西式健康法

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消化の理解

約17分

消化の理解

◆月刊『テトラパシー』誌昭和11年(1936年)第六巻第三号~第六巻第七号に「消化の理解」と題して掲載された記事を順次再録します。なお、旧字体や仮名遣いはできるだけ現代の文字に改めております。

❮月刊『テトラパシー』昭和11年11月発行第6巻第3号❯より

                消化の理解 (第1回)

北米にて 西 勝造

消化及び分泌の機構とその構成、破壊と結果

“人間の有機組織は、その健全と快適とについては、分泌機能の実効的遂行に所為するものである。もしも排泄の不完全からして、不用物が系統内に堆積するままに放任せられると、中毒性症状がまもなく続発してくるのである”

エリック・プリッチャード博士『嬰児及び幼児の生理学的育成法』

“The human organism is dependent for health and comfort on the efficient of performance of the excretory function. If, from want of elimination’ waste products are allowed to accumulate in the system, toxic symptoms soon supervene. — Dr. Eric Pritchard: —The Physiological Feeding of Infants and Children

宿便保留即ち慢性腸停滞あるいは腸麻痺が直接または間接に、あまたの重症性及び極めて重症性障害と疾患とを招致することについては、私は既に別著に於いて完全にこれを挙示しておいたつもりである。私の引用せるが如く、これについては幾多の権威ある証人もあり、更にこれを絶対的に明瞭ならしめている。読者の多数は、慢性便秘即ち宿便が疾患の中で最も険悪な最も恐るべきものであることを既に確知せられているであろう。

これは拙著『闘病の秘訣』の巻頭に於いて私の挙示せるところである。しかしながら、少数の医学専攻家は私の提示せる数多の証拠を見ても、あるいは承服せられないかも知れない。

それは衰弱して不幸な転帰をとった人々が解剖された場合、その腸管の内部には少しも宿便が見当たらないからである。しかし変死したり、打撲傷を受けて急死したりした人々の大腸内には、多量の古い糞便の堆積せられるのを剖見するであろう。かかる医師諸氏は更に科学的証拠を求められるであろう。これに反し、多数の我が会員諸氏に於いては、一般の読者と同様に私の唱えることに対しては直ちに賛意を示され、如何にせば宿便即ち慢性腸停滞を防止し得るや、既にこれが根を下ろせるときには、如何にしてこれを治癒し得べきやを知らんと欲せられるであろう。かかる二様の読者が満足されるためには、我々は消化と分泌器官との機構とにつき考察し、更に我々の腸が変質を起す様態を探求してみたいと思う。これによって明らかにせられる重要な事実は、懐疑者を説服せしむると同時に、腸を良き状態に保持せんと欲する人々、または腸を健全に且つ正常に回復させんと欲する人々に、所要の知識を提供するであろう。

我々の多数は、我々の身体を殆んど考慮せずして何等の思慮もなく人生を漂泊している。我々は自ら好ましく思うもの、或いは他人の勤むるものを食べるのである。その結果、我々が肉体的不快を経験すると、我々はそうした障害の原因を胃または肝臓あるいは腸のみに求め真の健康法を究めず、真の生体の機構を知らざる人々の製剤に係わるある薬剤または他の丸薬を用いて、事態を矯正せんとするのである。かかる薬剤は、一時的には極めて有効であっても、これを再度服用していると、遂には習慣と化し、究極に於いては、悲惨な結果を招くであろう。

我々の身体は、世界に存在する最も驚異的な機構である。人間の制作せる最も精巧且つ最も完全な機関といえども、これを神が我々に賦与せる奇跡的な自働的な自己整調性、自己清掃性、自己注油性及び自己修理性に比すれば、甚だしく不手際な駄作としか思われない。

我々の眼(まなこ)が、望遠鏡や顕微鏡のように強力でないことは事実である。しかしながら、我々の眼は、望遠鏡あるいは顕微鏡として働くばかりでなく、写真機としても働くのである。それは顕微鏡、望遠鏡及び写真機を兼備せるものであることを知らなければならない。我々は種々なる距離にある物体に焦点を合わせる為に、長い管を引き出す必要はない。しかし望遠鏡を用いる場合にはそうしなければならないのである。人間のレンズは、望遠鏡、顕微鏡及び写真機のレンズの如く硬直せるものではなく、屈伸性を備え、その機能を求められるや、即時に且つ奇跡的に自ら調整作用を行い、あらゆる種類の職能を遂行するのである。我々が窓や眼鏡等を掃除する時、たとい如何に繊細な布切や鹿皮、ブラシ、羽毛等を用いてもこれに掻き傷を残さざるを得ないであろう。人間の眼の窓は、絶えず眼瞼によって拭われ、且つ涙によって洗われて、必要とあらば一世紀の間でも清浄に保たれ、掻き傷を残すことがない。涙は実に奇跡的な溶液であって、軽い防腐性を有しており、単に眼を清潔にするばかりでなく、更に塵埃を拭い去り眼の隅にある格別に柔らかき粘膜を冒す疾患性細菌を滅殺するのである。

(続く)

❮月刊『テトラパシー』昭和11年11月発行第6巻第3号❯より

                           消化の理解 (第2回)

北米にて 西 勝造

消化と分泌器官とについての話は、上品な人々の間ではこれを避くる傾向がある。これは陳腐な、がさつな、下品な厭らしき胸の悪くなる話柄であるように考えられている。

しかしながら、これは眼と同じく驚異すべき機構である。不幸にも、科学は未だ身体の作業を充分に把得するに至っておらない。我々の知識はかくのごとく断片的であるにも関わらず、私は消化器官が眼と同じく奇跡中の奇跡であるとを明瞭に支持し得ると思っている。

我々は、口腔内に於いて唾液を作るのであるが、この唾液こそは、少なくとも涙と同じく驚異的であり且つ実効的である。唾液を作る腺は三組ある。これらの腺は各々特有な溶液を作るのであって、それは他の二つの腺によって分泌せられる溶液とは甚だしく異なっている。咀嚼せる食物の性質如何に応じ、これらの唾液腺はある液汁または他の液汁或いは適当な混合液汁を分泌するのである。

唾液は食物を滑らかにし、良く且つ嚥下しやすくさせて調理するばかりでなく、必須な且つ重要な化学的変化をも行うのである。唾液腺は、食物が眼に見え、鼻に感じた時に働き始める。かくして口腔内に水液を溜まらせるのである。

更にまた食物を見た時、匂いをかいだ時、胃は多量の強き酸性胃液を分泌し始めるのである。塩化水素酸(HCl)は皮革、木片、金属をも分解させる強力な腐食剤である。同時にこれは強き殺菌性を持っている。

清浄な胃は、毎日2ℊ乃至20ℊの純粋塩化水素酸を分泌する。然し乍ら、如何なる科学者も、如何にして胃がかかる強き酸を生成するかを説明していないし、あるいは、また胃の柔らかき内壁がどうしてかかる液体によって障害せられないかを解義していない。

この胃液は希薄にしても、我々の手の甲の柔らかき皮膚に塗るときは傷害するであろう。

胃液の成分もまた我々の摂る食物に応じ、身体によって周到に調節せられる。それというのも、各種の食物は個々に処理せられ、化学的に精錬せられるからである。

多量の塩化水素酸は肉類を処理する時に必要であり、少量のものは米、パン、野菜等を処理する時、ごく少量のものは、牛乳を処理する時に必要である。

正当なユダヤ人は、肉と牛乳とを同時に摂らない。古代の人々は、現代の我々多数のものよりも明らかに消化ということに精通していたのであった。

肉食者は、菜食者よりも塩化水素酸を多く必要とし、且つこれを生成することも多い。「胃弱」の人々は牛肉を止めた方がよいであろう。そして白身の魚肉、ヒラメとかカレイを少量摂るが良いのである。

消化の弱い人々にとっては、大体菜食主義とし、軽い魚肉、少量が効益のあることは古人も良く知っていたところであった。

(続く)

❮月刊『テトラパシー』昭和11年12月発行第6巻第4号❯より

                                     消化の理解 (第3回)

北米にて 西 勝造

ポウロ(St. Paul)はローマ人に寄せた書に記して“弱きものは、少量の魚肉に多量の野菜を食すべし”と言うている。ヒポクラテス及びその門下は、消化障害のある人々、塩化水素酸の分泌が不充分な人々に対し、肉食を慎むことを命じている。

胃液は、身体の液汁(血液、リンパ液、母乳等も含めて)と同じく、天然の防腐性と殺菌性とを持っている。我々は食物及び飲料と共に、無数の疾患性細菌を嚥下するのであるが、かかる細菌は、まず鼻汁及び唾液に次いで塩化水素液たる胃液によって、忠実に処理せられていく。

犬が腐った肉片を嚥下すると、総ての腐敗の根源は胃の中で殺滅せられる。かくして肉塊は健全化せられ、且つ無害性のものとせられるのである。

我々は一世紀前に盛名のあったジョン・ハンターの著書1835年公刊『第四巻』(John Hunter:—Vol. ⅠⅤ, 1835 P.96)その96頁に次の如く記述されているのをみるのである。

“もしも甚だしく腐敗せる肉片を犬に与え、しばらくしてから犬を殺して検査してみると、肉片は新鮮となり、総ての腐敗が終了せることが見出されるであろう” 云々。

胃は食物を消化するに過ぎない。食物が胃によって吸収せられるという考えが一般に流布しているが、これは誤りである。

吸収は極めて長い小腸内に於いて行われるのである。しかしながら、食物は夥しき微小なる突起物、即ち腸内壁の顕微鏡的「絨毛」(じゅうもう)を通して吸収せられる時までに、奇跡的な化学的溶液によって、更に精錬せられるのである。この溶液は、膵臓、胆嚢、及び腸管自体によって多量に分泌せられ、且つその成分は個々の所要に順応し、周到に調整せられるのである。著名なロシアの学者イワン・ペトロウイッチ・パヴロフ教授はその名著『消化腺の作用』(Prof. J. P. Paulov:—The Work of the Digestive Glands 1910, P.3, 31 and 32)

1910年公刊その3頁、31頁及び32頁に於いて次の如く記述している。

“消化の機能は、最近生理学教育上に流布せるが如き抽象的形態を以って説くことをもはや許されない。反応作用液の相異及び複雑性は次のことを示している。即ち、あらゆる単一な場合に於いて、消化管の作業は丹念に企画せられ、巧みに遂行せられ、なかんずく、当面の仕事に特に適合せられていくのである。個々の食事に対し——即ち処理すべき各組の物質の対し——特殊な性質を持つ反応作用液の適当な化合物が生成せられる。消化液の性質は、毎時の分量の変化を律する同一の法則に準拠し、分泌の過程中に於いて変化するのである。かくして我々は、諸腺の作業の驚くべき正確さを更に良く把得することが出来るのである。諸腺は、その求められるものを毛幅ほどの猶予も見せず、各個の時期に過不足なく供給していくのである。諸腺は種々なる成分の分泌液(多少とも酵素を含み、或いは個々の酵素の種々なる配合を含みたるもの)を生成し得るのであって、膵液の場合に於いては、かかる酵素の若干が所在している。加之(しかのみならず)、溶液のその他の性質(独りその酵素の含有量のみならず)も同じように変ぜられるのである。

 キッセン(Dr. Khizhin)博士が、胃袋を用い犬について行いたる研究によれば、混成食物の投与並びに牛乳、パン、肉片等の個別的投与によって飼養すると、各々の時期に於いて、胃腺の活動に特殊な変化が起されるという。分泌の特殊性は胃液の性質に限られていない。その流れの速さ及び継続時間並びにその総量にも及んでいる。パンに注がれる溶液は、最大の消化力を有している。我々はこれを簡約して「パン汁」と称している。

パン汁は牛乳に比し4倍の酵素を含んでおり、この点に於いて4倍の濃度をもっているのである。消化力のみならず、すべての活動も食物の性質に応じて変化する。しかしながら、

酸度は肉塊の場合に最小である(0.46%)。これと同様に、分泌液の総量及び分泌の継続時間も、食物の性質に所為している。

我々が食物を見積るに際し、その総量を測り或いは乾性物質の量を求め、或いは最後に窒素の含有量を調べるかしても、先の関係は同じように明らかとなるのである。(それというのも、胃液はたんぱく構成素に対してのみ働くからである)

例えば肉食の場合についてみると、最初の1時間または2時間に於いては、最大の速さの分泌が起るが、各時間中に供給せられる分泌液の量は殆んど同じである。パン食の場合においては、常に最初の1時間内に於いて、顕著な最大の速さが起り、牛乳食の場合に於いては第2時間または第3時間内に於いて、同じような最大の速さが現れるのである。

膵臓の作業もまた胃腺の作業と同じく、その分泌液が各種の食物に注がれる時の速度の点に於いて、特殊化せられている。もしも動物を飼育するに際して、食物の種類を変ずるならば、胃液の酵素含有量は日を追うて漸次食物の所要に適応してくることが見出されるのである。与えられた食物の影響を受け、実験動物の体内に於いて、膵臓活動の特殊状態が確立せられた時、我々は食物を変化し、同一動物の体内に於いて、これを数回転倒させることができたのであった”云々。

(続く)

❮月刊『テトラパシー』昭和11年12月発行第6巻第4号❯より

                                  消化の理解 (第4回)

北米にて 西 勝造

唾液腺及びその機能について、パヴロフ氏は次の如く述べている。(71頁及び73頁)

“⑴唾液腺の機能は、刺激の程度及び性質に順応し、その分量及び性質の両者を著しく変ずるのである。

⑵分泌せられた唾液の分量及び成分の変化は必ずしも常に並行しない。事実、これ等の両者は著しく不同であることが多い。

⑶しかしながら、その差異は、ある程度の系統的調整を受くるのである。例えば、食物を動物に与える時、その食物が乾燥して硬ければ粘液腺によって行われる分泌も多いのである。この通則は特に粘液腺に適用せられるものであるが、牛乳はこの通則に対して顕著な例外をなしている。

 牛乳に対しては、肉の場合よりも多量の唾液が粘液腺に分泌せられるのである。牛乳に関するこの例外は、次の事実に鑑みる時興味深きものがある。即ち粘液性唾液が牛乳と混合する時には、後にこの混合物が胃液と混ずる場合に、更に一層緩く更に容易に消化せられる凝塊がつくられるのである。牛乳性唾液は、極めて濃縮しており、すべての有機酸の中で最も豊富なものであり、その体積も大きい” 云々

パヴロフ氏は、動物に関する極めて精巧な実験に即して諸種の発見をなし、科学界も一般的にこれを容認しているが、氏はこれ等の発見を要約して、次の如く語っている。

“更に探求すべき幾多の問題が残されているけれども、我々は既に今日までに達成せられたところで満足すべき理由がある。

我々の研究より得たる結果は、従来の粗雑な且つ空虚な概念を永久に打破し得たものと思う。その概念とは、栄養管が消化作用の各位相の特殊な所要条件に関係なく、あるゆる機械性、化学性、または熱学性要因に対し、普遍的に反応するという事である。我々はかかる朦朧たる槪念の代わりに、錯綜せる機構が、その輪郭を明らかにせることを把得している。この機構は、自然界の他の総てのものと同じく、その行うべき仕事に対し、最も微妙に且つ正確に適応せられている” 云々

身体の化学工作は甚だしく驚異的であるため、最も偉大な化学者さえも当惑せしめている。かかる化学者は、身体内で行われる変換及び再変換の化学的過程を残らず発見して、これを解義せんとしているが、全く徒労に終わっている。身体は容易に脂肪を砂糖に或いは砂糖を脂肪に変ぜしめ、肝臓及び組織内に動物性澱粉、グリコーゲンと称せられるものを貯蔵し、緊急な所要を生じた時に、これを即時に変じて糖分とし、これを何等の遅滞なく吸収せられる形態のものとするのである。

精製せられた食物は、小腸の管壁によって吸収せられるけれども、本来の消化は小腸内で行われない。消化は、身体内に於ける吸収及び賦形(ふけい)を意味している。驚異的に調理せられた食物の分子は、その外観および化学的成分に於いて、我々の摂取せる米、パン、海藻、野菜、チーズ、漬物等と全く異なっており、消化し易くせられた食物の流れとして、腸から個々の細胞へ運ばれて行くのである。個々の細胞は無数に達するものであるが、独立し、且つ知能力をもつ小さき実体として働くのである。細胞はその傍を流れてゆく食物を吟味し、あるものを吸収して、あるものを退け、且つ吸収したる食物の中で不適当と認むる部分を、細胞自体の排泄物と共に排除するのであるが、かかる排泄物は多少とも有害性である。

口腔及び胃の諸腺、胆嚢、膵臓等によって、多数の驚異すべき且つ著しく個性化せる溶液が分泌せられるのみならず、種々なる内分泌腺によって更に驚異すべき液汁が極少量に精製せられ、これは身体及びその作業に対し、最も潜在的な効果を与うるものである。甲状腺から分泌せられる液汁の分量及び成分が僅少な不足を生じても、出生した時には頑丈で、望みの多かった幼児を白痴、ちんば、矮小となさしむるであろう。

かかる内分泌腺の分泌する液汁は、消化及び排泄器官の適正な機能にとって、最も重要であることは言うを待たない。これ等の腺は、適当に精製せられた適正な食物によって、健全に保持せられるのであるが、その反面に於いて、これ等の腺は健全である限り、全部として身体及び身体を構成するすべての部分の健全と勢力とに貢献するのである。

通常の人は、毎月あらゆる種類の驚異すべき液汁を小さなバケツに一杯くらいを生成している。我々は毎日約1.13リットル(約6合3)の唾液、1.7乃至2.3リットル(約9合5勺乃至1升2合6勺)の胃液、0.6リットル(約3合2勺)またはそれ以上の膵液、0.6乃至1.1リットル(約3合乃至6合3)の胆汁を成して吸収し、これ等の液汁はすべて栄養管に注がれるのである。

しかしながら、我々は少量の水を、尿、呼吸、唾液、汗等の形態に於いて排泄するに過ぎない。従って唾液腺、胃、胆嚢等によって生成せられるこれ等の驚異すべき且つ相互に全く異なれる化学的液汁は、その大部分が排泄せられず、身体によって清掃せられ且つ純化せられ、再び唾液、胃液、胆汁等に転化せられ、反覆して用いられるわけである。

身体内に於いて最も驚異すべき器官はいうまでもなく、その極めて小さき器官、例えば内分泌腺の如きものであって、その一滴の僅少な断片でさえも、かくの如き小冊子では述べ尽くし難いような奇跡を行い得るのである。

不幸にも我々は未だこれ等の腺については殆んど知るところがない。その驚異すべき機能は、科学者の未だ殆んど把得していないところであり、これはおそらく我々の限られた智慧のほかにあるものと言えよう。

大きな器官の機能を跡付けることは遙かに容易である。そこで、我々は人体内に於ける最大器官即ち肝臓の活動を一瞥したいと思う。

肝臓は、他の器官の多くと同じく、単一な機能に限定せられておらず、諸種の職能を示すものである。外見は不体裁な不格好な肉片としか思われぬ舌が、口腔及び歯牙を清掃し、食物を吟味し且つこれを批判し、これを嚥下し、言葉の器官として働き、健康の指標を成すのと同じく、肝臓も多岐にわたる諸種の機能を持っている。その二千万に達する胆汁生成細胞は、四六時中毎に約0.6リットル(3合2勺)の胆汁を生成するのであって、この胆汁は食物を精製するために必要であり、胆汁の成分は身体の所要に応じて変化するのである。

更にまた肝臓は、我々の摂取せる砂糖をグリコーゲンまたは動物性澱粉に変じ、これを必要のある時まで貯え、身体の食料室として働き、我々の健康に必須な鉄分及びビタミンを貯えるのである。

我々は血液の赤血球に含有せられるヘモグロビンのために鉄分を必要としている。赤血球は、我々が呼吸を行うために欠くことを得ないものである。母乳は何らの鉄分を含有しておらないので、新生児はその肝臓内に九ヶ月分の鉄分を貯えて生れてくるのである。

我々の健康の忠実な守護者たる肝臓には、奇跡的なビタミンが蓄えられている。幼児及び成人にしてビタミン欠乏の為に、虚弱または病身となれるものに対しては、肝油が与えられている。すべての肉食動物及び鳥類は、死体からまず第一に肝臓を引き出してこれを貪り食うのであるが、これは、これ等の動物や鳥類がビタミンのこと及びその貯蔵所を知っているが為であるという。

肝臓は消化の補佐器官及び食料室として働くのみならず、それはまた身体の偉大なる濾過器兼焼却場であって、有害物質は、その無比な化学工場によって、害性の少なきもの或いは無害のものに転化せられるのである。例えば、肝臓はたばこの含有するニコチンを殺滅し、腎臓によってそれが排泄せられる用意を備えるのである。その他幾多の毒物も同じように処理せられる。無害のものとなし得ざる毒物は、肝臓によって貯えられる。それというのもこれ等のものは、系統を毒するに任せられるよりも、肝臓に貯えられる方が傷害を与うることがなくて済むからである。例えば、種々な道程をとって吸収せられる鉛と水銀及びその他の毒物は、いずれも肝臓内に貯えられるのである。

肝臓の収集せる毒物の一部分は、胆汁に混ぜて排泄せられる。胆汁はブーシャール(Bouchard)氏の研究によれば、尿に比し六倍の毒性を持つと言われている。かかる肝臓の毒物は腸へ注入せられ、腸が正常に働いている時には、糞便と共に排泄せられてゆくのである。しかしながら、宿便即ち慢性便秘が所在していると、胆汁は再吸収せられ、再び肝臓によって排泄せられるので、胆汁は更に一層濃縮し、且つ毒性を増大してくるであろう。便秘の結果、濃縮せる胆汁がこうして吸収せられると、我々は「肝臓性」または「胆汁性」(気むずかしさ)となり、顔色が黄色く変化してくるのである。かかる場合、我々は肝臓に罪を帰しているけれども、それは概して我々の自ら招けるものであることが多い。

(続く)

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