
YouTube 動画削除について
地方講習会を毎月組んでいたことなどにより、どのYouTube動画を削除されてしまったのか判りませんでしたが、判明しました。
削除されてしまったのは、『インフルエンザ・ワクチン、治療薬幻想』という題名の動画でした。
内容的には、新型コロナウイルス感染症(以降、“COVID-19”と表記)の感染拡大には、まったく見当違いのことをしているのでは?といった現状を批判したような内容です。
具体的には、テレビコメンテーターなどが、インフルエンザならワクチンも治療薬もあるから、それほど心配はいらないけど、コロナはワクチンだけは一応できたものの、治療薬がないということが非常に恐ろしい、といったような見解を述べていることを批判した内容でした。
いったい、いつからインフルエンザに十分な有効性を有するワクチンがあると言うのか?特効薬的な治療薬が存在するというのか?
そんなもの、いまだに存在しないだろうが!という見解を述べた内容です。
“タミフル”など、発症期間を20%程度短縮できるといった治験報告しかありませんで、治療薬といったレベルでの成果を十分に上げている訳では全くありません。
発症期間の短縮と言っても、最初の症状がでた時点は、患者本人への聞き取り以外にはありませんから、『何か鼻がむずむずし始めた』時点を報告する人もいるでしょうし、発熱時点や倦怠感を感じた時点を報告した被験者もいたことでしょう。
一応、快復した後も、どの時点をもって症状消失とするのかということは、かなりバラつきがあるはずなのですが、その中で20%程度というのでは、効いてるのやら、効いてないのやら、極めていい加減な効果としか言いようがありません。
こういった治験では、製薬メーカーが恣意的にデータの取捨選択をしてしまう可能性を否定できない訳ですが、たとえば、インフルエンザワクチン接種によるインフルエンザ罹患者(後期高齢者であっても)の死亡率低下、といった数値が公表されたことはありません。
そのような事実そのものが存在しないのでしょう。そのような統計的事実があるのなら、それを公表しない訳がありません。
どこから、どう見ても、インフルエンザワクチンもインフルエンザ治療薬も、はっきりとした有効性を証明することは出来ていないと考えられるのです。
ところが、ほとんどのテレビコメンテーターなどは、インフルエンザはワクチンもあるし、治療薬もあるから良いけど、何と言ってもコロナはそれがないから、今のところワクチンを頼りにするしかない、という主旨の発言に終始していたという訳です。
コロナもいずれ…
実態は、どう考えても生物?としてのウイルスの環境適応です。良く言われる話ですが、エボラ出血熱ウイルスはあまりにも致死率が高くて(強毒性)、広まることが出来ず、生物の繁殖法、生き方選択としては敗者ということになっています。
一方、変異能力の低いウイルスの多くは、ワクチン接種という人工免疫体制によって封じ込められているものの、変異能力の高いインフルエンザウイルスやコロナウイルスは、次々と開発される対応ワクチンの登場にもめげずに、手を変え、品を変えて繁殖の道を試し続けている、という道を歩んでいます。
いずれ、コロナウイルス自体の弱度化によって得られる、『ただの風邪』変異も、医学、薬学の勝利として、ウイルスの自主的な弱毒化であっても、人類と医学の英知の勝利とか言って、手柄の横取りを企てているのでしょう。
それでも、『インフルエンザが今年こそ大流行』という、2シーズン連続して言われていたセリフが『今年こそ』という勢いで、またまた声高に叫ばれています。
COVID-19ワクチンの副反応報告と、肌で感じるその弱毒化によって、3回目未接種の人も、3回接種した人でも、次を接種するつもりはない、という人が圧倒的に増えているようです。
わたしは大反対ですが、政府は軍事費(防衛費でしたが)を倍額確保するために、『大幅増税止む無し』と言い始めた一方で、期限は設けましたが、効きもしないCOVID-19ワクチン接種費用だけは青天井です。
今シーズン、インフルエンザが大流行したら、コロナ8波のピークと相まって、『医療ひっ迫必死』と言われている割には『インフルエンザワクチン接種』を国民に積極的に推奨しているように見えないのは、やはり、外国企業に資金を流せないなら『意味ない』から、と考えているからではないのか?などと勘ぐってしまいます。
どういったキーワードがYouTube削除対象となるのかを確認するために、COVID-19ワクチン等に関するテーマで近日中に新しいYouTube映像を公開したいと思います。
保育園児虐待で保育士逮捕
いつもよりは短い内容でしたので、少し世情についての感想を述べさせてください。
静岡県裾野市の認可保育園において、児童虐待が発覚し、女性保育士3名が逮捕されるという事件がありました。
容疑内容は『暴行容疑』であって、怪我をさせたわけではありませんから『傷害容疑』ではありません。
私自身は、ちょっと大げさすぎるのではないかと感じていました。このような事件は全国で多々あったと思われますし、資格はく奪権限を誰が持っているのかは知りませんし、調べてはいませんが、普通であれば、保育資格(国家資格)を認定している厚労省やその認定試験を実施しているらしい「一般社団法人 全国保育士養成協議会」に対し、理由を明記した懲戒解雇の報告をすれば十分ではないのかなと思います。
その後、どうするかは厚労省等で考えるべき問題です。マスコミと大衆が吊るし上げるのではなく。
繰り返しになりますが、怪我をさせたわけでもありませんし、本人たちの認否も『大筋で認めている』という、例の警察発表のコメント以外の情報はありません。
各々の断片的な行為を実際にしたのか?といったような警察の追及に対して、「その行為は確かにしましたけど、子供は喜んでくれていました』といった趣旨の供述をしているものやら、『子供が大っ嫌いだから、証拠が残らないように、傷だけはつけないようにいたぶってやりました』と供述しているものやら、実際に本人達がどういった供述をしているのかは、保釈になるまで、あるいは公判が始まるまで判りません。
保釈になっても、政治家のように「公判中のことなので」と言って取材を受けないのか、弁明を積極的にするのかは不明ですが、少なくとも、まだ若い、将来のある保育士の女性達を逮捕して、全国版ニュースで顔を晒すといったことが、正しいことであるのかどうか?
わたしだって、そのような保育士に孫は絶対に預けたくはありませんが、だからと言って、悪い奴らだ、子供を虐待するなどもっての外、といって詳細が判明しないうちに全国民的な非難をすることが正しい、妥当な行為であるのかどうかといった議論、検討は絶対に必要です。
田母神氏は袋叩き
きわめて表面的な事象だけをとらえて軍備増強を提唱し、確か、だいぶ前に東京都知事選にも立候補した、元航空幕僚長だった田母神俊雄氏が同様なことをツイッターか何かで発信して、激しい非難にさらされているとのことです。
田母神氏は、昭和19年当時の愛国軍事少年が、そのまま大人になってしまったような思想の持ち主で、米国以外の国では世界一の軍事力を持たなければ日本の安全は守れない、といったような考えを一貫して持ち続けていると思われる元幹部自衛官です。
もちろん、ある一面から見れば正論と言えないこともありません。いかなる事態でも、他国からどのような理不尽な行為をされても、国民にどれだけ犠牲が出ようと、とにかく絶対に『敗北』だけはしない、させない、といったことを最終目標として掲げるならば、まさにその通りと言えないこともありませんが、ほとんどの国民は、そういった『欲しがりません。勝つまでは』といった道は望んではいないと思われます。
空幕長に就任させてしまったどころか、実質的な退役空将補ならまだともかく、上級の空将にまで昇任させてしまったこと自体、国際的にもまずいんじゃないの?というような人物ですが、この行き過ぎではないのか?という件に関してだけは正論です。
どう考えても警察権、司法の乱用です。
犯人隠避で刑事告発
しかもですよ、園長が『犯人隠避』容疑で市長から刑事告発をされたというのです。
『犯人隠避罪』とは、直接容疑者の身柄をかくまう(隠れ家の提供等)以外の方法で、犯人をかくまうことで、交通違反(オービスなどの取り締まりなど)や、単独や引き逃げ自動車事故等の身代わり出頭等が代表的な事例とされています。
要件としては、警察等の司法機関が捜査に入る前(問題、事件を認識する前)であっても成立するのがポイントで、この申告が成立するためには、この一連の虐待とされる行為が、明らかに、罰金刑では済まない行為に相当する、という認識も必要です。
もっとも、普通の堅気の暮らしをしている一般人で、どの行為が禁固刑や懲役刑に相当するなどということを認識している人は、私も含めていないでしょう。
実際には、暴行容疑で、しかも初犯の被告に対して実刑判決が下されることは極めてまれです。
園長にしてみれば、保育園の信用上、運営上、極めてまずいことだという認識はあったでしょうが、まさか刑事事件に発展するかもしれない、ましてや自分まで罪に問われるかもしれない、などということは夢にも思っていなかったことでしょう。
法律が良く判らない一般人は、何か、ひょっとしたら事件かな?と思われるようなことを目撃したり、感じたら、「恐れながら…」と直ちに警察に申告、通報しないと、自分も罪に問われるかも知れないという恐怖心を広く国民に刷り込んだことになりはしないでしょうか。
将来的に、北朝鮮や中国のような密告社会になっていくようなことにならねば良いのですが。
中国はそれほどでないのかも知れませんが、北朝鮮のような密告社会に変えていくことは、日本国民の性格からして、それほど難しいことではないと思います。
私世代が親たちの世代から聞かされてきた『密告、隣組社会』の再来です。といっても、一部で言われるほどでもなかった、という話しも聞いてはいますが、何と言っても監視カメラ、スマートフォン等の録音機能を持った機器をほとんどの人が日常的に持ち歩いている、という現実を考えると、言い逃れのできない、とても住みにくい社会になってしまいそうです。
園長の犯人隠避容疑が成立することは、さすがにないと思われますし、保育士たちにも実刑判決が下るようなことは、仮に起訴され有罪判決を受けることになったとしてもないと思われます。有罪となっても罰金刑でしょう。
そのような事犯の被疑者で、逃亡の恐れも、証拠隠滅の可能性もほとんどない保育士を、明らかに行き過ぎた行為があったにしても、逮捕するというのはどう考えても行きすぎです。
しかも、この犯人隠避容疑は、警察が自ら捜査に乗り出したわけではなく、管理責任を有する裾野市という一自治体の市長が告発しただけです。
この告発は、警察に門前払いされる可能性も高いと思います。つまり立件されることはないと思われるのですが、一方で、大々的に報道されてしまった以上、そういった認識を持つ人は多いのではないでしょうか。
この事件が、嫌~な、息が詰まるような、住みにくい社会の始まりになることだけはないように、切に願いたいものです。
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