数多くの「酵素」をうたい文句にした健康食品が宣伝されています。ある「酵素」関連健康食品の作用説明を抜粋して引用してみましょう。
それによると、
酵素=たんぱく質の一種、化学反応を起こさせる触媒作用を司る。
酵素の種類=消化酵素と代謝酵素と「食物酵素」がある。
酵素の効果とは?
①消化酵素を補うことによって消化吸収をスムーズに行えるからダイエ ット効果がある。もともとの消化酵素の消耗を減らした分、代謝酵素を 多く作れるので代謝が良くなる。
②食物として食べた食物酵素(たんぱく質)は、アミノ酸に分解されて しまうが、吸収される前には消化酵素として十分に作用することになる ので、結果として腸の負担を減らし便通が改善される結果として「美肌 効果」がある。
といったことのようです。
「消化酵素」という言葉は、生理学でも普通に使われる用語ですが、「代謝酵素」、「食物酵素」という用語が使用されることは原則としてありません。
代謝とは、
『生命の維持のために有機体が行う、外界から取り入れた無機物や有機化合物を素材として行う一連の合成や化学反応のことで、新陳代謝の略称である。』(日本版Wikipedia)
となっていますから、代謝酵素とわざわざ区別する必要はなく、消化を補助するだけのむしろ特殊な酵素だけを「消化酵素」と呼ぶ、ということです。
「食物酵素」という用語もナンセンスです。ヒトが食用にする他生物が、自己の生命活動を行っていくためにそれぞれが体内で合成した酵素ですから、そういった呼び方をすることは生理学ではもちろんのこと、栄養学でも、食品化学の世界でもありません。
ヒトの体内ではおよそ1万種類近く(以上かもしれません)の酵素が作られ、化学反応促進のための仕事をしているとされています。
酵素が具体的にどのような仕事をしているかというと、基本的には特定のアミノ酸同士を特定部位で結合させたり、特定の接合部分を切断する、といった化学反応を起させて、それぞれの生物独自のたんぱく質(もちろん、球状たんぱく質である「酵素」も含まれます)を合成することです。分子レベルでの接合、切断を行う酵素もあります。
そういった役割ですから、膨大な種類の酵素が必要になるわけであって、1種類の酵素があれもこれも、多種多様な酵素としての作用を起すとか促進してくれてしまったら、生命活動そのものが成立しません。
パイナップルは猛毒?
他生物の有する酵素がわれわれの生体内で作用したら、それは多くの場合致命的に作用する可能性があります。
そういったことが絶対に起こらないように、われわれは食べ物に含まれるすべてのたんぱく質はアミノ酸に分解(一部はペプチド結合状態=複数種アミノ酸がペプチド結合した物質、としても吸収可能)して、酵素としての作用を絶対に起さないようにしてから、血中に取り入れる仕組みになっています。
分りやすい例をひとつご紹介しましょう。「パパイン」という酵素をご存知でしょうか?
パイナップルや未成熟パパイヤに含まれるタンパク質分解酵素です。
その作用があるからこそ、あるいは期待されているから、酢豚の食材としてパイナップルが使用されているのだそうです。
たんぱく質分解酵素ですから、安くてあまり柔らかくない端肉を使っても、筋肉の特定アミノ酸結合を切断してくれますから、ワンランク上質な柔らかいポークの食感になることが期待できるのだそうです。
もし、その作用がわれわれの体内で起こったとしたらどうなってしまうでしょうか?致死性の猛毒物質ということになってしまいます。
パパインという、酵素としての能力を持ったまま血中に入ってしまったら、全身の筋肉繊維が分解されていってしまいます。
繰り返しますが、そういったことが起こらないように、すべてのたんぱく質(酵素も物質的にはたんぱく)は、アミノ酸、ペプチド状態に分解してから血中に吸収される仕組みになっているのです。
一部には西式健康法の「生食療法」の効果についても、『生野菜の生きた酵素を多量に摂るから劇的な効果がある』といったような解説をしている向きもあるようなのですが、これは完全な誤りです。
酵素栄養学のうそ
酵素健康食品を製造している開発者の言い分の多くは、エドワード・ハウエルという医師が発表した理論、論文に基づいて説明しています。
E.ハウエル氏は自らの主張を『酵素栄養学』と名付けて1946年に発表したそうなのですが、英語版wikipedia にはまったくその氏名さえ出てこないレベルの医学者?です。
誰からも相手にされない、トンデモ科学の西の大関といった位置づけなのですが、その理論が一部健康食品業者にとって、とても都合の良い理論であったために利用されてきた、というのが実際のところです。
理論の柱は、体内の酵素は生まれながらに持っている酵素(潜在酵素)がすべてで、それは生きていく過程で消耗していく。
酵素を使い切ってしまうと生命が維持できなくなるので、それを食物に含まれる、つまり他生物がおのおの自らの専用酵素として合成した「食物酵素」で補わないと、酵素不足に陥り、体内潜在酵素が枯渇した時点で寿命が尽きるという、まさにトンデモ科学なのです。
消耗する一方の潜在酵素を補うためには、積極的に「食物酵素」で補わなければならないから、生きた酵素を摂るためにも食物を生で食べることが重要(理由は違いますが、西式でも生食を推奨しているので、共通性があると思われてしまうとしたら大迷惑)である、という理論です。
前半をお読みいただいている方からすれば、お話にならないようなトンデモ理論のかたまりとご理解いただけるはずですが、どういうわけか今日でも堂々とインターネット等で、健康食品の宣伝内容として平然と紹介され続けていますから、次から次とだまされる人が後を絶ちません。
なぜそのような詐欺まがいの商法が可能なのか?
「酵素」という用語は、生化学的、生理学的には完全に確立され、意味も確定した用語です。物質としては球状のたんぱく質ですから、アミノ酸供給源としてはもちろん有効です。
ただ、カプセルでもない乾燥錠剤の中に「生きた酵素がたっぷり」とか言われても、たんぱく質ですから、その保管状態ではちょっとでも湿気を吸ったら腐敗して、悪臭を放ちそうなものですが、まったく変質もしないようです。多量の防腐剤でも使用しているのでしょうか?
そうではなく、まったくと言って良いほど、酵素自体も含まれていないからです。
では、なぜそのような、酵素もほとんど入っていないと思われるような健康食品でも、そういった表示、表現が可能になるのかというと、次のような事情です。
かなり以前から、商号等として用いられている品名等に関しては、今日、食品衛生法や薬機法等で物質として特定されていたとしても、仮にそれらが誤った意味で品名として使われたとしても、罰したり、その名称使用を禁止できないからです。
「酵素」という商品名が使われている、最も古くから存在し、ある程度の規模で販売された食品としては「大高酵素」という製品かと思われますが、その他にも「大和酵素」、「バイエム酵素」等々は終戦直後から本格的な製造を始めているようです。
これらは多種の野菜、果実、果物を発酵させてた後、発酵が進まないように相当量の糖類を加えて(低温貯蔵が困難であった時代に開発されています)、安定化させたものです。
今日的に言えば、「酵素」という表示は不適切ではないか?ということになろうかと思いますが、そのころは各種法整備がなされていないために、固有の商品名として使うことには何の問題もありませんでした。
ですからこれらの製品は、「名称」としての表示は「発酵飲料」となっているはずです。発酵飲料ですから、各種微生物の生成物も豊富に含まれているはずなので、相応量を摂ればそれなりの整腸作用等が期待できます。
ところが、特定業者ただけに既得権として「酵素」という表示を認めるというわけにはいきませんから、純粋に物質名として考えれば「酵素」の名称はまったく相応しくないとしても、だれでも、どのような製法による製品であっても「酵素」という商品名を使用する自由はある、禁止するとはできないということです。
もうひとつ、同様な問題を抱えているのが「エキス」という製品形態です。「エキス製法」という製法自体には、一応定義はあるのですが、やはりこれも終戦直後から「○×エキス」等といった製品が存在していましたから、商品名として使われた場合には名称の使用禁止といったようなことはできません。
エキスといえば有効成分が相当濃縮された製品と理解するのが普通ですが、実際には濃縮加工などしておらず、合成した成分を主原料として添加したもの(良し悪しは別として、成分は十分に入っている)や、ただ単に煮込んだだけで、まった成分濃縮などされていない製品でも「エキス」と称している場合があります。
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