてき=洗浄と同義)することによってのみ得られるのである。これを行うには、膝を胸に近づけた姿勢をとって妨げなく緩やかに微温湯(摂氏二十二度より二十七度位)が流れ込むようにするのが一番よい。湯は純水を用いてクリマグ以外は石鹸とか、その他の刺激的物質を付加しないようにしなければならない。仰臥しながら五分ないし十分位、結腸中に湯を止め、それから便所の中に屈みながら、直腸の粘膜を傷つけないように、出来るだけ、徐々に湯を出して行くのである。断食中には何らの便通も起こらないが、こうして直腸にこれだけの微温湯を与えると、毒素の排泄が旺盛に行われ、絶えず堆積しつつある老廃した毒物の排除を促進するようになるのである。断食中の灌腸は一日二回以上はしない方が良い。何となれば断食そのことが既に腸の内容を排泄するものであるから、後はその導きをするだけで沢山で、もしそれ以上するときはいたずらに腸粘膜を剥落して腸閉塞を起したり、あるいは自家融解を生じて思わざる失敗を招く場合があるからである。
沐浴 皮膚の作用は、身体のもっとも重要な排泄機能の一つであるから、その活動を促すべき適当な手段が講ぜられることが必要である。この目的のためには熱い湯は禁物であるから微温をもって始め、後には水浴もしくは海綿とか西洋手ぬぐいのようなものに水を浸して拭き清めるのがもっとも有効であって、温浴してはならない。断食中の温浴は身体を疲労させやすく、活力奪取をするのであるから温湯だけに入って温まるとかえって禁忌徴候を現すものである。一分間づつの水と湯との交互浴ならば差し支えない。
運動 すべて日常生活どおりに普通に続けていることは望ましいことであるが、断食中にあっては筋肉発達の素材となるべきものが停止されているのであるから、体育的運動 ― 学校体操 ― ラヂオ体操 ― は行わない方が良い。西式のごとき保健運動は差し支えない。肉体が自然に過重な凝滞物や不潔物から解放されるに従って、断食の進行と共に活力の増進がよく感じられる。呼吸運動をしてはどうかと尋ねる人が多いが、呼吸運動とするからいけないので、呼吸の必要は申すまでもなく肺臓から有害なガスを排出する助けとなり又肉体に多量の酸素を供給して新陳代謝の調節を促すのであるから絶対的に必要欠くべからざるものであるが、しかし単独にやってはならない。呼吸は自然のままに任せ、特に呼吸をしようとするならば脊柱を左右に揺振することと一緒にやるべきである。これが西式強健術(背腹運動のこと)であって、普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)の中にある「左右揺振、兀兀坐定」さゆうようしん、ごつごつざじょう)即ち左右に身体を揺振しつつ兀兀坐定即ち腹式呼吸をするのである。これならば三千年の歴史を持っているから安心である。何でも物事新しがりも結構であるが身体に関する限り、未だかつて数万年以来、我々の調査し得られる人類歴史の上から見て、人体構造の上に改良されたものが一つとしてない。鼻を額の方へ付け替えようとしたり、眼を後へ付け替えたならば便利だろうと、人知の力で移転させることはできない、未だに人工で爪もできない、鼻毛一本作ることも出来ない。
だから、自然のままで、歴史あるものを生かして応用し、しかして今日の科学的説明の出来るものを実行されるならば間違いは起こらない。
(続く)
(月刊『西式』昭和12年6月発行第1巻第4号)
健康へのちか道 (四) (第3回)
西 勝造
第二章 その近道(続き)
徴候 同化作用が停止されると共に、排泄作用が促進され、組織中から凝滞していた毒素が排泄されるに従って、最初の一日ないし二日の間、たいてい、頭痛や吐き気を伴い、膽計病(注①)に似た状態が起こるものである。こうした徴候が続けば、それは特に重い自家中毒に罹っている証左であるから、少なくとも、その頭痛や吐き気が失(な)くなるまで、断食を続けなければならない。ここが一番大切なところなのである。吐き気があるから大変だと思ったり、永久にでも物が食べられなくなったら命が切れるのではなかろうかと思い込んだりしてはならない。決して今、食べられないからと言って、それが何時までも食べられないと言うことはないのである。要するに自家中毒が酷ければ酷いほど吐き気も甚だしいものである。しかし、それも初めの数日間に食欲が消え、幾日間も現われて来ないのが普通であって、何か研究するものでも作っておいて、それに没頭しながら、それに注意力を集めていない人は、普通の食事の時間が来ると、何やら食物に対する心寂しさを覚えるかも知れない。罹病者は、余り性急に寝床から飛び出したり、急速に坂を上ったりすることには特に注意しなければならぬ。突然脳髄中の血液循環を変化させると、よく眩暈(めまい)を感じるからである。だが、これは血液の流れのなかに惹起される変化に基づくものであるから、何ら驚くにあたらない普通の徴候なのである。最も有害な老廃物が排泄されてしまうまでは、舌に苔(こけ)がかぶさり、呼吸がいやな臭気を帯びるようになるだろうが、それは最初のうちだけのことである。
※注① 原本の文字は「膽計病」(新字体で表せば胆計病)となっているが、『たんじうびょう』とルビがふられているので、「膽汁病」(胆汁病)の誤植であると思われる。しかし、現代では「膽汁病」という病名は存在せず、病名から類推すると「胆嚢炎」ではないかとも思われるが、症状は必ずしも記述と一致しない。
断食の期間 一定の期間、断食を続けると舌は綺麗になり、呼吸はさわやかに、口はまるで赤ん坊のそれのように清らかになり、空腹と活力は正常状態に回復されるだろう。このためには三十日ないし六十日を要し、私の知っている例では九十日間も回復しなかった場合もあった。それは途中で「蜂蜜」を食べてみたり、果物を食べたりした人々であったのである。そうした長期にわたる断食は、起こり得るべき徴候や、あらゆる微細な点に至るまで知悉した医師の付き添いがない限り、誰人も企てるべきではない。絶対断食を、その最終点まで続けることが必要と認められる場合は稀である。たいてい、もっと短期間の断食によって満足な結果が実現されるのであった、その後は適切な食餌療法を行ったり、あるいは短い断食を続けていくようにするのである。
つまり、女子は三日、五日、七日、七日、七日という具合に、男子は二日、四日、六日、八日、八日とし、格段時期の感覚を四十日ないし六十日おきに、なお最初に断食を始めようとする時は二日なら二日の漸減食をする。三日間の断食ならば三日にわたる漸減食をする。例えば、三日ならば最初の日は、一食毎に飯茶碗にこれまで三杯づつ摂っていた者は二杯半、次の日は二杯、第三日目は毎食一杯とし、そして断食に入るという訳。断食終了後は漸増食、始めは重湯を茶飲茶碗に毎食一杯、一杯半、二杯という具合にできるだけ、急がずゆっくりと漸次増して、第五回目の最終の断食後は従来の普通量の七割五分位で充分である。これが西式断食法というのであって、何ゆえにこんな面倒な漸減食をしたり、漸増食をするかと言えば、腸の閉塞とか腸の自家融解を防ぐためで、この規定を破った人は失敗し、守った人は完全に好結果を納めるのである。しかし、絶対断食はかくの如く難しいものであるから、これは完全な設備があって、よく理解のある人々の指導を仰ぐか、この道に通じている医師の監督下に行わなければならないのである。
寒天断食 理論的に言えば、絶対断食こそ最善の効果をもたらすべきものであるけれども、私は経験によって、寒天断食が非常に有益な結果を持ち来たすものであり、数種の理由からして、激烈な急性病症以外の多くの場合に用いるには、最善の断食法であるということを発見した。用いられる寒天の中には蜂蜜とクリマグ(スイマグ)が入るけれども栄養価はほとんどあるか無いかのことで、通じはつく、腸閉塞の心配はないし、有害な黴菌は連れ出してくれる。血液循環は完全に行われる。宿便も又共に排泄させる働きがあるため、非常に好結果がもたらされている。寒天の作り方はテトラパシー第四巻第七号七〇~七二頁、及び第五巻第九号の四〇頁に詳しくあるし、なお、英文及び日本文の「西式健康法」中にもあり、日本文は二三四頁に述べてあるからそれによって作られたい。
断食と飢餓 西式断食法と飢餓とは全然異なったものであって、断じてこれを混淆(こんこう=異種のものが混じってしまうこと)してはならない。罹病者が、望みさえすれば自由に手に入れることの出来るにかかわらず、自ら進んで食物を断つ場合は、そうした禁欲は何ら懸念すべき害を招来すべきものでなく、真性の飢餓疾患の状態などに陥るはずはなく、正常の空腹感が自ずから顕われてくるのである。規則的に食物を摂るという習慣にした方が良いということが、昔から深く根ざしているので、人々は人体が食物なしに長期間生存出来るということを知らない者が多く、飢餓というものを極度に恐れ怖き、数日間でも直ちに死んでしまうものと思うのが間違いで、人間にしても他の動物にしても、そう易々と決して死ぬものではない。餓死などというものは多くの場合、山野に踏む迷い、風雨に曝され、あるいは難破した船の板上や無人島に漂着した場合、凍え死するとか、排泄作用は閉塞されるというような事情が伴うものである。それと、この断食法とは全然趣を異にするのである。適切な指導の下に行われる断食にあっては、乞えば食物が与えられ、沐浴、浣腸等その他多くの方法によって体が助けられ、食べること以外のあらゆる愉悦が享受し得れるのである。
罹病者は、西式科学的断食療法とか寒天食餌法とかの哲理を理解しない友人の医師と、論争するなどすることを努めて避けてほしい。それは専門家にして既に充分理解されている医師の方々も沢山いることであり、何も知らない人々と争うことは、それだけ自己の精神を惑乱するだけであり、又いかほど真摯な気持ちで、必要な方法を厳格に守り行う方がとしていても、その妨げとなるかも知れないからである。
”思考は物である”(Thoughts are Things) この言葉は英国の諺であるが、色々に味わえられる。断食療法と飢餓との総意を悟られないような頑固な友人、知人、親戚あるいは医師を如何に説服しようと務めてみたところで害にこそなれ、ほとんど何にもならない。自然が断食をさせるときは、疾病が急性に来たときとか、慢性の疾病がいよいよ追い詰められて治癒への転機へ到着する時などに大自然は食欲を与えないで、生水のみで、時には水も通さない場合もあるが、平癒するまで続けられるものである。平癒後は、もはや、そうした治療を行う必要はなく、失敗するのは多くこの場合であって、食べられないから大変である、食べなかったら死んでしまうと、自分もそう思うし、周囲でも騒ぎ出す。そうなると、一人や二人の力では何とも出来ないことがある。こんな場合に浣腸さえすれば食欲が出るに違いないが、しかし一日に五回も六回も続けざまに行ってもいけない。大自然は食欲不振を与えると同時に必ず大下痢を与えて自然排泄が起こってくる。この自然排泄を起させようとするところに食欲不振を天が自然に与えるので、何様、何十年か十数年とか長い間、生まれると一定の時期々々に食事というものを摂り、又生まれたばかりの赤ん坊も、自分の長い体験とか習慣から、食物というものを与えなければ育つものでないと頭の中できめてかかるので、さて母乳がビタミンBの欠乏から、乳児が四肢厥冷(けつれい=漢方医学用語で手足が冷たくなること)を起して、チアノーゼ【紫色】を来たしておれば、それは必ず腎臓と肝臓と心臓が支障を起しているのであるから、そういう場合は、母乳を直ちに中止して、補助食である玄米重湯に野菜スープを与えるとか、それで浮腫みなどが来た際にはまだまだ心臓、腎臓が本当に治っていない証拠であるから、一日あるいは二日、多きは三日位何も与えないで「生水」の中へ「クリマグ」(現在の「スイマグ・エース」と同一成分の緩下剤)を少々混じたものを【下痢がひどく起こらない程度、一日六、七回の軟便程度】チビチビと絶えず与えて、手足の温冷浴をすること一日二回、脚湯も一日一回は午後に行うとか、風療法(裸療法)も朝夕二回行うとか、適宜見計らって行うならば自然と浮腫みも引き、本当の食欲も起こり、治癒に向かうものである。
この大人の長い経験と習慣とは、食物と生命というものが頭の中にこびり付いているがため、身体の異常に際し食物を断つという、この大英断が躊躇されるので、一家こぞって、この考えが完全に頭に入っており、見舞い客までが、その考えになっておりさえすれば、少しも心配は要らないが、さてなかなかこの食物を断つということは、何だか、かなり西式に理解があるという人々でさえ、最後の「一か八か主義」位に思うのは返す々々も遺憾であるが、この悪い習慣さえ反省して、良習慣、「病気を起したら直ちに食を断つ」ということが行われるならば、それも決して長いのではなく、多くて三日間、腫物が出来たといっては二日間断食、風邪を引いたといっては一日間断食、足が浮腫んだと思ったら毛管運動をやっては断食一日間というように、体に故障さえ起こったならば、とにかく、断食さえすれば治るものだが、さて絶対断食をしなくとも、今では寒天食餌療法というのが完成したがゆえに寒天食をすべきであることは、日本文「西式健康法」の234頁に詳しく書いてあるから、よく読んでいただきたい。ここに注意をしておくことは何でも病気を治すには寒天さえ食っていれば治るものと考えてはならない。寒天は腸の膨満感を与えると同時に腸閉塞を防ぐ手段と、腸管の炎症を治すことと、宿便を排除することと、さらに有害菌とか寄生虫までをも排泄するのが目的であるから、連続は四日で、七日でも差し支えないものの、四十日とか六十日の栄養回復の期間をおいて行うべきで、一日や二日の寒天食だからとて、隔日に行ったり、三日毎に一日づつやったりしては、栄養不良に陥る恐れがあるから、一、二日の寒天食餌療法でも、必ず、一週間の期間は正しい食事を摂ってから行わなければならない。
悲哀感とか、憤怒、激烈な疼痛等の消耗的な感情によって、非常に精神的打撃を受けている際や、極度に疲労している時などには、一、二回の昼食とか夕食を控えることは絶対に必要である。そんな場合の食事は害はあっても決して益はないからである。
(続く)
(月刊『西式』昭和12年7月発行第1巻第5号)
健康へのちか道 (五) (第4回)
西 勝造
第三章 一般疾患とその療法
皮 疹
この皮膚病はたいてい、顔とか背中に、にきびのようなものや、痂(かさぶた)、小膿疱(のうほう)、炎症性の赤みなどが出来るのを特徴とする。皮膚が醜状を呈するので、患者はひどく心を悩ますのであるが、この焦々(いらいら)しい病症を征服できる特効薬は今まで一つとしてないのである。ところがわが西式では治せるのである。それはさておき、これが特によく現れるのは、組織的変化が起こりつつある春機発動期に多いのである。が、しかし内部的要因としては、誤った飲食物、特に脂っこい天麩羅とか中華料理でいう古鹵肉(くうらうよう=非常に脂っこい肉料理と思われるが内容は不明)とか、ドーナッツのようなものや、麺餅、その他砂糖菓子類等を過度に摂取するとか、青の色彩をもった魚類のごときものを食したりすると血液状態に変化を起して発症するのである。ほとんどその総てが宿便即ち慢性停滞便から来るもので、順序から言えば、大腸内に古い便が溜まっているから、常に脳髄内の血管が麻痺し、その多くが四肢の中枢神経であるから(川上博士「老衰の原因参照)足脚に支障を起し、足の障害は心臓、血管、腎臓(拙著「足は万病の基」参照)の障害となり、それより足の厥冷(けつれい=漢方医学用語で手足が冷たくなること)となり鼻の炎症となって、気管支、肺炎に及ぼし、手の障害は肺に影響し、肺は二次的の負担となって、ガスの完全交換が行われない。それが為血液に変化を来たすことは当然であって、この病症の現れた部分は、多くは血液循環が悪くなっているのが見られる。あるいは又、風邪に冒されては大変だと考えて無闇に厚着をする結果、毛孔や皮脂腺が閉塞し、皮膚呼吸に支障を起し、それが原因となることもよくあるのである。
これを治療するには、まづ第一に疾病を生み出したところの血液中の過剰物質を排除しなければならない。これを実行する最善の方法は寒天食療法を実行するにある。三日間位続けて実行するにある。もし二日間の寒天食をしたが、あとは蜂蜜が鼻について食べられないことがあれば、レモンあるいは夏みかんの絞り汁を飯茶碗一杯に対し二、三滴入れるならば一種の匂いを打ち消すことが出来るであろう。それでも食べられないならば食べないで一向差し支えなく、但し、食べられないで、三日の予定が二日間寒天食をし、残りの一日が真の断食ということになれば、終了後最初の食事はお粥から始めて、しかもその文量も多くなく、飯茶碗一杯位を一回分として順次に増加して三日目ないし四日目に普通食に移るという方針にて、脂っこいものを含まない食物を摂取してゆくにある。必要に応じて浣腸によって、大腸内を清潔に保ち、又一方にはチビリ、チビリと生水を飲んで皮膚及び腎臓の排泄作用を促進しなければならない。その上、クリマグを食匙三杯位(食匙=テーブルスプーン。今日の計量スプーンの大匙三杯とほぼ同量と考えられるので四〇~五〇㏄程度という解釈で良いと思われる)、一人風呂の中に投じ、よく攪拌して、温冷浴を一日朝夕二回実行し、さらに大気療法(裸療法)をこれ又朝夕二回励行するにある。
皮膚の毛孔の不自然な状態を治す(原文では「癒」の文字が充てられている)ためには、大気療法として裸体の際には日光に照らすも良く、少しは日焼け(原文では「日焦」)の傾向を採るもよろしく、何といっても根本治療は必要な飲食上の改廃を行い、内臓の清掃を帰して毒素を排除し、疾病を醸した根源を浄化せしめなければならない。
引例 その一 十六歳の少年 I・K
十三歳当時より次第に皮疹が現れて、だんだんと激しさを加えてゆき、多くの専門皮膚科の大家の診察を受けても思うように治らず、ついに私の許を訪れるに至った。実姉に連れられて来た。両親の膝下(親のもとで生活しているの意)より中学に通っていたが、皮疹のために目下は休学している。多くの家庭の例に洩れず、その全家族は脂っこい非衛生的な食物を食べていることが解った。この少年の便通は二日に一回位しかなかった。けれども母は一般市販の下剤に信頼をおかず、また浣腸は危険な習慣であると常日頃人々より聴いているので、少年は便秘は当然と心得る位、平気であった。彼の顔面はまるで面皰(にきび)だらけであった。
寒天食療法を奨めた。八日間続いた。初めより十日でも十二日でも続けるつもりで、始めたのであったが、九日目には中止すると言い出した。その間、コップ一杯の清水にクリマグ二、三滴を入れたものを一日に四、五回、合計六、七杯飲むことを励行した。そして冷水から始める沐浴を七回づつのものを朝夕二回は実行した。さらに大気療法も日光に浴するものを一日必ず二回、午前十時頃と午後二時半頃とに実行した。
八日間の寒天食療法の後、少年は調理も施さない食品をもってする食餌療法を行うことにした。毎日三回づつ、次の食品中から勝手に選ばせた。
人参 キャベツ ミツバ アスパラガスチシャ(レタス) 莢豆(さやまめ=袋ごと食べる豆の総称) ホウレンソウキュウリ トマト
これらの食品を、少年の嗜好に適するように、種々組み合わせて、全然他の食品は用いないで、二週間続けた。この食品と共にまた生水をチビリ、チビリと多量に飲むことにした。しかし、無理に飲ませたわけではなかった。
この食餌療法が終わらぬうちに、顔面からは、皮疹と面皰の影は綺麗に消え失せた。この十四日間の食餌療法が終わった後も、少年は普通の食事をするようになったが、今度は余り脂肪気の多い食物や、白砂糖をやたらに摂取しないように注意した。それから三年以上を経過した今日、少年の顔はいつも綺麗な美少年となった。以後、彼は一度も皮疹の症状は現れない。
(続く)
(月刊『西式』昭和12年8月発行第1巻第6号)
健康へのちか道 (六) (第5回)
西 勝造
貧 血
この病気は、慢性状態となると、皮膚が病的な青白い色に変じるところから、俗に「蒼白病」(そうはくびょう)と称せられる。こうした状態は、十三歳から二十歳までの若い娘達、即ち性的機能の発達時期にある娘達の間に、最も多いのである。その大部分の場合を調べてみると、たいてい、正常な性的発動の抑圧より来るところの子宮の脱垂が見出されるのであるが、この性的本能の阻害が、ひいては血球の特殊な機能を喪失せしめる原因となり、そのために酸素や鉄分が十分細胞に向かって供給されなくなる結果、健康がそこなわれてくるに至るのである。
もちろん、この病症は、男女を問わず、いかなる年齢の人々にも起こるのではあるが、最も多く見られるのは春機発動期の娘達の場合である。その殆どの場合に今ひとつ原因が見出されるのであって、それは便停滞即ち宿便である。ごくまれに貧血による下痢がある以外、すべて人体の中毒状態は宿便即ち一日一回とか二回の便通があっても古い便停滞あるいは大腸管壁に憩室(本誌第1巻1号54頁参照)を造って内部に黒便を溜めているために、脳神経に影響して、内臓の内外分泌の閉止を来たすのも、その原因のひとつであり、あらゆる場合に胃酸過多が伏在するのであって、これは西式の六大法則を励行するかあるいは食餌療法、温冷浴療法、もしくは風療法(ローブリー法)によって心身の改善を心掛けるか、さもなければクリマグ(現在の製品名は、スイマグ・エース)による胃内の調整、宿便の排除(林医学士著「西式健康法とクリマグ」を参照)をするかにある。
他の一般的徴候としては、非常な衰弱、眩暈(めまい)、頭痛、嘔気(はきけ)、耳鳴り、皮膚の湿冷、脈拍の微弱、息切れ、悪寒《夏でも》、色艶のない舌と爪、視力の虚弱等があげられる。
患者は、一般に信じられているように、みな痩せて弱々しそうに見えるかというと、そうではなくよく肥っていて、栄養過多の姿を備えていることも多いのである。貧血の程度を診断するには、顕微鏡で血液検査をしてみるより外に、適確な方法はない。もし貧血であるならば、鉄分及び酸素を運ぶべき赤血球が二〇%~五〇%不足している。多くの場合、血液中の血球素(血色素のことと思われる)が普通の場合の二五~六〇%しかない。
もし貧血だと言われても、信頼すべき試験所で血液検査を行った上でなければ、本当ははっきり分るものではない。実際に貧血だとすれば、それは酸素と鉄分が不足しているためであり。そうした状態を生みだすべき原因が伏在しているためである。たとえば常に朝夕裸体療法をするとか、温冷浴をするとか、顔色が青白いときは日常の食餌にも青色を帯びた野菜とか、白色を帯びたものを食するとか、衣類や室内の壁色までが白色、青色とし、電燈も、そんな色合いの心持のものにするといった考慮を払うことをしさえすれば、元来、貧血などあるはずがないのである。
その療法の要点を示せば次の如くである。
一、鉄分を多量に含有した食物を多く摂ること。これは鉄療法と称する。飲料物でしたり皮下注射に用いられたりする無機的な鉄剤ではなく、有機的な鉄文を摂る方が良いのである。すべて青い野菜類には鉄分が豊富であって、その主なものにはホウレンソウ、アスパラガス、生のキャベツ、ニンジン等がある。鉄分に富む点では、おそらく卵の黄味が第一等であろうが、これは連続して毎日食べるとひどい発酵や肝臓病を起こすおそれがある。二、三日連続したら一、二日中止するとか、一、二日続けたら二、三日中止するとかといった食べ方が一番良いのである。青い葉の多い野菜類は、調理すると鉄分は変化が起こるからサラダにして精々沢山摂らなければならない。鉄分やたんぱく質に欠けたすべての食物を避け、同化作用によって必要な鉄分を吸収し得るような物質を絶えず胃腸に供給することが肝要である。
二、日中、出来るだけ頻繁に、日焼や心悸亢進を起さないように注意しながら、裸体日光浴をすべきことで、時間としては二十分間位が適度で二十七、八分以上になると血液がアチドージスに傾くから、この点に注意を要する。四〇分~一時間経ってまたまた裸体となって日光浴をするという具合に何回でも差し支えない。日光中にある紫外線は、他のいづれの療法よりも速やかに、一時血球素や赤血球を増加させるのである。一時間の日光浴によって、一〇~二〇%増加せしめることが出来るが、この幾分は次の日に至ると次第に失われていくから、毎日これを行うことが望ましいのであって、そうすると次第々々に増加を見るようになる。そして、適切な食物を摂り、健康増進に必要な西式健康法の六大法則はもちろん、他の特殊の方法をも実行するようにすれば、それが、やがて恒久的なものになっていくのである。
三、一日に数回、屋外の新鮮なる空気を呼吸することは、必要である。しかし、深呼吸を三〇分間も連続して行うと血液体液がアルカロージスに傾いて、幽門狭窄症とか痙攣強直(テタニー)症に罹ったり、また一時に血液の酸化が増大すると、最初は一時的な眩暈(めまい)を起こす場合もあるから、深呼吸は一時に三〇分もすべきものではなく、十分間くらいが適度である。これも肺臓と血液とが多量の酸素に慣れるに従って、間もなく癒って(なおって)いくものであるが、これも二〇分は超えない方が良い。
四、新陳代謝を促進するために、西式健康法の六大法則の第六、西式強健術を実行することである。散歩も最善の運動法であるが、これは足関節とか足の先端方面の違和を、六大法則第四の毛管運動で治してから散歩しなければならない。休息といって座敷の真ん中に身体をごろごろとして寝転んでいることは絶対に良くない。ただ運動と運動との中間の休息は別であり、長い遠足に時々休息するということは必須であるが、安静と称して、貧血病の持ち主だからといって、寝転んでいては決して真の健康体にはなり得ない。
五、貧血に悩む春機発動期娘達は、これ等の運動をすることによって、腹部筋肉を適当に強化補強するが故に、内臓に配置される筋系統が強靭となり、骨盤内に留まることになって、子宮を脱垂せしめんとしていた諸機官が、その正常な位置に回復されるのである。
(続く)
(月刊『西式』昭和12年9月発行第1巻第7号)
健康へのちか道 (七) (第6回)
西 勝造
貧 血(続き)
六、最初の一週間は特に正式に、理想通りの食事をして、それから寒天食餌法(朝食を摂る者は朝食も寒天とする、昼食、夕食すべて寒天食)を一日実行し、また一週間食事を普通に摂っては一日寒天食をするという具合に、一日のものを三回実行したら、次は二週間食事をして二日の寒天食をする。これも三回完了したならばさらに三週間の食事を普通に続けて、今度は三日連続の寒天食をする。寒天を食べることが嫌いなものは、真の断食法をするより外に良い方法はない。真の断食をするに当たっては、必ず私の断食百五十訓を厳守しなければならない。断食初めの漸減食、断食中の心得、たとい予定の断食日が終わったからとて、食欲がなければ悠々として安心して食欲の出るまで待つことである。多くの人々がこの時、慌てふためき、これは大変だ、食べられなければ死んでしまう、食べなければならない、果実の汁でも飲んでみよう、何とか食欲は起こらないものか、大変なことになったものだと悲観するのが一番悪い。
早坂二郎氏訳シンクレーア氏の『現代人の生活戦術』東京・新潮社発行(原名は “The Book of Life” by Upton Sinclair)の二二七頁から二二八頁の一節に「人間は心痛のあまり死ぬということは実際にあり得べきことであるが、断食のために死ぬようなことがあろうとは思われない。私は断食中に死んだ人の例も二、三知っている。しかしそれは断食が死の原因となったのではないことは確かで、断食しなくてもどうせ死ぬような状態にあった人なのだ。断食を試みる人びとの多数は絶望状態に瀕している重患者だということを常に念頭に置いていただきたい。その中には医者の勧告によって断食を中止する者もある。たまたまその中の誰かが死んだとしても、それは断食をしたにもかかわらず死んだのであって、断食をしたがために死んだのではないと明言することが出来よう、どんな患者でも一人残らず救い得る医者などいうものはなく、そんなことを期待するのは愚の骨頂である」云々とある。この中にある『断食を試みる人びとの多数は絶望状態に瀕している重患者だということを常に念頭に置いていただきたい。』とシンクレーア氏が述べているのは確かなことで、断食でもやろうという人は、心身のいずれかに欠陥があるからで、絶対に無病息災の者は思い立ちもしない。その欠陥とは何かと言えば宿便なのである。この宿便のためにいつかは命を取られるか、またこの宿便のために常に心身上に違和があり、不愉快であり、本当に笑えないのである。笑わない喜劇役者というのが外国にも居(お)ったが、日本にも居たようだ。真実笑えないのだ、糖尿病があったり、脳軟化症(中風、よいよい)とか脳溢血を今にも起こそうという身体であるとか、既に二、三十年も前から癌に罹っているから、心から笑えないのだ。すべてと言っていい位、その遠因は宿便が禍をなしているので、乳児時代、幼児、幼年、少年時代、そのいずれから始まったものか百人中の九十八人がそれなのである。
これを完全に排泄するの途は唯(ただ)一つあるのみである。宿便の結果として『疾病に倒れる』から、重症であれば「自然の法則」として「食を禁ぜられる」つまり「食欲不振」に陥るのである。天の配剤とした断食となるのである。この断食こそ根本療法なのである。それは必ず宿便が早かれ遅かれ排泄されることになるからである。しかし、天の命ずる断食まで待つも良いが、それには時日が長くかかる、少なくとも二、三ヶ月位は休養しなければならない。西式の理解のない現代医師に掛かっては半年以上はかかるであろうし、中には不幸の転帰を見る者も決して少なくはない。デューイ博士の著である『朝食廃止案と断食療法』(The No‐Breakfast Plan and The Fasting Cure; Dr. Dewey)の第二章その二十八頁に「食欲がない間は全然食物を禁止することの効用性は、歴然として、何ら疑う余地はなかったのである。欠食せしめたがために、死亡するに至ったというようなことは、ただの一度だになかった」云々、とある。
とにかく、真の断食は出来るだけ自宅でしないで断食道場の如きところを選ばれるが良い。(この後、十二~三行は当時営業していた西式専門断食道場等の紹介のため省略)
(西式専門という意味は、西式寒天食により常に腸閉塞を防御する方法を採るか、さもなければ完全に漸減食、断食、漸増食を実行すること、合掌合蹠による交感神経、副交感神経を並行状態に導き、その他種々暗示の効果を顕現せしむる方法を施すこと。なお、食欲のないものに無理をしてまで食べるということを強いないこと、食欲が出たときは極めて薄い重湯を少量より始めるなど、これを西式専門の断食という)
断食即ち食を断つということ、生水(クリマグ=スイマグ・エースをコップ一杯につき二、三滴混入したもの)ばかりをチビリチビリと飲んでいると、三日にして他に何等の治療行為をしなくとも五~一五%の血球素並びに赤血球が増加する。これは一見、真理とは思えぬようなことだけれども、幾百人の場合に実験証明されたところである老廃物が血液中から排除されるに従って、血液の質は良化され、血球素や赤血球の如き重要成分の率が、驚くべき度合いをもって増加する。特に貧血症のものは顔色が白くか、青白くか、黄味を及(およ)びた白青色になるから、寒天食餌法が済んでから、普通食になった場合には自分の顔色をよく見て、それに応じて副食物を選ぶべきことは前号で述べた通りである。
貧血の治療に関しては、以上の諸点を十分銘記しておくべきであって、まず、血液を清浄化すべきこと、血球素及び赤血球を増加せしむべきこと、これを実現するためには、あらゆる効力のある方法を用い、なかんずく、適当な成分を含んだ適切な食物を身体に与えて同化せしめることが必要である等は、よく心得ておかねばならぬところである。
〔引例、その二〕若い婦人、二十五歳、低血圧症。十八歳当時、扁桃腺を除去したが、その外科手術の影響のためらしく、その時以来、心臓弁膜症にかかっている。患者は至極健全らしく見えたが、化粧を取り除くと、その皮膚は蒼白く、貧血の顔貌を呈していた。血液検査をされたのをみると普通の半分位の血球素しかなく、赤血球は正常状態の五百五十万に対して二百十五万であり、白血球は普通の七千五百に対し三千五百であったことを医師の診断書に記してあった。
患者は、寒天食一週間目に一日のもの二回、二週間目に二日のもの二回、三週間目に三日連続のもの一回実行して、なおかつ、クリマグを連続的に少量より始めて追々増加し、段々量を減じて逆に水を増加して用いること林医学士の述べていられる通り実行し、完全なる通じをつけたところ寒天食三日間連続の第二回が終わった頃には血球素は五〇から七五%に増加し、赤血球は三百九十万に増し、白血球は三千五百から七千になっていた。患者が何等の栄養も摂っていない間に、この増加が実現されたということは、従来の医師の考えでは思いもよらざる事である。
その後、引き続き三週間を経ては三日間の寒天食を五回実行して、普通食を連続すること六か月の後、何回となく血球の検査をしても全く正常状態を示していたと喜んでいた。もちろん、普通食といっても、全ては血液のためになる食物、例えば脂肪分のあまり多くない軽い魚肉、鉄分を含んだ野菜類を多量に摂ることにし、海藻類も無論、副食物の四分の一~三分の一は必ず食べるよう注意したところ、血色といい、筋肉のしまり具合といい、正に完全な正常状態になった。
盲 腸 炎
この症状は、急性症状が現れる前に、常に慢性の形をとって起こるのであって、大腸炎、あるいは結腸の炎症及び宿便、即ち慢性便秘がこれの先行をする。急激にこれが起こると、はじめ腹部の最下部の右側に疝痛が来る。腹部は膨張し、腸を覆う筋肉は引きつるのである。通例、悪寒にはじまり続いて急速に熱が高くなる。舌は絹を被ったようになり、呼吸が臭くなる。たいてい吐き気を催し、またよく少量の水を直ちに吐くこともある。いかなる種類の食物でも、さらに蠕動を促す原因となるものだから、刺すような痛みを惹き起こすのである。医師が直腸を綿密に調べた結果の報告によると、肛門の括約筋はただ右側だけ収縮していることが明瞭である。
真の虫様突起炎、即ち俗に言う盲腸炎には、こうした兆候が起こるのであるが、しかし腹部に激烈な痛みがあり、特にそれが右側であると、手っ取り早く盲腸炎と診断してしまう場合が、極めて多いのである。が、胃が下腹部へ脱垂し、食物やガスで膨張した場合でも、よく盲腸炎に似た徴候を現すことがあり、また胆嚢や腎臓の結石のための疝痛がしばしば、盲腸炎と間違えられることがあるのである。
あらゆる場合に於いて、その病原は結腸の中に糞便が詰まり、大腸の炎症を起こすことにあることは、今日如何なる医師といえども知るに至り、誰一人として疑う者はなくなったのである。これを醸しだすに至る原因は、暴飲暴食の上に運動不足である。ブドウの種などが虫様突起の中に入ったのだ、などということは殆んどないのであって、これを一般病原とは考えられぬのである。この疾患は適切に処置を加えないと、非常に危険な場合が多いのであるが、次のような方法を採るならば、治療は驚くほど簡単に行われるのである。
はじめ病状が突発すると、クリマグを五〇倍の割合に薄めた微温湯(二十四~五℃)を以って二時間ごとに小灌腸を行い(小灌腸とは百グラム以下のもの)結腸を洗浄しなければならない。温湯が十分に保ち得ない時は、その代わりにパラフィンあるいはオリーブ油を少し入れる場合もある。熱い湯を入れ瓶または熱い湯で絞ったタオルで腹部全体を温め、これによって腹部の筋肉がやわらかくなるようにしなければならぬ。時間は十分間、次は水で絞ったタオルで冷やすこと七分間、次は七分間温めて第四回目は五分間冷やすという具合に七掛けの温冷湿布をする。これが全体で五〇分間を要する。
そうすると痛みは取れるが、こういう急性的症状は、たとい、痛みが取れたからといって如何なる種類の食物をも与えてはならない。起き上がったりすると、腸を垂下させたり圧迫したりすることになるから、寝床に横たわって絶対に安静を保つ必要がある。虫様突起内に膿汁があれば、それが排泄されるまでには、しばしば、数日間一日一回の灌腸と完全断食または寒天食とを続けなければならぬこともある。小腸の閉塞が起こる場合もあるが、これはここに略述した療法を熱心に行っておれば、次第に自ずから癒っていくものである。
私は他のいずれの急性疾患よりも、恐らく、この盲腸炎の治療に従ったことが一番多い位であるが、幾百回の場合に於いて一度も致命的なものを見なかった。症状の頂上を過ぎると、結腸内にある慢性的炎症と宿便、即ち慢性便秘を克服することが必要となってくる。そのためには、長期間の慎重な食餌療法を要するのである。慢性的大腸炎の病症をすっかり癒すのには幾週間もかかるのであるから、決して治療を焦ったりしてはならないのである。
(続く)
(月刊『西式』昭和12年10月発行第1巻第8号)
健康へのちか道 (八) (第7回)
西 勝造
盲 腸 炎(続き)
〔引例、その三〕婦人、三十二歳。幼児よりの慢性便秘。突然、右脇腹に疝痛を覚え、従来の医療による数回の灌腸を行っていられたが、依然として、それが完全に排泄出来ず困難の便秘が続いた。それから間もなく腹部膨満で重態に陥り、医師も数人変えてみたが、いずれも結局だめという宣告を下されてしまった。
当時、患者の夫君は、私の方法で結核の療養をやっていたが、元来夫人はあまり乗り気ではなかった。それは夫人の実家のお婿さんが医師であり、内科専門の学位を持っているので、それも手伝ったものと見える。ところがご主人の病気にしても未だ今度のように夫人が重態に陥らなかった以前、名ある医師には数名掛かって少しも良い方向には向かわないので、少し厭きの来ているところであったが、私の方法は、ほとんど反対のやり方である。例えば絶対安静というのに、毛管運動をしろとか、熱があるからアルカリ性の野菜を摂れというのに、酸性の食事をしなければならないとか、すべてが違った行き方なので、夫人は最初は内心主人公のやる事に反対であったが、段々良くなって行くのには何物も抗し得なかった。そこで、今度は自分の事になって、いよいよ重態となり夫人本人には言わなかったそうだが、主人公や夫人の実母には、医師から駄目という話があったので、ついに私に相談されるようになったのである。
腹部の硬脹(こうちょう)と石のような塊とは依然として癒らないのみか、疼痛も相当烈しいのである。吐気は毎日続く。頭痛はする。食事は進まない。内々は癌という診断ということであった。私は一目で小腸が捻転して、それから腸閉塞を起している急性的盲腸炎と診てとったから、義兄の博士を通じてでも「充分信用するに足る経験ある医師に診てもらったらいかがです。元来西式には病名というものは不必要であり、実際統計上には必要かは知らないが病名などあり得ないのであるから」、そう言ったところが三人の名医なるものが各々異なった病名を付けた。一人は卵巣の障害、一人は腸癌、一人は膀胱カタルと診断が付いた。そこであまりのことに、さらに大学の相当名ある先生を頼んだ。その時に、私の判断「小腸の捻転、閉塞に原因した急性盲腸炎」―という名前。これは病名でなくて症状名なのである―ということを話し、かつ以上三名の医師の病名を言うたところ、その先生は明瞭には病名を言わず、あるいは然らん、あるいは然らざらん! という態度で「結局、開いてみましょうか」との意見だったが、この衰弱では、という点でそれもお終い。ついに私の方針に従い、まず第一に宿便を排除する必要から小灌腸をすることにした。
ところが極めて少量の兎糞の如きころころしたもののみ出るだけで中々困難であった。金魚運動をしつゝ林先生の書かれた「西式健康法とクリマグ」を参考され、その通りに実行したものであった。初めの数日間は吐気が続き、どんな流動物でも、食べるとすぐに吐いてしまうので、夫人は少量の水(コップ一杯の生水に対し、クリマグ二、三滴を入れたもの)だけを飲むことにして結局、断食を行ったのである。腹部は全体温冷七掛式の湿布を一日二回づつ行ったが、右脇下腹部の疼痛は依然として続き、約一週間後、夫人は昏睡状態に陥った。私は患者の夫君や親戚の人々に向かって、「この場合に必要な唯一の治療法は、断食と灌腸と腹部に対する温冷湿布の他にはない。虫様突起内に集まっている膿汁が結腸内に移って行けば、疼痛は取り除かれるだろう。また、腸の捻転は、虫様突起の膨張が原因して腹部筋肉が極度に硬脹ために起こっているのである。膿汁の移行と同時に癒っていくだろう」と説き伏せた。
患者は数日間にわたっての昏睡状態にあった。そして一日、電話がかかった。私は地方講演で留守であった。その時、他の一人の医師が迎えられ、その医師はたちどころに「即刻手術」を薦めた。外科医も呼び迎えられ、「もし手術を行わなければ、明朝までは持つまい」と言った。親戚の医師も同じく手術を薦めたが、既に時期を失しているからもはや助かるまいと断言した。
私は関西から帰って来た。電話を耳にするや否や、私は申しました。「最初多くの名医にかかって、だめだからと言って私に相談されたのだ。だから私は初めに、現代医学で駄目と極(きま)った上は、私の思う通りにやりますか、と念を押して初めたのに、今になって、どうだ、こうだと言われては困るではないか」と私も主張した。とにかく、今まで通りの療養法を続けるように切言し、決して他の医師達の言に耳を傾けてはならぬと言った。すると、その夫君は、あたかも盲腸炎の手術で頭脳秀でた大学生の実弟を失っているので、ついに私の言葉に従うことに決めた。約四日間昏睡状態が続いた後、膿汁は虫様突起から流れ出始め、一リットルにも余るかと思われる量のものが腸から灌腸によって洗い出された。同時に詰まっていた結腸が弛んで、おびただしい宿便、黒便が排泄された。後日持って来られた五〇〇グラム入りの瓶に三瓶あった。このとき、小腸の排泄を促すために、クリマグが患者に与えられた。が、この薬は腹部の筋肉が弛んで、何らの危険もなく、腸内を通過する時に創面を治すことが出来るから、初めから与えるのが望ましいのである。
患者はすべての急性的症状から急速に脱し、一ヶ月後には、私の家に夫人がやって来られ、今後どんな養生をしたらよろしいかとの相談であった。そこで私は申しました。「腸の炎症状態を十分癒すために今後一週間目に二日間の寒天食をなさるが良いであろう」と。寒天食は続けられた。六回の寒天食を行うのに四十七日間を要した。(一回に九日を要す。即ち一週間の合法的普通食事二日の寒天食)
断食後即ち寒天食後、夫人は副食物全量の内、軽い白身の魚肉三分の一、野菜類三分の一、海藻類、果物三分の一という主義、そして主食物は麦飯(麦三白米七)を以ってする食餌療法を行った。これを二ヶ月間宛続け、よく均衡のとれた食物が摂れるようになってから、便秘の療法に関して述べるような食物を選んで摂取するようになった。
患者は立派に全快して、今や旺盛な健康を享楽していられる。便秘は根治し、あらゆる点において腸は完全な正常状態になっている。その間に、主人公の病気は省みられなかったお陰か、これも治ってしまった。もちろん、平牀、硬枕、金魚、毛管、合掌合蹠、温冷浴、風療法、クリマグ飲用をされつつあったことは無論である。
[引例その四] 幼児、四歳。その母が近くの町からはるばる訪ねて来て、盲腸炎らしく思える子どもの病状だと語った。私はその子供には寒天食以外の一切の食物を与えてはならないと告げ、直ちに微温湯の小灌腸をはじめさせた。その母なる人は一時、私の健康法をやっていられたことがあるので、盲腸炎に対する私の療法を若干心得ていた。そこで彼女は、私がその子供さんの体貌観測をする機会を待つまでもなく、早速その治療に取りかかった。疝痛の兆候はすぐには消え去らなかったので、二日後、私も多用の身であり、その後の病状を聞いている暇もなかった。その内に親戚の反対で、西式には理解のない医師が迎えられたが、彼はその灌腸を中止するように忠告し、盲腸炎にこんな療法を行うのは危険極まることだと言った。それから私の方へ電話で、どうするかとのご質問。
「私としては、呼ばれた医師が言われるのにはなんとも致し方ありません」あっさり答えた。しかし、その時言いました。私は、私の子供なら断然灌腸を続けること、私の子供なら、寒天を食べさせておいて、私の子供だったら腹全体の温冷七掛け式の湿布をすると、その母に説き聞かせた。「子供には寒天食餌法以外のいかなる種類の食物も与えてはならぬ」と言った。子供はほんの少量の水だけを飲んで、八日間寒天食のみを行った。八日後膿汁が結腸から多量排泄されはじめ、四日間ずっと排泄され続けた。膿汁排泄の兆候がすっかりなくなるまで寒天食が続けられ、全部で十五日間という普通幼児には必要とされる以上の、長期寒天食が行われた。無論、骨と皮という痩せ方であった。
盲腸炎は全快し、その子供は現在に至るまで(今日で一ヶ年三月目)未だ一度も腸炎や盲腸炎を患ったことがない。
この治療中、私が多くの断食療法の場合に見ているような、特殊な変化が子供の上に起こった。発病以前まで、その子供はほとんど笑顔を見せたことがなく、巨大な悲愁を背負い込んだような、悲しげな鹿爪らしい幼女の風貌を呈していた。ちっとも母の膝の上にのろうなどとせず、母と一緒に西会へ来られた際なども、そこにいるすべての人々を怖れているようで、少しも無邪気な気持ちなんぞ持ち合わせてないかのようだった。だが、寒天断食後には、その全性格はまったく変化し、陽気で幸福そうになった―まさに断食療法を始める前に見せていた性格とは正反対になったのであった。
(続く)
(月刊『西式』昭和12年11月発行第1巻第9号)
健康へのちか道 (九) (第8回)
西 勝造
喘 息
喘息のもっとも特性とする兆候は呼吸困難である。人体の使用に必要な空気を吸い込んだり吐き出したりするのは、主として横隔膜の活動によってなされるが、これは肺と胃と腸の間にある平たい筋膜である。これが収縮すると空気と有毒なガスが吐き出され、拡張すると肺臓へ空気が吸い込まれる。もし胃腸のガスが横隔膜の上方へ圧迫していると、その圧迫を下方へ押し下げて十分な吸入をするのには困難が伴う。こうした状態の下にあっては、虚弱な横隔膜を以って適当な活動をなすことは不可能なので、そこに肺臓内へ十分な空気を吸込もうとする際に苦難が生じ、吸入時に喘息特有な、ゼイゼイという音が聞こえるに至るのである。無論、これを醸し出すには、刺激的な塵埃とか植物の花粉、木の香(例えば米松の新材で造った家屋に移って喘息の起こった人もある)あるいは神経系統の攪乱状態等の諸原因もある。患者はあらゆる治療法という治療法を試みても効能がなく、たいてい相当な年齢までゼイゼイみじめにやり続けた挙句、自分の病症治療のために用いた薬品のために、ついには薬剤中毒の症状となって重体となり、医者もサジを投げるという、惨めさに至るのである。実は言ってみれば、まったく初めは、そんなつもりではなかったので、医者にもかかり、医薬を信じて、死ぬことを怖れていたのが、しまいには死なないことを怖れるようになるという格好である。
これの根治法の要点は次の如くである。
一 横隔膜を強靭にし、自由自在に最大限の吸入と放出とが出来るようにしなければならぬ。
二 過度に胃腸がガスを生じるような食物を避け、消化状態を回復して、適切に按配された食物が摂られるようにしなければならぬ。炭水化物(即ち糖分と澱粉)は喘息状態の原因となるガスの鬱積を造り出す唯一の食物であるから、相当な期間、これらの摂取を避けるのであるが、また極端に炭水化物を中止してしまっては栄養不良に陥るから、ただ苦しい時に少し減らすという方針をとるのである。しかしゼイゼイという音が十二時間~四十八時間内に消失しようとするならば、断食が一番確かな療法である。何となれば、宿便のために胃腸が完全に働かないから、ガスが出来るので、このガスを交換呼吸することが出来ないから、連続的に小刻みにゼイゼイやって交換作業をやってくれているので、人間にとって、まさにそれは非常時なるがゆえに苦しむのである。この時、寒天食餌法とか絶対断食を二、三日でもされるならば新たに栄養が入らないため、ガスも出来ず、排泄物は排除されるから、胃腸も働き出し、治ってしまうのである。
炭水化物を含まぬ食物を慎重に選んで食餌療法を行えば、この悲惨な症状は徐々に快方に向かってくるが、しかし、この場合、西式断食療法を行われるならば、この病気の如きは神速な魔術的効果を現すのである。肺臓中に気管支粘液が多量にあると、平癒は遅いが、しかし、やはり癒ることは的確である。他の何法を用いても断食法に匹敵するものは恐らくあるまい。
ある若い婦人が喘息で長年苦しんでいて多くの医学博士にかかっていた。中にも大学の大先生が一生懸命に治療されていたが治らない。そこで私に相談されたから、私は、「一切の医者を断(ことわ)って、専心西式健康法をやってみようというご決心のつくまでは、まあまあ大先生にやってお貰いなさい」と返事をして相手にならなかった。ところが、その事を若奥さんが主治医に話されたものである。「フーム、一切の医者を断れとな、そんなら治してやるとな、偉い男もあったものだ。マァ奥様そんなものを信ずると大変ですぞ。とにかく、奥様のは普通のではないから治りが遅いので、その内には軽快されるでしょうから」とまたそのまま六ヶ月位も過ぎてしまった。
親戚の西式に熱心な方から伝言(ことづて)があった。いよいよ医薬を断るから助けてください。だんだん衰弱して栄養、栄養と色々のものを食わされ、注射され、飲まされ、この頃では益々ゼイゼイが甚だしくなって死ぬに死ねない有様だから何とか助けてくださいとのことであった。私は即座に答えました。何も私が参らなくても―参ってもよろしいが、断食することです。西式断食法をやることです。(まだその時は寒天食餌断食法を発表しなかった時であった。本当は寒天など食べなくても差し支えないのであるが、時間の経済と腸閉塞を防止するためと宿便を排除するためである)と返事したがため、それではと言うので三日の漸減食をやって本断食をやったのである。ところが三日目にバッタリ喘息症状としてのゼイゼイが消失してしまった。そこで大事をとってさらに四日間、都合七日間の断食をやって、極めて慎重に薄い重湯を小杯に一杯という具合。ここに欲ばって多く食べたり、硬いものを食べたりするものが死んだり苦しんだり、つまり西式断食一五〇訓を軽んずる人々が失敗するのである。その婦人は慎重に私の言う通り、かなり痩せられていたので重湯を摂りはじめて八日目からお粥を摂られ、お粥から普通食に移られたのは二週間後であった。もちろん、その間、五十訓にあることを守られたことは当然で、断食を始められて十日目におびただしい多量の黒便と宿便とが排泄され、食養法も私の言うとおりされたので、さしも長年の喘息も完全に治られた。奥様は「医者というものは治すことは知らないで、治す、治すと言って重くしていくということがはっきり分った」と述懐されていた。その後は多くの治験例が山ほどあり、現代医学が今もなお、喘息を治すのに栄養一点張りと注射、これでは治そうとしたとて治せるものではないのである。
中には自分は転地療法だ。イオン療法、鍼灸だ、温灸だ、温泉療法だ、注射だ、精神療法だ、気合術だと色々なものをやっているから、もう何をやっても慢性で駄目なのではないか、との質問をされる方があるが、そんなことはあえて懸念されることはいらないのである。私の許へ相談を求めに来る人々にあっては、その人が忠実に私の指導どおりの健康法を実行されて、一人として完全に根治しなかったことはないのである。恐らく、古い症状の方が、軽いものよりも容易に、この西式に対して反応を示めすという理由は、長く患っている患者は、些の違背もなく(さのいはいもなく=完璧に指示に従っているの意)厳格に方法を守られ、従われるに反し、ほんの症状が始まったばかりの患者は、食物的制限を守り行く気持ちになれず、今迄通り食べながら治したいという療法を求める人が多いからで、容易な方法を求めて時間を浪費してはならない。そこには他の方法はないのである。
[引例その五] 壮年者、三十六歳。
この患者は約五年前に私の許を訪れた。彼は幼年時代から喘息を患い、かつて運動をやったり、ハイキングをしたりすることは無論出来なかった。終日喘息用薬剤を口にし、ほとんど夜中じゅう喘息用粉薬を室内に燻し続けていた。これを数年間実行していたが、年毎に症状は悪化するばかりであった。医者にかかりながら、私のところへ来ては運動はどうするか「西式断食療法」は実業之日本社から出るとすぐに買って読んだが勇気がない、実行できないと言い言いとうとう月日は早いもので、五年の星霜は経ってしまった。
今日彼は言う。五年前に先生を信じさえすれば二万円の無駄遣いはしなくて良かった。何様、四、五年前に医者に西式断食療法はどうですかと聞こうものなら、言下に吐き出すように「イケナイ、あんなインチキは危険だ」と言われたものだ。それが今日この頃では「西という人は偉い人です。なかなか研究されているのです。我々は教わらねばならないです。イヤ結構です」とまるで手の裏を返したようなことですから、これから先生の方法でやりますと、五ヶ年間二万円の月謝を医者に払って、目が覚めたのである。
彼はただ生水だけを自由に飲みながら、絶対に断食を三週間続けたのであった。無論、七日間の漸減食準備をやって、本断食にはいったのであった。漸減食準備中、結腸内に鬱積している糞便を除くためにクリマグを適度に用い、一日に四、五回から七、八回便通のあるように量を加減したのであった。かなり多量の宿便が出た。断食開始の当夜から、よく安眠できるようになった。
三週間の断食を行い、ついで次のような結果にして仕舞った。
一、朝食は完全に廃止した。
二、午前中は一切の栄養となるべきものは摂らず、摂氏二十五度前後の生水を自由に 飲むこと。
三、入浴も水浴から入ることが出来、水浴で終わることが出来、五回の場合と七回の時とがある。
四、年々十二月、一月、二月の寒さ甚だしい三ヶ月にわたるもの、六月、七月、八月の三ヶ月暑さの甚だしい季節、二 組の大気療法を励行すること。
五、半搗米(はんつきまい)と玄米とを七対三に混じたものを常食とすること。
六、主食には米を以ってし副食物は野菜三割、肉食三割、海藻類三割を摂り、残り一割をビタミン主義としたこと。七、一日朝夕二回は必ずコップ一杯の生水にクリマグ二、三滴を入れたものを飲用すること。
以上が長年の喘息、二万円を医療費に投じて治せず、西式によって救われたる実例の一つ。
(続く)
(月刊『西式』昭和13年1月発行第1巻第11号)
健康へのちか道 (十) (第9回)
西 勝造
[引例その六] 小児男、七歳。
彼は生後数日間にしてゼイゼイ喘息的徴候を発するに至った。これは出生当時、あまりに厚着をさせ、あまりに早く授乳した結果、胎便(カニババ)を完全に排泄することが出来ず、それがため、不消化から来る不断のガス圧迫によったことと、特に母親の腸内に起こっていた慢性便秘が原因していたものが、その母乳と共に子供に移されたものであった。母親は六ヶ月間その子供を哺育したが、ついに子供は重湯を加えて按配した牛乳を以って育てられるようになった。腹部の膨脹は依然として続き、毎夜ゼイゼイいって寝付けなかった。小児科の医師、呼吸器専門の医師、果ては○の道、○○の家など、他人が少しでも治ったとか、良かったと知らせてくれるものがあれば直ちに走ったが、何れも効果がなかったのである。かくして七歳になった時、母親は私の許へ相談に連れてこられたのである。
この小児には六日間の寒天食餌療法を行った。その間、コップ一杯の水に対し、クリマグ二、三滴を入れたものだけを飲めるだけ摂らせた。もっとも、その小児の前では両親も、その小児の二人の姉も一緒になって寒天食餌療法の仲間入りをして完全にし仕遂げさせた。しかし、すぐ上の姉の子はだだをこねたので外出させて最後の二日だけは軽い食餌を摂らせて仕舞ったと母親は言っておられた。私に会ったその翌日から、始められたので、その日は菓子も何物も与えられなかった。会った日の午後三時過ぎにクリマグ入りの微温湯の灌腸を行い、牛乳一合にクリマグ茶サジ五杯、黒砂糖を茶サジ二杯入れたものを午後六時頃与えた。すると小児は、生まれて初めて夜中じゅう眠り通し、それ以来、毎夜十一時間または十二時間眠るようになった。
六日間の寒天食餌法の後、次のような食物を与えたという。
朝食―生の卵の黄身だけ二個、卵の黄身は三日間続けては二日間休むことにし、この二日間卵黄を止めた日は粥を軽く 二杯(お茶のみ茶碗に一杯位なもの)に白身の軽い魚を少量。
昼飯―主食に半搗米御飯軽く二杯。鯛のさしみと煮魚のものを隔日に少量交互に与え、調味したホウレンソウまたはミツバ、ダイコンの絞り汁を三〇グラム与えた。
夕飯―主食物は半搗米、軽く二杯半。小さな焼肉一切れ、または鶏肉少量、なるべく澱粉を含まない野菜を種々取り混ぜたもの。
夜間―喘息が発作することの懸念を無くするため、裸療法を朝夕二回と温冷浴就寝前一回、クリマグ適宜一日二、三回の便通のあるように用い、クリマグ飲用を嫌がるときは小児が就寝する前に灌腸を行ったが、後に牛乳の中へ煮た黒砂糖を一サジまたは二サジ入れたら喜んでクリマグを飲むようになったという。もはや、ガス圧迫が起こる恐れのないことが、数日にして明らかになったので、間もなく灌腸もせず、クリマグも茶サジ一杯~二杯で良いようになった。右の食餌療法は五ヶ月間継続され、今この小児は健全な少しも喘息の発作なく、すこぶる元気に学校に行けると楽しんでいられた。
[引例その七] 老人、七十六才。
北清事変に従軍した老兵者(ふるつわもの)だが、戦後、まもなく喘息を病んで長年間、妹の某家で暮らして来、たいてい、床に横たわったままだった。治療を行った当時は、その数年以前から、市外の実妹の家で過ごしていた。喘息のために働けないので、自分の息子達の扶助を受けたりしていたこともあるが、ほとんどいささかの恩給と妹の世話になって生活していた。従軍する前までは雑誌記者だったと言っておられた。
この老人には、いくら寒天食が良いといっても、どうしても食べない。本当の断食療法をやりたい。自分のような者は手数が掛からないので、ジッと寝ていて、人の世話にならないで、治れば良し、治らなければ治らないで、死んだら死んだで良いから、二週間でも三週間でも四週間でも、本当の断食をする。自分勝手に飯も何にも食わないでいて死んだとあっては、忰(せがれ)や妹に済まんじゃ。何にも食わせないで殺したなどと汚名を着せては貧乏しちょるから気の毒じゃで、そこで先生の指図どおり、断食療法をやってみたい。先生の直筆の実行表を造って下さいとのことであった。しかし私は寒天を食べてやった方が安全であり、それでないと私はお断りすると言い切った。ついに老人はよく聞き分けて寒天食を続けることにして二十二日間に及んだ。出た出た宿便、黒便、ほとんど小さなバケツではあったが一杯(約二升=三、六㍑‐のかさ)に近い。始めて三日の後、ゼイゼイという喘息的徴候はすっかり消え失せ、寒天を始めてから二十日後には、幾年間も咳と共に吐き出し続けていた粘液質の排泄物は出なくなり、寒天食餌を終える頃には、肺臓は、かつて何らの支障もなかったかの如く、健全になっていた。
それから以後というものは何でも構わず食べられるが、常に八分目という方針で摂生された。またあまり運動というものをやらなかった老人ではあったが、それからは歩くことが好きになり、今もって達者で、今年八十一歳の春を迎えられた。
(続く)
(月刊『西式』昭和13年1月発行第1巻第11号)
健康へのちか道 (十)(続き) (最終回)
西 勝造
自 家 血 毒 症
この状態、極めて普遍的なものであって、ほとんどすべての疾病中に存在するものである。身体のあらゆる部分を検(あらた)めてみても、何等疾患が認められず、診察する医師が、患者の意気消沈の原因について小首を傾けることがあるが、これはよく単に一種の自家中毒症に苦しんでいるに過ぎないと分る場合が多いのである。こうした状態は、新陳代謝作用の転倒から生ずる老廃物が原因をなすのであって、そこに醸成された毒物が正当な経路を通して十分に排泄されないところより起こってくるのである。
私の療養経験によれば、私の許へ診察を乞いに来る多くの患者は、他の医師達の手で、ありとあらゆる診断を受けた末、家へ帰ってそんな苦悶は忘れてしまいなさいと言われたり、実際何の疾患もない、病気と思うなどは妄想に過ぎないか、あるいは神経に違いない、と告げられたりしているのである。これは真実の言葉である。
例えば昨年、九州のある市で赤痢と称したり、何とか急性伝染病とかいって大変な数の人々が罹った。実際に二万人に近い人々が急性下痢をしたのである。この場合、病気はどこかに在るかと言えば、私は病気はどこにもないと言っている。頭の中か?胸の中か?腹の中か? 一体どこに病気が在るのか? 下痢をして排泄しなければ危険であり、生体が損ぜられるから大至急に急性に下痢で毒物を出してくれているのであって、何でこの状態が悲しむべきことであろうか、そういう生体に中毒作用を与えるような液体か固体か気体か何物かが入ったから急速に出してくれたものを、感謝こそすれ、それ恐るべき大病の襲来だと下痢を止めたり、食塩注射をしたり、それブドウ糖だ、リンゲルだ、ゼラチンだ、アラビヤゴム液だ、と大騒ぎして、本当の病気にしてしまうのが近代の医学の行き方で、非常に間違った考えである。
こういう場合には直ちに、西式では生水(摂氏十四、十五℃位)をコップ一杯に対し、クリマグを二、三滴入れたものを五杯から十杯位も飲むのであるが、もし飲めなければ湯タンポで身体を温めても良く、熱い入浴をしながら飲むのもひとつの方法である。下痢をする前に腹がチクチクするとか腸が膨満感をいだくから、その時にクリマグを二、三滴入れたものを二、三杯飲めばそれで治ってしまうのである。急に下痢をして何ゆえ危険かというに、それは脱水の結果、非常に有毒な物質であるグアニヂン(guanidine)が血液中に蓄積されるに至るからでマイノットとドッドという米国の小児科の博士が『アメリカ小児病雑誌』へ「グアニヂン中毒、ある種の小児の臨床症状を複雑ならしむる因子」と題して四、五年前に発表している。(Dr. Minot and Dodd : 『Guanidine Intoxication – Complicating Factor in Certain Clinical Conditions in Children』;「American Journal of Diseases of Children」)。
また、ムーン博士、ケネディ博士が「病理学雑誌」第十四巻、三六〇頁に「震蘯(しんとう)の病理」と題し「脱水と組織破壊との結果、血流中にグアニヂン及びおそらくはヒスタミン、またはこれに類似の物質が過剰となるところから、一種の中毒状態が起こる」云々(Dr. Moon and Kennedy :『Pathology of Shock:「Archives of Pathology」1932, 14)と述べながら水を飲ませることを知らない。
次に下痢で恐ろしいのは急速に腸の内容物が流出するので、ホプキンスの法則に従って腸管内壁を侵蝕破損するがために内出血をしたり、腸が斂縮(れんしゅく=一度の刺激で一度だけ収縮して元に戻る反応、現象)して閉塞を起し、腸血管を破裂せしめて不幸の転帰をみるに至るからで、この恐ろしさから、創傷を治す力のある下剤を用いなければならないということが明瞭であろう。世界広しといえども、創(きず)を治し得る緩下剤というものはクリマグをおいて将来は知らず現在はどこにあるだろうか。要するに多くの医師が健康診断を行って、どこにも故障が無いと言い切って、一時間も経たないで脳溢血を起したり、吐血したり、前者は卒中ですから是非がない、後者は急性潜伏性胃潰瘍なるがゆえに、人力をもってしては如何ともなし難く、命ばかりは別物だと空うそぶかざるを得ないので、その代わり自分等も脳溢血をやったり、癌に侵されたり伝染病に罹ったりするときは医者の不養生と言われる。いずれにしても本当のことが分らず人の命を預かるのが間違いであるが、現行法規の上では如何ともなし難いのである。二、三千年来逐次発達してきた現代医学が誤謬であると誰が思うであろうか。よもやとは思いながら、他に公認療養所が無いがために是非もなく、我が子、我が妻、我が夫、我が親と次々に疑惑を持ちつつ失っていく有様である。研究心の無い人々、病気は専門医にまかせておけば、能事終われりと思っている人々、多忙で家庭を顧みない人々、何々博士、某博士、某大学教授博士と博士の名前の好きな人々、家門に対し老大家を呼ばねばおさまらない人々、病院に入って、襲来する見舞客を撃退する人々、病気と称して外出する人々、責任逃れの入院、薬瓶下げて片眼を包帯している意気姿の好きな人々、世は様々である。だからと言って病気治療所が必要だとはいえない。元来病気を治すということはないのだ。誤った指導から疾病を造って、誤った考えで治すのだ、という論法はないのだ。西式では絶対に病気を治すとか治療をするとかいうことは目的としていない。本来は病気に罹らない法、間違って病気になったら、間違った道をたどって元に返す方法を講じているのであって、決して病気を治すとは言わない。病気を治したら、それこそ命があぶないのである。症状は療法であるからである。しかしながら、誤った予防、間違った体育法、不完全な衛生法、履き違えている医学等が真の自然の常道に立ち戻った暁にこそ「何んにもいらない」時代であって、常に言う『異聞録』にある「覚むれば南柯夢」(さむればなんかのゆめ=唐代の小説「南柯記」の故事から、「はかない夢」の意)なりと言っているので、どう説明し、いかに引例したら分るだろうかと手を代え品を換え、あるいは正面から、もしくは裏門から、からめ手からと解説するのを聞かれた会員の人々にて、もし間違った事を述べているが如くに思い違えたり、方針や根本が異なって来たかのように、聴かれる人々があったとすれば、それは真の西式が解っていないからであって、釈迦は四十九年の説法の後、われ一字不説(いちじふせつ)と喝破された。
私は釈迦を真似るほどの大胆さも大それた料簡はさらにないが、今後何十年か経ったならば「御苦労でした、私は何も言わなかった」とご挨拶するであろうことを今断っておく。
要するに自家血毒症とは万病を起こす根本と見てよく、これはあらゆる場合において、己自身の体内に造り出され、しかも排泄されないところの毒物より起こるのである。体内に醸成された毒物は、血液や体組織を構成する他の流動物の化学的作用を変化せしめる。完全な健康は体内流動物の的確な化学的作用に基づくものなのである。
自家血毒は主として次のような原因から醸し出される。
身体内が精神的又は肉体的エネルギーの消耗によって、衰弱している時は、しばしば腸内に堆積し居れる黒便、宿便即ち糞塊を排泄しようとして働く作用を起せば起こすほど、腸内容は一箇所に多量となり、ついに腸管の一部をせき止むる形をとり、腸閉塞を起こすか、自家融解を来たすか、腸穿孔を生ずるかが、その主たる原因であるから、常に西式六大法則の第三、金魚式脊柱整斉法を怠らず行うことによって腸管内容物の配列を正しくするのである。また他の原因のひとつに胆汁過多を生ずべき食物の過食がある。胆汁は消化液として、また、毒素排泄剤として用いられるものである。すべての炭水化物及び脂肪性食物は、身体細胞によって用いられるまでに、肝臓を通過して必要な変化を経なければならぬ。もし、肝臓がこれ等の食物類を以って過労するならば、身体の一般老廃物を排泄すべき正常の機能を営み得るだけの時間やエネルギーに不足するようになる。皮膚が十分に生理的機能を発揮していないならば肝臓は不活発となり、毒物を体内に停滞せしめる原因となるのである。
血毒症の最良なる療法は寒天断食法が一番最先(まっさき)に行うべきで、朝夕風浴法、温冷浴、脚湯法なども効果的である。
(了)
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