ディオバン事件というのをご記憶でしょうか?私を含めて一般の方々が知ったのは2013年(平成25年)の秋のことではなかったかと思います。
「ディオバン」とはノバルティス・インターナショナル株式会社(本社スイス)の日本法人である、ノバルティスファーマ株式会社が製造販売する降圧薬です。
降圧薬といってもいろいろな種類がありますが、通称ARB(アンジオテンシンⅡ受容体拮抗薬)と呼ばれている降圧薬です。
これだけ聞いても、服用している人はものすごく多いけれでも、いったい何をしてくれるのか、どのような作用の薬だかについては、解らないという人の方が圧倒的に多いはずです。
今日では血圧を調整する仕組みについて、かなり解明されてきていまして、そのうちの血圧を上げるほうの仕組みを、いろいろな方法、段階で妨害することによって血圧を降下させるのが多くの降圧薬の薬理作用です。
大量出血を起こしても、利尿剤によって水分を強制的に排泄させても血圧は下がってしまう、下げることができますが、このARBという薬剤は動脈血管の筋肉を収縮させる命令物質である、アンジオテンシンⅡに作用します。
アンジオテンシンⅡが実際に働くためには、結合する受容体と呼ばれる部分と結合しなければならないのですが、薬剤の成分が先に受容体に結合して、結果的に血管収縮力を弱めるという作用です。
中身(血液)が減っても、液体の入った袋(血管)を握る力を緩めても、袋の内側壁面に作用する圧力は減少するという原理です。
「ディオバン」は医学統計データを操作、あるいは捏造して、誇大あるいは架空の効能をうたって販売したのではないかという疑いで、事件になりました。現在は、ノバルティスファーマの元社員1名と法人としてのノバルティスファーマが、つい先日薬事法違反容疑で起訴された段階です。
ディオバン(実際は同じARBである武田の「ブロプレス」に関しても同様あるいは、より悪質な内容の疑惑がもたれているが、事件化はされていない)を他の作用の降圧薬に追加投与すると、臨床的にはどういうわけか脳血管疾患、心血管疾患ともに平均して39%減少した(東京慈恵会医科大学を中心とした研究グループによる報告データ)という内容で、事実なら大いに結構なことなのですが、どうもこれらの報告の報告のほとんどが捏造データに基づいているという疑いが極めて強いということで、事件になったものです。
ここで指摘したい問題が三つあります。ひとつは、学問の自由をたてに捏造データを使った研究発表であっても、基本的には刑事事件にはならない、ということです。
たぶん、こういった行為は製薬業界と医学会の間では普通のこと、つまり研究助成金をもらえるならやはり研究費を出してくれた会社が喜ぶような結果を出して、また来年も、いや次の代の教授のスポンサーにもなってやって欲しい、ということもあるのでしょう。ただ、今回はあまりに慣れっこになってしまい、つい調子に乗ってやりすぎてしまったということなのでしょう。
次に問題なのは、患者に対してどの薬を処方するかの決定権を有する医師の方々の薬学知識がお粗末過ぎることです。
同じARBといっても実はいくつもの種類があって、ディオバン(バルサルタン)、ブロプレス(カンデサルタン・シレキセチル)、オルメテック(オルメサルタン・メドキソミル、ミカルディス(テルミサルタン)等々(2013年の売上高順。カッコ内は化学物質名)。
C24H29N5O3というのはバルサルタンの化学構造式であり、C33H30N4O2はテルミサルタンの構造式です。
構造式を見れば解るように各々異なる物質ですが、いずれもアンジオテンシンⅡの受容体に結合して動脈血管の収縮力を弱める作用があります。
化学構造が異なる物質ですから、それぞれの会社が製法特許を持っていますが、それであるからこそ、なぜディオバンだけにそういった作用があるのか、受容体と結合作用がある物質は多々あるのに、なぜディオバンにはそういう副次効果があるのか、統計の取り方は正しいのかとかといったことを多くの医師が気付くべきであったと思います。
最後は日本の薬事行政です。世界企業であるノバルティス・インターナショナルの本社では、日本法人だけが特異的に「ディオバン」の売り上げが多いということはかなり前から承知していたはずです。
日本における宣伝広報活動が合法的であれば、その方法を踏襲すれば全世界でトップシェアを得ることができることは確実ですから、日本法人の責任者にその秘訣を尋ねないはずがありません。
その結果、アメリカやヨーロッパでこの手のインチキをやったらノバルティスにとって命取りになりかねないが、日本は厚生労働省もマスコミも基本的には製薬会社や広告主には寛大だから大事には至るまい、日本では多くの会社がやってることだし・・・、というようなことで、誇大広告によるかさ上げ売上分をありがたく手にしていたということでしょう。
さすがに事件発覚後は「ディオバン」の売り上げもほぼ半減しましたが、日本市場から撤退することもなく、つぶれてもいませんから、結局はやり得ということになってしまうのでしょう。
法人として有罪が確定し、最大の刑を受けたとしても法人としての罰金刑は200万円に過ぎませんから。抑止効果を出したかったら、罰金刑の最高額を200億円くらいにしないとまったく効果はないどころか、「えっ、ばれても200万円で良いの?」ということになれば、やらなきゃ損という風潮を生むことになるでしょう。
「おれはだまされないよ」という信念がある人と、「おれはだまされているかもしれない」と不安に思っている人。どちらのほうが簡単に騙せると思います?実際、Jikei Heart Studyのデータの不自然さに気づいた日本の医者は極めて稀有で、「日本初のエビデンスが出た!」と多くの医者たちは大喜びしていたのです。
ちょっと古いデータですが、2001年にアメリカでは製薬業界が8万8千人ものMR(製薬メーカーのセールスマン)と55億ドルを使ったそうです(マーシャ・エンジェル 「ビッグ・ファーマ」篠原出版新社. 2005)。こうした巨大な人的、金的支出が、製薬メーカーの慈善行為として行われていると考えるのなら、そりゃ、ナイーブな発想にすぎるというものです。それだけの支出をしてもなお、より大きな収益が得られるからやっているんです。ビジネスですから。年間55億ドル費やしても、より大きな儲けが得られるということは、我々医者がどれだけ(データや論文ではなく)マーケティングに騙されて薬を処方しているのかは、あきらかです。
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