西式健康法

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新解・西式健康法とは

約25分

西式健康法創始者 西勝造について

 西式健康法を創始した西勝造は、1884年(明治17年)神奈川県高座郡鶴見村(後に大和村と改称→現;大和市)で土屋藤吉の3男として生を受けました。土屋家は地元ではそこそこの名家であり、次々代当主の土屋利保氏は長年神奈川県会議員を務め、またその長男である現当主の土屋氏は大和市議会議員を経て、平成7年より19年まで3期に渡って大和市長を務めました。

 当時は、長子が基本的には家のすべてを引き継ぐ慣習でありましたから、3男であった土屋勝造は後に九州の西家に養子として入り西勝造となりました。

 土屋勝造は子供のころから体が弱く、とても二十歳までは生きられまいと言われていたこともあり、健康法・民間療法・宗教に興味を持つに至ったということなのですが、同時に職業としては土木技師を選択し、当時多くの若者の就職希望企業ナンバーワンだったであろう三井本社に、鉱山技師として就職することができました。

そしてその中でも花形でもあり、坑道が福岡県の大牟田市から熊本県の荒尾市にまで至る三池炭鉱に配属され専門技師としての経歴が始まりました。

三井三池炭鉱時代の職名は「坑長」という肩書であったそうですが、子供たちは父親が「こうちょう」と呼ばれていたので、学校の先生だとばかり思い込んでいたとのことです。

なお、この辺りのことについては新潮新書「健康の天才たち」(山崎光夫氏著)に詳しく紹介されておりますので、創始者の経歴、人柄等にも興味がおありの方は是非ご一読ください。

さて、その西勝造は当時の欧米最新鉱山学、採掘技術を熱心に研究、実験し鉱山技師として名を知られるようになり、明治専門学校(国立九州工業大学の前身)の講師を務めたりするようにもなりました。

さらには、当時の東京市が日本最初の地下鉄道建設構想を計画した時には、設計責任者として白羽の矢を立てられ、米国の地下鉄道研究視察目的で1年間の米国留学、また東京市議会で地下鉄道計画が承認されるまでの最後の2ヶ年間は東京に家を用意され、あてがい扶持までいただいて地下鉄建設にゴーサインが出されるまで待機をしておりました。

何を申し上げたいのかというと、西勝造は医学の専門家という肩書こそなかったものの、失敗が絶対許されない日本最初の地下鉄計画を成功させるため、設計責任者を任せられるのは西勝造しかいないと期待されるほどの超一流の土木技師、隧道(トンネル)設計専門家として知られた人間であった、ということをご理解いただきたいのです。

留学資金や東京で待機中の家賃、さらにはすでに子供も四人にいた西勝造のための生活費を用意してくれたのは、地下鉄建設によってメリットを受けるという経済目的もあったのでしょうが、当時の実業家や素封家の方々です。

当時は地下鉄推進派と、建設コストとしては安いモノレール推進派の真二つに分かれていたそうで、その地下鉄派(当時の後藤新平市長は地下鉄推進派)の期待を一心に背負っていたということです。

医学という学問分野は経験主義が中心ですから、長いこと師匠に師事して徒弟的に修業を積まないと一流にはなれませんが、土木の世界はほぼ100%科学ですから、一年間米国に留学してみっちりと学ぶべき内容などは存在しません。

実際の現場を視察させてもらい、基本的なこと、例えば、一見しただけではなぜそこに取り付けられているのか理由が分からない構造材等があれば質問し、なるほどと理解しメモにさえ残しておけば完了であって、師匠にお伴しながらご機嫌をとる必要もありません。条件別の計算結果をまとめたハンドブックさえもらってしまえば、それで十分です。

土木の世界、というか科学の世界では付き人をしながら盗まなければ身に付かないといったような特殊な職人技は存在しませんから、西勝造は余った時間のほとんどを当時の欧米最新医学情報収集のために費やしたようです。

図書館にも頻繁に通ったでしょうし、当時の米国の何人もの高名な医学者に面談することができたということは、記録は残ってはおりませんが、最低でも東京市長あるいはそれ以上の爵位をお持ちの方からの紹介状を持たせてもらえたからであろうと思います。

西勝造はアメリカ留学を終え、最新の欧米医学情報を携えて帰国し、本格的な地下鉄トンネル設計等の仕事を始めるにはまだ時間がありましたから、その期間に当時の最新欧米医学情報を整理して、日本の医師、医学者とも意見交換、情報交換をしながら日本の医学の進歩にも貢献できると考えていたはずですが、残念ながらそうはなりませんでした。

今日でもそうですが、医師の世界ほど権威主義が強い世界はありませんから、西勝造が最新の欧米医学情報に基づいて議論をしようとしても、その反応は「土木屋風情が何を言うか」というものであって議論にもならなかったようです。

さらにもう一つ議論にならない理由があります。それは医師、医学者のほとんどは物理学とか化学のような自然科学には疎くて、土木屋が計算式に基づいて主張する内容のほとんどが理解できないからということがあげられます。

当時の常識では、血液循環は唯一心臓のポンプ作用によって成立すると考えられていたわけですが、西勝造は心臓という臓器のポンプとしての仕事量と、血液の粘性、内部があまり滑らかとは言えない、管路抵抗が決して小さくはないであろう、しかも先端に行けば行くほど細くなる血管の中を、握りこぶし大のポンプによって循環を成立させることは不可能である、ということを、炭鉱技師の時代にポンプを取り扱った経験と計算から示すわけですが、医師、医学者はその理論、証明の意味を理解することができません。

それが、長い前書き中で展開したカンフル剤への批判であり、これは後半で説明いたしますが、心臓のポンプ作用のよってのみ血液循環は成立しているという理由で、その考えに基づいた誤った治療法を行う当時の医学に対してのアンチテーゼとして「血液循環の毛細血管原動力説」を展開するということにつながっていきます。

当初、西勝造がしたかったことは、医学という学問を通常の科学という土俵の上で見直すべきだ、ということであって、ただそれだけが目標であったと思われます。

西式健康法の基本

 四大原則

 考え方の説明というのは多くの方にとっては退屈でしょうから、簡単に要点のみを説明します。西勝造は健康を維持する秘訣と言いましょうか、病気になる要素として次の四つをあげました。

 ①皮膚、②栄養、③四肢、④精神の四つであり、各々が平均点以上でないと人は必ず健康を損なうと考えました。この順序は進化の過程を踏まえた順番です。

皮膚

 皮膚は外界と生命体を分ける境界、接点であり、単細胞生物であってもその機能を持つ細胞壁を有します。ヒトは内部の脆弱な細胞を守るために真皮、表皮という複雑な皮膚組織を有していますが、この皮膚組織が完全でないと、細菌等による外部からの侵略を許すことになります。

最も愚かしい行為は、あか擦り等で皮膚をわざわざ削り取るような行為です。無理に皮膚を削り取りますから表皮細胞の再生ピッチは上がります。

それを称して「新陳代謝が良くなる」と称しているようですが、表皮を無理やり削り取れば真皮は必至で表皮細胞を増産しますから、新陳代謝が良くなるという表現はウソとは言えないものの、健康に良い、皮膚機能を改善向上させるかと言えば、ただ傷つけているだけという以外の何物でもありません。奴隷はムチで叩けば叩くほど良く働きます、と言っているようなものです。

西勝造の時代には、皮膚は無理に鍛えなくても自然環境における寒暖等の刺激がありましたから、ただ自然環境の中で暮してさえいればそれで良かったのですが、今日のように子供に汗をかかせたら可哀想、寒い思いをさせることも虐待になるかも、といったことになってくると、日常的に皮膚に刺激を与える療法も心がけた方が良い時代、環境になってしまったと言えるでしょう。西式健康法では温冷浴(後述)を奨励しています。

栄養

 単細胞生物にとっては栄養を選択する能力はありません。自分が浸っている環境中に溶解している成分を摂取するだけです。これが多細胞生物になると自ら積極的に移動し食物を選択することが可能となります。

 また、西勝造の時代には食べ過ぎによる害ということは、ほとんどの方にとってはまったく無用な心配でした。貧しさ故に必要最低限のたんぱく摂取、ビタミン摂取が不足するといった方々に対する配慮はしておりますが、食べ過ぎによって生じる問題を心配するということはほとんどありません。

ところが今日では、糖尿病治療を受けている方、将来的には糖尿病治療が必要になるであろうとされる「糖尿病予備軍」、また、空腹時血糖値は正常値であるが、食後血糖値が正常値を上回ってしまう「隠れ糖尿病」の三者を合わせると、一説では2千7~8百万人になるとも言われており、今日では過剰栄養対策を万人が真剣に考えなくてはならなくなりました。

ご存じの方も多いかと思いますが、西式健康法をベースにした少食療法を確立した甲田光雄医博は、今日では栄養が健康に関与する割合が顕著に増大しているという視点から、栄養の問題を中心に据えて臨床的な面で大きな成果を上げました。

精神

 今日ほど精神の問題に注意を払わなければならない時代は、ここ100年以上なかったことです。大正時代から太平洋戦争が始まるまで、正確には日本本土がたびたび空襲されるに至るまでは、多くの国民にとっては努力さえすれば必ず報われる時代でした。

額に汗して一生懸命働けば必ず生活は豊かになり、年金制度などなくても子供、孫が面倒をみてくれました。

長患いで寝込んで家族に迷惑をかけるということも、今日と比較すれば大変少なかった(寝たきりのまま長生きさせるような医療技術、制度がなかったということですが)し、十分な労働はできなくても、長年の経験、知識が子や孫たちのために本当に役に立った時代です。

今日のように、爺さん婆さんに聞くよりインターネットやスマートフォンで何でも分かってしまうなどということもありませんでした。

しかし、現在はうつ病の患者数は数十年前の十倍以上、と言っても正確には抗うつ薬を処方され、服用している人の数であって、本当にうつ病という診断が適切であるかどうかは別問題なのですが。

つまり、今日と比較して精神的な面でのケアが必要な人の割合は圧倒的に少なかった、ということです。

四肢

 なぜ、順序を変えて「四肢」の説明が最後になったかというと、この「四肢」という要素こそが、西式健康法の基本であり中心である六大法則中の背腹運動が生まれた理由であるからです。

皮膚、栄養、精神という3要素は、ヒトの健康を左右する重要な要素ではありますが、大正時代から戦前くらいまでは、それが主たる原因となって健康を害していた人々はそれほど多くはなかったということでもあり、それと比較して「四肢」の問題が原因となって健康を害している人はたくさんいた、というより、ほとんどの人は「四肢」の不整によって健康問題を生じさせたから、それを正す「背腹運動」がもっとも重要であったということです。

 それでは具体的な説明に入りましょう。二足直立歩行を行う人類は、大変高度な制御システムのもとにそれを達成しているのですが、物心ついた時には自然と二本の足で歩き、走ってきた普通の人にとって、その高度な制御システムについてまったくと言って良いほど関心を持つことはありません。 

 しかし、ホンダの技術の粋を集めたとも言える、外部からの動力エネルギー供給を必要としない、自己完結型二足歩行ロボットである「アシモ」は、確かに二本足で歩くことはできますが、仮に外観のシルエットを変更して精巧なゴムマスクを被せ、服をきちんと着せて巧みに変装させたとしても、歩かせてみればすぐにばれてしまいます。言うまでもありませんが歩き方が普通ではなく、とてもぎこちないからです。

こういったことはホンダのアシモの開発、設計担当エンジニアであれば、極端に言えば毎日こればっかり考えているようなものでしょうが、いまだに人が歩くような自然な歩行をさせることはできません。

 愛着を持ってもらおうとわざとぎこちない、変則的な歩き方をさせているのではなく、現在のところあれ以上の歩き方をさせることができないからです。その理由、原因は何かということをこれからご説明します。

カメラの三脚は特にバランスを取る必要はありません。実際は三本足ではありませんが、カンガルーなどは太くて頑丈な尻尾を第三の脚として使い、安定した直立姿勢が維持することができます。

 一般の哺乳類等は四足ですから、これまたバランスを保つための高度なシステムは必要がないということです。

しかし、二本脚で歩くということは、バランスを保つために相当高度な制御が必要になってくるわけで、この仕組みこそが人間の姿勢を決定するのです。

二足歩行におけるバランス制御

 生物はすぐに環境に適応しますから、環境の違いによって無意識に、瞬時に制御方法を選択し、変更します。

 本来の自然環境の中ではあり得ない環境なのですが、今日我々先進国で暮らす多くの人々の生活環境は、まっ平らと言っても良いところばかりで生活しています。足元など一切見ずに、ショーウウィンドゥだけ眺めながら歩き続けても、つまずいて転倒することなど滅多にないという環境です。

 そのような環境下ではどのようなバランスのとり方をしているのかというと、足を置く位置、接地させる位置を巧みに、前後左右に無意識に調整してバランスを取っています。

 本当かいな?と疑う方は、平均台の上や畳の縁(へり)、カーペットタイルなどの目地を一切踏み外さないように歩いてみてください。身体は不安定となり、両手を左右に広げてバランスを取りたくなってしまいます。

足を下ろす前後左右の位置を制限されてしまうとたちまち歩き方が不安定になってしまうわけで、これが、平らなところでは足を置く位置を調整することによってバランスをとっている、ということの証拠になると思います。

 それでは、人類は進化の過程の中で、常に足を置く位置を調整することによって、二足歩行時の姿勢制御してきたのかというと、決してそうではありません。

 足を置く位置を自由に変えられるということは、何度も申し上げているように、ほぼ完璧な平面上を歩く場合に限ってできること、つまり現代の道路や建築物内という極めて特殊な、人工的な環境下においてのみ可能なバランス調整法であり、凸凹だらけの自然の地形の上ではほとんど行うことのできない方法です。

 凸凹を無視して、出っ張った石の上や土から突き出た木の根の上に足を下ろせば、たちどころに体は不安定になって転倒しかねません。

 一度転倒してしまったマラソン選手が、転倒中に追い抜かされた全員を抜き返して優勝するという話は聞いたことがないように、転倒して立ち上がるという動作は、非常に多くのエネルギーを消費すると同時に、満足な歩行、走行ができないという原始の時代であればこの一瞬、転倒が原因となって致命的な状況に陥ることにもなりかねません。

  

エネルギー節約と備蓄は

ほとんどの生物に共通するプログラム

 もう一つの重要な要素についてもお話させていただきます。今日では、多くの大都市郊外の主要駅近くにはアスレティック・ジムがあります。

食べ過ぎと運動不足の相乗効果?によって生じる肥満等が健康に悪いから、エネルギーを消費するためだけに、安いとは言えない料金を払って非生産的なエネルギー消費に明けくれています。

あのトレッドミルという、走っても進まないベルトコンベヤーのような運動器具や、自転車こぎ運動器具(自転車エルゴメーターが正式な名称のようで、エアロバイクともいう)はただ過剰エネルギーを消費するため、汗を流すために使うのではなく、発電機につないで少しはエコロジーに貢献してくれれば良いのではと思いますが

 ほとんどの生物(海中で暮らす一部の生物はあまり気にしていないようにも思われますが)、陸棲生物における生存競争は他種生物間における食うか食われるかという争いも、もちろんありましたが、その多くは飢餓との戦いに費やされたとも言えます。

 確実に食料を得られる保証などまったくなく、運よくありつける日もあるが、その後3も4日も食料を得られないことも日常的なことであったと考えられます。

 やっと手に入れた食料は、無駄なくすべてをエネルギー源として取り入れたいし、できれば備蓄もしたい、備蓄と言っても倉庫に貯めておくといったことができるのは、今日でも高等生物のごく一部であって、原始時代の人間もそういった技術は持ち合わせていなかったでしょう。

 例えば、という臓器は、動物性の脂質を大量に摂取した時、胆汁の供給が追い付かないことによって、せっかくの動物性脂質を便と一緒に捨ててしまうことのないように、胆嚢に貯蔵していた胆汁を放出して脂質の吸収効率を上げるための臓器です。

胆汁によって効率良く脂肪酸に変化した脂質は、液体に溶解する状態になっていますから消化管の毛細血管中に吸収され、体内でヒト用の脂肪に再組み立てされて、食料が不足した時の備蓄エネルギー源として主として皮下脂肪として蓄えられます。

食料確保の効率を上げるためには、強靭な力と俊敏な身のこなし、俊足であることが求められますが、これらすべての資質を求めようとすると、体は大きくなり、太い筋肉も必要となり、必要なエネルギー量が増えてしまうという、二律背反の関係にあります。

そこで、これは現代のテクノロジーもまったく同じですが、というより現代テクノロジーが自然から学んだということになりましょうが、あらゆる面から効率の良い生物、マシンはエンジン出力をあげていく一方で、燃料消費率の一層の向上、軽量化等によるエネルギー節約という両面からアプローチします。

生物もまったく同じで、驚くほど巧妙かつ精巧なエネルギー節約の仕組みを持っています。

二足歩行の意義、目的

二足直立歩行システムという姿勢がもたらした利点は、体重が少なくても視点を高くすることができたということが一つであろうと考えられます。

視点がヒトと同等の高さにある動物は、ほとんど体重が数百キログラムといった大型動物であり、体重がヒトと同じレベルの哺乳動物の視点は地上からせいぜい70~80cm 程度でしょう。

危険察知能力が高ければ、それほど素早い逃げ足も必要なければ、強力な顎も牙も必要がありません。

また、これは別な項目でも説明しますが、細胞が十分な能力を発揮するためには必要十分な酸素とブドウ糖、ATPが必要となるわけですが、これは血液によって各組織に供給されるわけで、つまり理想的な血液循環が達成されることによって初めて可能となります。

では、理想的な血液循環とは何かということですが、これは動脈血を組織に押し込むことではなくて、静脈血をスムーズに流し去って、動脈血が遅滞なく流れこめるような状況を作ってやることです。

 なぜ、そういうことが言えるかというと、動物の脳の位置から容易に類推することができます。我々人類は活動時には、脳が循環系の中心である心臓の真上に位置しています。

 一般的な哺乳類、犬猫とか牛馬等ですが、これらの哺乳類の脳は心臓から見ると斜め上方に位置しています。それが爬虫類であるとか両生類という、明らかに我々より下等な生物は心臓と脳の間には高低差がまったくありません。

 これは脳の重要度が高い生物、つまり、脳が多量の血液を必要としている高等な生物ほど、静脈血管を通じて組織から血液を効率良く流し去り、動脈血を一瞬の遅滞なく流入させるためであるとしか考えられません。

 つまり、活動時には脳の位置を少しでも高くして、脳が十分な能力を発揮できるようにするためというのがもう一つの理由であるということです。

 この二つの重要課題を達成するために、ヒトは二足歩行という特殊な歩行法を選択したものだと考えられるのです。

しかし、この二足歩行のための制御システムは原始の時代にはほぼ完璧であったわけですが、人類の知恵がある面で設計者の想定を上回ってしまったために、必ずしも完璧なシステムではなくなり、健康法といったものを実践しないと健康を維持できない、野生の生物と比較すると大変厄介な問題を抱えることになってしまったのです。

二足歩行時の制御法が姿勢を作る

 話が前後してしまいましたが、具体的な二足歩行制御システムの話に戻します。二足で立つ、歩行するといっても、人類は自転車のタイヤのような回転部分を持っていませんからジャイロ効果で直立を維持している訳では無く、まるで綱渡り中のパフォーマーのように微妙に重心点を調整してバランスをとっています。

バランスはとり続けなければ転倒してしまうし、かといってバランスを取るためにエネルギー消費を増やしたくないという、二律背反の問題に対する進化の回答が、背骨の一つ一つをわずかに曲げ、ねじることによって重心点を調整するというバランスのとり方です。

原始生活ではこのシステムは何ら問題とはなりませんでした。自然の地形にはまったくといってよいほど法則性は存在しませんから、一定時間歩行すればバランスをとるための脊椎骨の前後左右の傾斜、ねじれは必ず平均化されます。

特定の椎骨を常に特定方向に曲げている状態、特定方向にねじっている状態などということはまったく心配する必要がなかったのです。

しかし、今日では生きるということは多くの場合お金を稼ぐということであり、お金を稼ぐということは狩猟、採取行動とはまったく異なって、歩き回るようなことはほとんどないどころか、座っている時間が圧倒的に長いというのが現実です。

そのような時、座りっぱなしの状態であっても、本能は最もエネルギー消費が少ない状態を選択してしまいます。好むと好まざるとにかかわらず、現代生活をしているだれもが、背骨の特定部分をいつも曲げ、ねじった状態になっていまっているということです。

ここでいう現代生活というのは定職を持って、同じ職場、同じ就業環境で働いている人はもちろんのこと、同じ間取り、配置の家、台所で家事に従事する主婦もまったく同じことがいえますし、学校で学習する子供たちにも同じことがいえます。

特にまじめな学生、生徒ほど、同じ席に座り、座らされて常に先生か黒板を注視していますから、本当に同じ背骨の曲げ方、ねじり方を毎日毎日繰り返すことになります。

こうして、その人の姿勢、つまり、決してまっすぐな状態でない背骨というものが普通になってしまうということです。

ここまでの解説は、ヒトの姿勢制御システムのソフトウェアに関することです。もし、この問題、いつも背骨の同じ部分を曲げたりねじっていることによって、好ましくない姿勢が生じるのであれば、同じ姿勢にならないように注意するように心がけるとか、伸びをするとか上体をねじったり曲げたりする運動を適宜実践すれば解決するわけで、とくに健康法などということを考えるまでもないことになります。

しかし、問題はこのようなソフトウェアの問題には留まらず、ハードウェアの問題も関係しているために事態を複雑にしています。

背骨が歪むと簡単には治らない

ハードウェア上の問題

まず、解剖学的なことから理解していただく必要があるのですが、脊骨とは33個の椎骨と呼ばれる骨が連結して柱状になったもので、連なった状態では脊柱という言い方もします。

上から7個の首の部分を頸椎、その下の12個で肋骨が出ている椎骨は胸椎と呼びます。そしてその下の5個を腰椎と呼び、そのまた下はほぼ癒着結合してしまっているようなものですが、仙骨、尾骨(尾てい骨)と連なっています。

さて、何を知っていただきたいのかというと、脊柱という連結した状態は、何によって維持、接合されているかということをご理解いただきたいのです。

一般的に、整形外科クリニックや柔道整復院等で見かける模型や背骨の模式図では、1個1個の椎骨の間に椎間板という軟骨のような組織がはさまっており、一見その軟骨が結合組織となって上下の椎骨をつないでいるように見えます。

しかし、ご承知のように椎間板は大変脆弱な組織であって、床に落ちた物を拾おうとしただけで椎間板の中身(髄核)が飛び出した結果、激痛で進退極まってしまったり、とても脊柱をしっかりと支えて結合、保持するような強度は持っていません。

背骨も関節を構成していますから、骨同士がはまっていることによって、つながっているのではないかとお考えになるかもしれませんが、生物の関節というのは建具の蝶つがいのような構造ではありません。骨同士は基本的には向かい合っているだけであって、お互いの骨が軸を共有するような構造では決してありません。

それではなぜ関節はそう簡単には外れないかというと、という組織によってつながれているからです。

スポーツ選手がよく膝や肘の靭帯を傷めて、しばらく休養したり手術を受けたという記事が出ますが、筋肉と骨を結合して関節を動かす役目を持った組織が「」であり、骨と骨をつないで関節を構成し、関節が勝手な方向に曲がったり、離れたりしないように結合、保持する役目を持った組織が「」というわけです。

背骨を結合するは、6種類ありまして、それぞれ前縦靭帯、後縦靭帯、黄色靭帯、棘上靭帯、棘間靭帯、横突起靭帯という名称がつけられています。位置関係の説明は省略しますが、この6種の靭帯がそれこそ縦横無尽に張り合って、結合して頑丈な脊柱として存在せしめているということです。

なぜ多くの方がこの脊柱を構成する靭帯について認識していないのかというと、あまりにも脊柱をがんじがらめに結合し覆っているがために、すべての靭帯を図に書き込んだり、模型を製作するときにそれらを再現してしまうと、脊柱の全体構造、すなわち、脊髄、椎骨、椎間板、椎間孔等(脊髄から分岐した脊髄神経が、脊椎外に出てくるためのスリット)と靭帯のすべてを表現することで難しいからです。

解剖学者が、背骨の全体構造を理解させるのに邪魔になるから、靭帯をそぎ落とした状態のモデルから解剖図や模型を製作させているということなのですが、それだけ靭帯群の重要度に対する認識が低いということでもあります。

さらには、手指の関節と同様、背骨も関節を構成していますから、脊椎関節にも関節包というものが存在します。

こうなると関節包ついても説明が必要になりますが、関節包とは読んで字の如く関節を包んでいる組織で、その関節包の中は「滑液」という潤滑油の役割を有する液体(ヒアルロン酸と糖タンパク質を豊富に含むリンパ液のような液体)で満たされています。

また、骨同士が直接接触する部分の表面には軟骨様の組織があって、関節に荷重がかかった状態で動かしても、摩耗したり動きがぎくしゃくすることのない構造になっています。

(椎骨と靭帯の模式図が必要)

靭帯の構造と問題

 肝心な靭帯の問題点、構造の説明に進みます。骨と靭帯の結合部分は強力なタンパク結合によって結合しており、どんなに力を加えても骨表面の骨膜と靭帯との結合が剥がれることは絶対といって良いほどありません。

 自動車事故のように尋常でない外力が加わった時はどうかというと、結合部分が剥がれるのではなく靭帯そのものが断裂するという形で破壊が起きます。

 一方、あくまで可動するのが大前提である関節の構成要素ですから、骨と骨をつないでいる中間部分、もともと骨と接していない部分は、まったく骨膜とは結合しないようになっています。

見た目はまったく同じ線維性の組織ですが、靭帯の端部と中間部で、片や強力に骨膜と結合する性質、中間部は逆にまったく結合しないようになっていて、その性質はまったく異なるということです。

 これも当然のことで、一定範囲で可動するのが関節ですから、中間部分まで骨膜と強力に結合する性質が備わっていたら、うっかり首を曲げてうたた寝しているうちに元に戻らなくなってしまう訳で、そうならないように中間部分にはまったく結合するような性質をもたない細胞で構成されているわけです。

 ところが、これが生物の面白さとでもいいましょうか、これほどまでに精巧に、想像を絶するような工夫が凝らされた人体構造ですが、やはり精密機械部品とは異なる点があります。

 それは、性質の異なる細胞同士の境界線は、きちんと線を引いたようにはなっていないということです。

例えば手の甲と手のひらの細胞は見かけが異なります。手の甲にはメラニン色素が存在しますが、手のひら側にはほとんど存在しないようで日焼けすることはありませんし、見た目にも異なる性質の細胞です。境界線はどこかというと相当曖昧な状態です。

唇とその周囲も同様です。DNAの設計図上は明確に区分するように指示されていると思われるのですが、実際の施工技術は完璧とは言えず、かなりギザギザというかデコボコな状態です。

唇の境界線がまっすぐでなくギザギザなままだと、個体としての完成度が低いという印象を与えますから、血色よく見せ、境界線を鮮明に描くことによって男性からの好感度が上がる、もてるようにするというのが口紅によるお化粧ということになります。(コラム②)

それと同じで、靭帯の細胞も、骨膜と強固に結合する性質を持った細胞と、まったく結合しない性質を持った細胞との境界線はギザギザでデコボコで、くっつく性質を持った細胞と、くっつかない細胞とが混在する部分がどうしても出来てしまいます。

自然の地形の中を十分に歩きまわった結果、バランスを取るために、椎骨のすべてが満遍なく、可動範囲いっぱいに動かされていれば生じない問題なのですが、標準的な現代生活をしていると、仕事や家事による体の使い方の癖、偏りによって、本当に同じ椎骨を同じように曲げたりねじったりしたままの状態が続きますから、本来結合、固着しては困る部分にも固着が生じてしまい、その結果脊柱が歪んだ状態が生じます。

ここで、申し上げている「歪んだ状態」とは、全般的に大きくS字状に湾曲した側湾症のような状態のことではなく、個々の椎骨が傾斜したり、捻じれた状態になってしまう状態のことです。

脊柱に歪みが生じると何が問題か?

 一般的に、整形外科医はこの背骨が歪んでいる状態についてはまったく問題にしていません。

 もちろん側湾症は問題にしますが、個々の骨の傾斜、ズレ的な歪みに関してはまったく無関心なようで、そういう意味であるなら、逆に背骨がきれいにまっすぐな人なんて世の中にほとんど存在しないのではないか、といったスタンスです。

 整形外科分野の見解は、椎骨が傾斜したりねじれたり、加齢や事故などによって椎間板が薄くなったり、変形して、椎骨が直接神経鞘を圧迫し、脊髄神経をも圧迫変形させることになれば問題ではあるが、それ以外の、ただレントゲン的に椎骨の並びに歪みが認められるというだけの状態では、痛みもしびれもないのだから、別に病気とは言えないでしょう?問題ないでしょう?という見解が一般的であるということです。

しかし、ここで脊髄周りの構造をもう一度見直さなければなりません。脳脊髄液という用語については前書きでもご説明しましたが、脳の動脈血管の変形を起こさせないためという役割の他以外にも、一般的には繊細な脳や中枢神経を衝撃などから守るために、脳を浮かせておくための体液という認識であると思います。

豆腐が輸送中に型崩れしないように、柔らかいプラスティック製容器の中を水で満たし、密閉した状態で販売するのと同じです。

ところが脳脊髄液にはもう一つ重要な役割がありまして、血管網が十分に備わっていない、脳、中枢神経、脊髄周辺に血液栄養成分を供給する役割をも担っています。

血液をたくさん必要とする臓器として有名な、脳の血管網が十分でないと聞かされてもあまりピンとは来ないでしょうが、脳の髄質という内部の豆腐様の部分にはまったくといってよいほど血管網がありません。脳内部のように見える、折り重なった脳組織の表面分には血管が存在しますが、本当の意味の脳実質内には存在しないということです。

脊髄を代表とする太い神経組織も同様で、表面と中心部にのみは動静脈血管がありますが、神経組織内に密に血液成分を供給するような、一般組織における毛細血管網のような組織は存在しません。神経が実際に白色であるということは、毛細血管網を有していないということの証拠でもあります。

神経伝達の基本は電気刺激による信号伝達ですから、神経電流発生のエネルギー源となるイオン、主としてプラスに電荷したナトリウムイオン、カリウムイオンですが、そのイオンを神経細胞に供給することも大きな役割です。

脳脊髄液は日量500cc程度産生され、その総容量は120150cc 程度とされていますので、毎日3.5~4回入れ替わっていることになります。

 脳脊髄液の循環原理については、いまだに生理学上完全な定説がなく、良く分かっていないのですが、それでも流れが生じており、毛細血管圧よりもまだ低いレベルということになっていますが、もちろん圧力もあります。

 圧力と流れがある液体が通過する管路に、著しく狭い部分があるとどうなるかというのは流体力学の初歩中の初歩でして、狭くなった部分の流速は上がると同時に圧力の低下が起こります。

 一般的には、ホースの先端を押しつぶすようにつまむと、その部分の水圧が上がって水が遠くへ飛ぶと思い込んでいる人が多いようですが、実はそうではなくて、物理学的には狭くなった部分の圧力が低下した代わりに流速が上がった結果として、慣性によって水は遠くへ飛ぶというのが正解です。

 さて、脊髄神経にも脳脊髄液を通して血液(栄養)成分を供給していますから、脊髄神経鞘と脊髄神経の間のは大変重要な意味を持ちます。椎骨の歪みによってクリアランスの狭い部分が固定化してしまうと、その部分の脳脊髄液圧はさらに低下してしまい、神経細胞への血液成分供給に不足が生じることが懸念されるわけです。

 この問題に関してはまったくと言って良いほど研究がなされていないようで、参考文献等の提示は残念ながら出来ないのですが、物理学的に考えれば間違いなく懸念すべき問題であるということになります。

 それでも、つまり、歪みを抱えたままの状態であったにしても、毎日毎日それなりに不整地を歩いていれば問題はないと思われるのです。

 先ほど、脳脊髄液循環のメカニズムは不明な点も多いと述べましたが、ともすると神経の圧迫を容易に生じさせるほど椎骨間のクリアランスを小さくしているのには、それなりの理由があるはずです。

 それについて、私は次のような仮説を立てています。大型の四足哺乳類と人類は、頭部と脊柱、脊髄の高低差による問題、つまり脳脊髄液の循環を達成するために、わざと歩行時に脊柱をうねらせることによって、脊髄神経鞘を椎間孔の縁で圧迫させる(神経への圧迫は生じさせない)ことによって、物理的にしごくような作用によって脳脊髄液の強制循環を行わせているのではないかと考えています。

 こういった仕組みになっているのだとすれば、仮に椎骨の歪みを抱えていたとしても、人類であれば不整地を歩行すること、四足動物にとっては地形に関係なく移動、歩行さえすれば脳脊髄液の循環は促進され、神経の伝達機能はつねに100%近い能力を発揮するであろうということです。

 この仕組みこそが六大法則のところで説明する金魚運動の効果の一つであると考えられるのです。

 (コラム③)

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