
◆月刊『テトラパシー』誌昭和13年(1938年)第7巻第5号~第7巻第6号に「朝食廃止について」と題して掲載された記事を順次再録します。なお、旧字体や仮名遣いはできるだけ現代の文字に改めております。
❮月刊『テトラパシー』昭和13年3月25日発行第7巻第5号❯より
(昭和12年9月28日開催本部例会講義より収載)
朝食廃止について (第1回)
西 勝造
朝食を食べるという事は、もう長い間習慣となって行われておりますが、英国の医者でもってSir D‘Arey Powerこの人の書きました The Foundations of Medical History 1931 医学歴史の要点を書いた本でありますが、この46頁の処に朝飯ということがあるのです。はじめの方をちょっと申し上げますと、こういうふうに書いてある。「夜明けの最初の従属的な食事であって、事実この言葉が初めて用いられたのは1463年に遡り得るに過ぎない。サクソン人、ノルマン人は空腹のまま多くの仕事をやっていたものである。彼らは夜明けとともに直ちに起床するや、多くの場合午前11時あるいは12時頃まで殆んど全く何物をも摂らず、多くの労働に従事したものである。朝食ということが初めてやられたのは、エドワード四世の母君にあらせられるヨーク公妃である。公妃は7時に起床せられ、朝の祈祷を聴かせられ、それから正装せられた後、次の間にある小さなお部屋に行かせられ、そうしてその後気を晴らさせられる為、今のせんべいのようなものを召し上がった」というので、従来の食事でなかった事は明らかに記されているところです。
朝食はまもなく一部の人には一つの例となった。それは最初のものですが、続いて読んでみますと「1512年ノーザンバランド太守の朝食は、肉食日には次のものからなっておったのである。太守と奥方は一種のトレンチャパン、まん丸くなって中がちょっと凹んだものですが、この二切れ、極めて小さなもの、または若干のひき割麦、それから四分の一ガロンの水をとり、それから羊の煮た骨のくっ付いた肉四半分、また牛の煮た背骨の肉、こういうものを食べておられた」こういうことが書いてある。しかし多くの場合、それは飾りにつけられたのが多いので、あとはお下がりとしてその部下のものにやられたものと思われる。一つも残さないで食べることはあまり感心しない。だからそういう具合に献立に書いておっても、これはただ眺めるくらいのもので、直ちに下げてしまうという。
これは歴史ですが、その当時、門番、馬丁従僕には、飲み物だけで、別に朝飯は与えられなかった。その飲み物にこういう字があります。これはちょっと字引をひく時間もありませんでしたが、何かの飲み物なんですが dryinkyngs 飲み物でよいと思います。どんなものから採っているか知らんが、まあ飲み物として何が含んでいるか分からない。そういうものを与えられただけで、後は何も与えられなかった、ということが、その47頁にございます。
まあそんな訳で、朝飯を食べるという事は、極めて最近と言っていい位です。これを辞書の方で引きますとこうなっている。
これは Henry Cecil Wyld : — Universal English Dictionary 1934 この大辞書には朝食という言葉即ちBreakfast この項目の中に「一日の最初の食事、これをブレックファストというのは、夜間の断食(fast)がこの食事の時に於いて破られる(Break)からである」と書いてある。それから今一つShoterd Oxford Dictionary 1935 手許にありますが、それには「朝食」として(1)「人々が朝、その断食を破るところのもの」とこういう直訳です。それからピリオドを打ちまして「一日最初の食事」としてあります。それから(2)「時としては食事の事を意味する」とあります。1926年頃には必ずしもブレックファストは朝食という意味ではない。昔は無論昼飯に近寄るということがあるのですね。それからフランスの私どもの手許にあります辞書でLittré et Beaujean: — Dictionnaire de la Langue Fran(aise 1931) これにはDéjeunerデDéというのは打消し、それからジュネ― jeaunerは断食ですから、結局現在、朝飯は断食を破るという事になります。いずれにしても、一日のうち最初に摂るということであります。
かねがね申し上げましたとおり、朝食というものは毒になるのでありまして、ここに英国人で以って、L.P. Weaver — の書きました「人間の健康」と申しますが、人間の健康法、この人間健康という書物の第三章15頁の第三章に載っている健康に於ける食物の立場という所に、大体食事というものは、一日に1回もしくは2回、これが一番理想である。一日のうち朝は止めた方がいい。朝食べるという事は毒であるからです。それは何故毒かと言えば、太陽がずっとあがっていって天頂、つまり自分の頭の頂上まで来るまでは、同じ神経でも排泄の方に使わなければならん。それを上の方に神経を変えるという事は不自然である。だから理想から申せば一食である。しかしそれはやむを得ない場合は二食でよろしい。だから強いてとまでは申しませんけれども、一食乃至二食、そして太陽が昇り詰めるまでは、食事はしない方が身体の為によいのだ、つまりそれ迄は排泄の方に時間を使わなければならないから、あとから食事を摂る、こういうことになっているのです。結局朝食というものは、私どもはやはり太陽が頂上に昇るまでは食べないというのが、身体の為によいという事になるのであります。朝飯を食うなんていうのは、自分の身体を理解しないからで、まあ私ども十年来の会員の方々と接近しておりますというと、中には朝飯を食わないで痩せる人がある。痩せるのは当然腸につかえているのです。そういう人は一日も早く健康になって頂きたい。しかしながら、また一面ご家庭の関係上朝飯を止めると、家庭の円満を欠くという人もあります。…… 私などはのべつ円満をかき通しで、朝ばかりでなく昼も家でやらないし、夜も滅多に食ったことがないという男なんです。
それから朝やめるという事につきましては、ここに西式そのものはどういうところから一体出発しているかということを、ここで申し上げますと、ここに一つ公式が書ける。この公式というのは、人間分析というような問題にすればなるんでしょうが、第一にまず血液というものを考える。この血液というものはこれは体液であって水に属する。そこでこれは沐浴ということを考えなければならない。この沐浴というものはいつも申し上げる通り、ここには全身の温冷浴、脚湯、それから足の交温浴(こうおんよく)ということが、これがまた当然必要になります。またここに申し上げなければならないことは、全身温冷浴の出来ない方がある、それは何故かというと、血圧の高い方は、全身温冷浴を直ちにやるということは出来ないから、そういうような方は、足の先からやって段々上の方に行って、全身に及んで戴きたい。というのは、これは病人なんですから、病人は病人らしく手段を講じなければならない。血圧の差がある方が直ちに水に飛び込むということは危険でありますから、それをお止めになった方がよい。細かいことは、パンフレットに書いてございます。
(続く)
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