西式健康法

西会本部公式ホームページ | 株式会社 西式サービス

発汗の意義

約22分

 ここに掲載する内容は、月刊『健康科学』第5巻 第6号(昭和16年=1941年9月15日発行)に掲載された、学祖西勝造先生の講義記録(開催会場、日時不明)を再掲載したものです。なお、多くの現代人にとって判読が困難と思われる旧字体、旧仮名遣いは、原文の雰囲気を損なわない程度に、現代の標準的な文字、仮名遣いに改めております。ご了承ください。

「発汗の意義」

               発汗と口との関係

  暑い時に汗の話をお聞きになると、それが本当に徹底しますから、今日は発汗の意義という題でお話ししたいと思います。

発汗ということについっては、二十数年来の定説として体温の調整ということを意味しているわけですが、これに対して反対する者はだれ一人としておりません。

しかるに近来では、単に体温の調整のみならず精神的に、いわゆる知覚的要因によっても発汗することが明らかとなりました。それは手掌とか脇の下に発汗するもので、よく、冷や汗をかくとか、手に汗を握るとかいうあれです。英語にもドイツ語にもイタリヤ語にも同様の言葉があります。

また、今までは食べたものだけが毒作用をすると思っていたが、汗を分析してみると、初めて心的作用によっても毒が出ることが分かってきました。つまり『心毒』であります。

すなわち発汗した物質を分析すると、一つの中毒作用を有する物質が出ることが分かりました。これは必ずしも表面ばかりでなく、内部的にも出ることが分かりました。ですから精神療法とか、神を信仰することによって、心を正しくするということは大変意味のある事であって、非常に薬になる。

そこで常に西式が、良くなると思うことを強調していることも、そこにあるのであります。

このように、汗は心の作用によっても出るのであって、動物実験をしてみると、動物も汗をかく。しかし、汗腺の発達は人間が一番です。世界中、どこの隅々までも行くことのできるのは人類だけであります。犬も人類に次いで世界の隅々どこへでも行ける。

また発汗の多少は、口の大きさと身体の関係が非常に大きいのでありまして、口の小さい動物ほど皮膚の汗腺が発達しています。

病人を一見して、口の大きな人は発汗をよほど努力しないと効果が上がらない。それで病人を汗で治すときに、人によって足湯(脚湯)を二回やりなさいとか、三回やりなさいとか、やらんでも良いとかいうこともあります。

人によって、各々別々勝手ではないかという人もありますが、しかしそれは口の大きい人には余計足湯をやらせ、口の小さい人にはやらせない。口が小さい人は皮膚の汗腺が非常に発達している。そこで、ただ寝ているだけで立派に汗をかく。で、結核で長く寝ている方でも、口の大きい人は良くない。

口の小さい人は割合に治る。それは発汗機能が非常に発達しているから、皮膚呼吸で肺の代用をする。ところが甲と乙で、甲が小さいから足湯をやらんでも良いかというように、単に口の大きさだけで決定する訳にはいかない。ウンと口を広げたときの面積と、身体の表面面積との関係を見なければなりません。これはいちいち計らなくても経験でいく、そういうことによってはじめて正しき療法が出来ます。

           発汗治療は人を観て術法を計る

それから次に、寝ているときにはできるだけ汗をかかない工面をする。なぜかと言えば、人工的にいたずらに汗腺を利用すると、病気して極度に発汗を必要とする場合に臨んで、肝炎が非常に弱る。だから、なるべく裸で板の上に寝て、平素は汗をかかぬ工面をする。寝間着を着るなら、横腹や背筋のところは必ず開けた寝間着ならよろしい。

動物の中で南北極の端から、赤道直下まで行くことが出来るのは人類だけでありますが、それはどうしてかとなれば、実は着物を着たために他の動物よりも汗腺が発達して、熱帯地方に行っても発汗によって体温を調節できるからである。他の動物はそうはいきません。

たとえば、台湾で育ったワニは北海道には住めないし、北極の白熊は台湾では生活できない。人間だけがこれができるのは、汗腺が発達したお陰で、それはまた着物を着た人類の悪結果でもある。

何となれば発汗のために食塩欠乏、ひいて胃液欠乏。従って胃弱となり、万病の基となる。ゆえにむやみに掌に汗をかくことは不健康の基です。手の甲の方にかくのが健康的である。ところが、温冷浴をやるとだんだんと手の甲に汗をかくようになります。

だいたい発汗の意義は体温の調節のためであって、温度の高い場合と、筋肉運動をした場合の汗は、最も多く身体の表面上に表れますが、熱発病の場合の発汗の目的もまた、解熱する働きに非常なる役割をする。なぜかと言えば発汗すれば汗の中に乳酸が非常にたくさん出てくる。そこで風邪を引いたり病気した場合に発汗させると治る。だから発汗療法も一種の皮膚機能増進法であるということになります。

発汗療法として特に腎臓病の方には脚湯、脚袋が絶対に必要です。ですから、脚袋療法をやらせない医者があれば、それは病気をことさら長引かせることになります。関西のある弁護士の奥さんが、やはり腎臓病で熱が非常に高い。病院からは死の宣告を受けていて、そこでいろいろの有名なお知り合いの方々の心配で西式をやることになりました。

阪大病院で匙を投げてしまってたものだから、何をやってもよろしいということになったので。小澤病室に入っていった。この弁護士の方は七二~三歳の方ですが、この方が結婚したときに、小澤博士の奥さんが雄蝶雌蝶(おちょうめちょう=媒酌)をした。それで小澤博士が面倒を見ておったわけでありまして、阪大でも西式に非常に興味を持っておりました。

そこで何を持って行ったかというと、平牀とそれから脚湯をやったら一回で熱が下がった。ところがさっき申し上げましたように、身体に比較して口の大きい人は発汗しません。そういう方には脚湯を一日に四回くらいしなければなりません。四回くらいやればへとへとになって汗をかく。口の小さい人は自然に発汗するから多くやる必要はありません。

すべて療法を施すに当たっては、まず人間の身体を観察してから、良く適法を施さなければなりません。『人を見て法を説け』であります。

それから、汗が身体の表面から出ること。いわゆる熱学的要因によって起こる汗、たとえば筋の運動、色々の健康法やラジオ体操、または厚生運動(リクリエーションに対する訳語)をした際に起こる発汗について研究したものを二、三述べてみます。

(続く)

月刊「健康科学」第5~6巻『昭和16年9月15日』発行より再録)

            発汗は自然良能作用 (第2回)

  • 第一、 普通発汗は、その起こる時に身体の表面に普遍的(全面的にの意)に現れる。身体内から熱の排除が十分に行われるのは、かかる蒸発が身体表面の大なる部分において起こる時である。したがって普遍的発汗という特性ははなはだ有利な訳である。そこで脚湯をすれば、部分的にではなく普遍的に発刊するから最も有利なわけである。

第二、 身体表面上における汗の排泄量の局部的関係は、蒸発の範囲のみならず、身体の種々なる部分における熱の排除の必要程度とよく一致している。言葉を換えて言えば、汗は体表面上に良く配分されるのである。あせは最も有効に蒸発によって体内から熱を排除することが出来るのである。つまり、熱というのは、たとえば、私共の平素の熱は三十六度二分程度でありますが、しかし、疲労したり炎症を起こしたり、あるいは黴菌が体内に繁殖すると六度六分くらいになる。六度六分くらいになると、極度に汗をかきます。なぜ夏は余計に汗をかくかとなれば、元来が環境が暑くなっているせいもあるが、体内に発生した黴菌を殺さんがために自動的に体温が上がるのである。その黴菌なり、排出するガスなりが非常に有毒であるが、殺菌のために非常に乳酸が発生して体内全体を駆け巡るのである。発汗が局部的に固まって極度に出る部分があるが、乳酸が結局汗の中に出てくることによって非常に体温を上げ、それでもって黴菌を絶滅してくれる。であるから、汗の出ることは自然良能として、喜ばなければならない。やがて熱も下がる。もし、熱が下がらぬ場合は黴菌がまだ残っているのであるから、熱があっても知らぬ顔して戦っていればよい。ところが従来の考えでは、すぐに解熱剤を用いて解熱させる。そこが問題である。

常に申し上げている通り、汗に対しては非常に違った意味において認識されているけれども、実は漢方でも日本医学でも汗は常に病気を治すひとつの目標としている。いつかも申し上げたように、久野先生が汗の研究をして、『人間の汗の生理学』という英文書を出されているが、東洋のことをひとつも書かない。結論はもあまり感服しない結論である。どうも、汗を学問的に説くには外国の方が良いように思いますけれども、実際は東洋の方も余細進歩している。しかし、残念ながら、百グラムに対して何ミリグラムの乳酸が出るというような研究は西洋が良くやっている。吉益東洞先生いくら傑(すぐる)しといえども、何匁(なんもんめ)の汗中に乳酸が何匁などとは知っていないし、必要がなかったのである。それが証拠に、糖尿病の患者に対して糖がいくらいくら出るといっても、薬の飲ませ方は同じで、治らなければ何もなりませぬ。

次が第三番、中等程度の発汗状態にある時に、身体の片側を下にしてやすむと、上の方部分は著しく発汗するが、下側の発汗は抑制される。しかるに特有の半身発汗性患者は、汗の蒸発によって体温調整の目的の上にもっとも有利に働くのである。たとえば、片側を下にすると、汗は上にした側にかく。それは布団を着て寝た場合ですが、板の上に裸で寝る動物は下にかく。人間は上に着物を着るために上に汗をかく。だから上向きにやすませておいた方が良い。人間を取り扱う場合に、腕の湿布だけで良いということはそういう訳です。今は芥子がないから普通の湯でも水でも良いから、何回も取り替えるとよろしい。そうすると乳酸が出る。汗の成分は小便と同じですから、乳酸が多く出る。とにかく乳酸を取ってしまうのが目的ですから、二回なり三回なり取り替えねばならぬ。

健康法として汗を中心に考えることは非常に必要です。私など宅に 居て書斎で書き物をしていても汗をかく。また、他に出て活動して汗をかき、そのままの洋服を着ていることは、汗を分析しただけに自分の生命を縮めることをよく知っているから、すぐ風呂場に行って、足の方から水をかけて、汗を流して拭き取ってしまう。私は汗をかいて脱いだ以上は、すっかり水で全身をあらう。ですから、生半可シャツ一枚にはならない。そのシャツはどうしても取り替えなければならぬわけで、それで私に随行された人が驚くくらい、夏でも冬でも下帯からすっかり取り替えてしまう。旅行には十五~六枚ワイシャツが入っている。それを代わりばんこに着る。二週間以上の場合は、行先に小包で送っておく。こういうことは汗を分析して初めてわかる。乳酸の入っていることは一九二九年に判ったのですが、私が発表しました翌年頃に初めて論文に表された訳です。

第四番  発汗は体温が何等著しい増嵩(ぞうすう)を表さない前に、反射的に起こるものである。つまり体内に熱が堆積して、熱の排除が実際上増嵩せざるを得ないような時よりも、少し早めに汗が現れて、その発汗によって熱の堆積されたものをちゃんと防止する手段として働くという、いわゆる応急手当が自然に行われる。これは体温の調整上、発汗が最も我々にとって必要なる生理作用です。ですから、病気になっても必ず医者にかからなければならぬとは限らない。その必要なくして治るのです。汗に精通しない現代の医者にかかることは迂闊千万(うかつせんばん)なことです。しかし今から十年前にこんなことを言うと気違い扱いされた。今日でははっきり分る。病気はすべて抵抗作用が行われていることですから、その戦いの転化をうまく調節していくことが必要である。そのうちの最も大きな役柄は発汗作用である。

汗の具合で病気が長引くか早く治るかの関係が分る。汗は毛並みの方向に拭いて、決して往復二度に擦ってはいけない。擦ると折角出た乳酸や毒素が再び入ってしまう。また、擦ると傷がつく、傷を付けないように布をもって叩くとよい。しかし、のべつ叩くと傷がつく。だいたい発汗は、人体が高温度を受けている限り、また筋運動を続けている限り必ず持続していくものである。空気が冷たければ、運動を止めるとともに間もなく発汗も止まってしまうが、高温時の汗はおさまらない。炎暑によって兵士が日射病でやられることがありますが、あれは風が吹いていれば汗は蒸発しますが、風がなくて蒸発しないと出た汗の毒素が皮膚から再吸収されて日射病にかかる。ですから、空気が流動しないということは危険です。扇子を使うのも風を起こすことになりますから、誠に良いことです。

(続く)

月刊「健康科学」第5~6巻『昭和16年9月15日』発行より再録)

               再び発汗と口の大きさとの関係 (第3回)

 それからさっき申し上げたように、呼吸作用は皮膚と口が関係していることは前に申しました。夏に犬がよだれを流して歩くのも、舌の粘膜が非常な毒物を出してくるからです。また、ご飯を食べて鼻の頭に汗をかくのは皮膚の汗腺がふさがってしまったからです。そういう方は、酒もよし菓子もよしという方に多い。その代わりにアルカリと糖分の関係で皮膚の汗腺がふさがる。だから脚湯をやる場合に口の大きい人は余計にやる。口の小さい人は少なくてよろしい。また、汗をかかせても口の小さい人は汗の粒が細かい。口の大きい人は汗の粒が飛び上がって出る。口の小さい人は呼吸器からの排泄が少ないから、皮膚の方に汗腺を発達させて、そこから毒物を出す。すべて口と皮膚とは深い連関がある。

そこで、口が小さくて身体の大きい動物は何かといえば象です。しからば、彼らに汗腺があるかといえば無い。無いならば、どうして体温を調節するかというと、彼は常に水槽中の水を鼻で吸って自分の身体にかけている。水のないところに行くと、胃液を吸って身体にかける。

また、獅子などは口が大きいが汗腺は発達していない。汗腺の発達している動物は何かといえば馬とか山羊、羊、猿、これ等は皆汗腺が発達している。つまり、口が小さくて身体が大きい奴です。

とにかく動物の中で人間が一番汗腺が発達しておって、自在に体温の調節ができるから、寒帯でも熱帯でもどこへでも行けるし、どこでも生活できる。なぜそうなったかというならば、それは人間の長所ではなくて、人間が着物を着たことによって、知らず知らず発達してきたのである。

 人間の発汗量と体温の効果

人間は一時間にどのくらいの汗をかくか。一時間に、一リットルから二リットルかくのが最大です。そこで、水の一グラムは 〇.五八五カロリーを吸収するものですから、一リットルの発汗は体内から六百カロリーを排除することになる。体重七十五キログラムの人の体温が、体内から六百カロリー除去された場合は、すなわち、身体の温度が結局十度くらい下がったことになる。要するに、発汗することは、とりもなおさず体温が下がるということです。

私の体重は五十六キロですから、一リットルの汗はかかず、だいたい七百グラムくらいです。ですから、六〇〇カロリー以上の熱を逃がすことはできない訳です。そのように、体温の調節には汗腺がいかに重大なる役割をなしているかが解かります。

編者解説

 本講演記事は、一九四〇~四一年に行われた講演の速記記事であり、最新の生理学、動物学とは異なる部分、現代においては誤りと考えられる記述が複数個所存在します。

いくつか例示します。

◎ヒトなどの汗や犬の唾液に明確な有害物質が含まれているという事実はありません。エクリン汗腺にも乳酸は含まれますが、乳酸自体は糖の代謝物であり、それ自体が有害物であるとはまったく考えられていません。

◎この時代はアポクリン汗腺とエクリン汗腺を全くと言って良いほど区別していなかったものと考えられます。アポクリン汗腺からはタンパク質、脂質が漏出しますが、エクリン汗腺からは、タンパク質等の漏出はほとんどありません。機能も役割も異なるものと考えられています。

馬の全身に分布している汗腺はアポクリン汗腺であり、馬に特異的に発達した構造、組織であり、その他哺乳類の体表にはエクリン汗腺はまったくと言って良いほど分布していません。

◎口の大小と体表エクリン汗腺の分布量、機能の高低については不明ですが、口腔粘膜や肺胞を含む呼吸器粘膜からも、常時気化熱放散はされていますので、多少の関係があることは想像できます。なお、犬などの熱放散はそれらのみに依存していると考えられています。

◎今日の汗に対する西会本部の見解は、「代表ブログ」

皮膚②『エクリン汗腺』、皮膚③『皮膚機能と裸療法』をご参照ください。

(続く)

月刊「健康科学」第5~6巻『昭和16年9月15日』発行より再録)

                                           発汗と食塩とリンパ腺の関係 第4回

  もし、黴菌が入ってリンパ腺が腫れ、病気になる、風邪を引くのも、リンパ腺が腫れたことを意味している。

汗をかくことによって、食塩を失った場合に、もし砂糖を取ったらリンパ腺が腫れる。食塩を補給し、またビタミンⅭとB2が完全に摂れればリンパ腺は腫れず病気もしない。ところが市場で売っている薬品では十分に補給できない。Bはいつも申します通り河合(特定の酒造メーカーのことと思われる)の甘酒に入っている。宮田君に計ってもらったら、他の甘酒には絶対にない。Bのある甘酒でなければいけません。ご承知の通り甘酒は麹ですから、五十三度以上になったら酸っぱくなって醋酸(酢酸の異字)菌になってしまう。麹菌があって初めてBがある。そこのところの製造法が難しい。

そもそもビタミンBは皮膚を健康にする。これが欠けるとペラグラ病(皮膚疾患の一種。現在はビタミンB=ナイアシン欠乏症とされているが、その発見、確定は一九三七年とされている。日本では当時まだその情報は伝わっていなかったものと思われる)になる。富士の山麓地帯に玉ネギばかり食べている村がありますが、玉ネギだけではビタミンBが欠乏しますから、皮膚がどす黒くなる。しかし、マグネシウムは豊富ですから便通は良い。それで玉ネギの実を煎じて飲めば小便が良く出ます。しかし、そればかり食べるとビタミンBの欠乏を来たして面白くない。結局皮膚をきれいにするのはビタミンBであります。

それから汗をかくとビタミンCが欠乏して歯が悪くなる。肺が悪くなる。胃が悪くなる腸が悪くなる。だから、Cの補給とBの補給がいかに重要かがわかる。これらの補給があれば人間は病気をしない。常に新鮮な野菜、特にトマト食べる。汗をかいて砂糖ばっかり摂ってはいけない。疲れて仕方ないから、一時的の方便として砂糖を許すのであって、あくまでも塩の愛用品であるべきである。そればかりやると肝臓や腸が働かなくなる。だから菓子でもって栄養を摂っている人は、爪に三日月が出来ない。そういう人はいつかは狭心症に冒されたり、中風(脳卒中=脳血管疾患全般のこと)になってしまう。

爪に三日月のはっきりある人は美食をしてはいけない。美食をすると脳溢血(脳の出血性疾患=くも膜下出血、脳内出血)を起こします。まず出来るだけ生食をなさるのが良い。

掌及び蹠の発汗

次が、掌(手のひら)及び蹠(足裏)の発汗、この二つの局部における発汗は、一般の体表面上における発汗とは全く異なった性質を持っている。

第一には、掌に不感知性の発汗であって、非常に量が多い。

第二には、この発汗は通常熱学的の原因によっては全然増嵩されない。また精神的、あるいは知覚的要因によっては極めて簡単に汗をかく。かかる特徴はまったく身体全体の発汗とは自ずから違ってくる。これには、だいたい他のところの汗腺より大きさは五倍、十倍の穴を持っている。時によって髪の毛を突き通することができる。

しかし、これは外界がいくら暖かいとて余計かくとかいうことでは絶対ない。

ネズミとかハツカネズミは指と指との間に汗をかく。これらをカモノハシ科動物というが、この動物のことはレーメルという人が一番よく研究している。人間も掌に汗腺が沢山あるが、この掌に汗をかくことは我々の祖先が木に登る時、汗が出なかったらすべってしまうし、また、敵を斃す(たおす)場合に滑ってはいけないから、出るのであって、そういう習性からの遺伝的なものである。

人間が何か重大な力仕事をする際に手につばをかけることは、汗が不足して滑るからその補充をするわけである。蹠の汗もまた同様な訳である。「手に唾する」ということは、漢文にもあれば英語にも「Spitting on the hands」というし、イタリー語にもフランス語にもある。このことは世界中の人類はすべて、いざという時には掌に唾をかけることを意味している。

ミノールという学者がいろいろ実験しまして、掌や蹠の発汗の目的が身体的作用を容易ならしめるためであると言っている。

もし、あなた方が温冷浴をやったり、平牀に寝たり、裸療法をすると汗が出なくなる。出ても手の甲の方から、また背中から、胸から出るようになる。それは本当の健康体になった証拠であります。

腋下の汗

次に、腋下に出る精神的発汗、これは掌や蹠と同じに、感情的刺激で容易(たやす)く汗が出る。私の考えでは腋には一種の悪臭も同時に出る。西洋人は好んでいるが日本人は大いに嫌う。これも温冷浴や裸療法をやると、だんだん出なくなる。ドイツ人シエーツアーとレーネルの二人は、腋下の皮脂腺の分泌物が悪臭を出すのだと言っている。身体の悪臭は多く腋下に出る。特に哺乳動物が交尾期に当たっては非常に悪臭を発散する。腋悪臭のある人は動物から進化していない身体で、この悪臭は鶴間(かつて、西会で推奨販売していた粉末の脱臭剤)で取れる。

(続く)

月刊「健康科学」第5~6巻『昭和16年9月15日』発行より再録)

         排泄としての発汗 第5回(最終回)

 それから、排泄過程としての発汗。汗はその構成の性質からほとんど尿に似ている。これはハルナックとかチヒボルン、クレーメレル、アドラー、タルベート、フィンクル、日本では勝木博士などがそう言っている。とにかく、汗は身体内に出来た老廃物が汗になって外に出てきたのである。その出すべきものを出さないでおくと、腎臓に行って害を成し、尿毒症や膀胱炎を起こすから、汗をかいたら直ちに拭き取ることが必要である。

汗には色汗症というのがある。例えば、みかんを沢山食べると黄色な汗が出る。また、月経時とか妊娠時あるいは死ぬ前には有毒物を分泌する。だから死体を拭いた布で食器などを拭き、あるいはまたその手をなめたりすると、たちまち中毒し、寝込むことがある。月経の時の汗をハエが舐めると一日間も倒れてしまう。これらのことを研究した学者はアーロイング、マブロジャニース、ウエルシ、シエック、ザルクー氏等である。

従来は排泄器官としての汗腺はあまり重視されなかったが、最近、筋運動中において汗腺が体内から乳酸を除去することは極めて重要な役割であることが初めて明らかとなった。今までは汗には単に塩化ナトリウムを出すだけと思っていたが、その他に乳酸が出ることが判った。

平常、あまり多くの汗をかくことは良くないが、一旦病気になった以上は、どんどん汗をかいて治す。これが脚湯、脚袋をやり発汗療法をやるゆえんである。

一九二五年、つまり今から十五、六年前にシェンクという人が、短時間の激しい筋運動中には血液中に乳酸の量は著しく増加するが、長時間にわたる筋運動中にはその増加は極めて僅少であることを発表している。例えば、四〇〇メートル競走の場合、普通、健康な人は血液中の乳酸は十五ミリグラム%から二十ミリグラム%、これを百分率にすれば、つまり十五%から二十%である。そして、十㎞の競争の場合は五十%から六十%に上る。ところが四十二㎞のマラソン競争の後には、わずかに十八%から三十六%に過ぎない。これは尿中の乳酸の変化と全く一致している。

尿中の乳酸の量について研究した人には、ライヘル、フェルドマン、およびヒルという人々があります。これらの人々の研究によりますと、短時間の激しい運動後には尿中に多量の乳酸が見いだされることが判明している。しかし、三十分以上続く運動後にはこれを認めることができない。そこで腹式呼吸を三十分ほどやれば、血液はアルカリ性の傾向になる。反対に脊柱の運動を三十分もやれば酸性の傾向になる。

だから、一方的運動のみを長く続けることが良くないことが判ります。それから、シュナッパーとグリュンバウムの両氏は、一九二八年アムステルダムのオリンピック大会や、その他の協議に参加した多数の選手について実験を行って、まず尿中の乳酸を測定した結果、前に述べたライヘルあたりの実験を承認し、また筋運動を行う時には、天候が非常に影響することを見逃してはならないと言っている。

この二人は汗の検査をした結果、筋運動行う時には、かなりの乳酸が汗に混じて出ることを見出している。例えば、フットボール競技中の選手の上着に〇、一五グラムから、一、〇六グラムの乳酸がついている。そして全身の体表面から排泄される乳酸の総量は、少なくともこの量の二倍に当たるに違いないと断定している。氏らはまた塩化物の量も測定した結果によると、乳酸は平均ほとんど塩化物の五十五%に当たっていることが判った。しかし、若干の場合において塩化物が乳酸を超過していたこともあった。なお、これらについては、その後、クレストウニコフ、コリヤキナ等といった学者の研究がある。

乳酸に対する結論

これから、乳酸の理論に入るのですが、暑い時に乳酸の学説をここで述べても厄介ですから、直ちに結論に入ることにします。

要するに、問題は裸療法をなさること、温冷浴をなさること、平牀に休むこと、なるべく寝間着を着ないこと、着ても腹を出して寝る。以上のようにすれば健康体になるという結論が出てくるのである。

ところが、今の医師は、腹を冷やすな、風邪を引くなと言って厚着させ、かえって皮膚を弱くしてしまう。すべて間違ったことを奨励している。今後は新体制の下に、新たに、正しい医学が生まれる時代が到来したことを知っていただければよろしい。それは、あらゆる方面から理論的に証明することが出来る。

あなた方は、実際上のことを知っていただければよろしいのであります。理論は私の方に参考書もあれば実例を挙げた多くの文献もある。わたしが申し上げることは、絶対に確実なものだけを採るのであるから、理論の方は省略して、結論だけを述べる訳である。

第一、一般体表面上の汗腺は体温を調整すべきものである。つまり、これは発汗の最も重要な目的に他ならない。
第二、これらの汗腺はまた筋運動中における乳酸を除去するに役立つものである。
第三、掌及蹠の汗腺は、不感知性発汗中において皮膚の乾燥するのを防ぎ、発汗によって身体作用を容易ならしめる。
第四、腋の下の汗腺は、腋毛の放散を増強するのである。
第五、かくして汗腺の開放は内外の毒素を排泄解消するに役立つものである。
第六、しかるがゆえに、就寝に先立ちて体重を測定し、朝の体重を量って、夜間の体重の減少する量を量り、それによって失われる塩化ナトリウム(食塩)を補給するならば、疾病に冒されるおそれなし。

これは一般論ではありますが、しかしあなた方として、いちいち体重を量ることはできません。そこで私の方で標準を定めますと、掻巻(かいまき=袖の付いた綿入りの寝具)一枚で寝ると百五十グラムから二百グラム、布団を一枚敷いて寝れば二八〇~四百グラム、二枚敷くと六百グラムの汗とそれに含む食塩を失うのである。

食塩を失うから、胃酸欠乏して胃弱となり、ひいては栄養が摂れず痩瘠(そうせき=やせる)する。夏痩せとはすなわちこれである。ですから、いちいち目方を量らないでも、みそ汁なりゴマ塩を適当に召し上がれば夏痩せはしない。それには常に運動をしなければなりません。

月に一日、国家のため、興亜奉公日の日は断食をする。十五日の日は家族のために塩断ちをする。こうすればちゃんと調整ができる。しかし、汗をかいても、常に砂糖を召し上がる方は自ずと違います。発汗して食塩補給をせず砂糖を少しも摂らぬと栄養不良に陥るが、しかし砂糖は始終続いて摂るべきものではない。それはあくまでも臨時であって、常に砂糖を摂る人はカルシウムが欠乏して、胃と肺の病気になる。

菓子を食べる習慣を止めてしまえば丈夫になる。そこで最後に、食事の結論は次のごとくとなる。

(一)五穀(米、麦、粟、豆、黍)
(二)塩
(三)野菜
(四)魚介
(五)海藻
(六)果実
(七)酒、甘酒
(八)水
(九)菓子(米や麦で作ったもの)

これだけの中に、栄養上必要な一切のものを完全に包含している。特に野菜と果実は生のままで食べればよろしい。昔の延喜式(えんぎしき=平安時代中期に編纂された格式律令の施行細則をまとめた法典のこと)を見ましても、これ以外にはない。

相撲取りは汗をかくから塩をなめに行く。全力を尽くさんとして四股を踏むと塩が汗に混じって逃げるから、そのたびに補給に行く。指が普通の人の三倍くらいあるから、普通の茶さじで半分くらいある。相撲取りは十五日間に十八俵の塩を舐めるということである。砂糖は要らない。砂糖は汗をかいて塩を摂らない場合の臨時の補給である。この点はっきり理解しておかねばなりません。

夏は汗をかくからアポクリン汗腺の穴があいて傷がつき、汗疹(あせも)が出来る。それを治すために、知らない間に重要栄養物を失いますから、酵母の多い甘酒を飲めばよろしいという訳である。

一日にコップで二杯飲む。一杯分としては、三分の一入れて、あとは水を入れて延ばす(薄める)。それで失った栄養物の補給が出来る。ビタミンBが入っているから皮膚がきれいになる。

(了)

コメント

*
*
* (公開されません)

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

Comment On Facebook

G-RRXBNEVVBB