西式健康法

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西式健康法の原理と実際

約53分

◆月刊『テトラパシー』誌昭和10年(1935年)第五巻第四号~昭和11年(1936年)第五巻第六号に「西式健康法の原理と実際」と題して掲載された記事を順次再録します。なお、旧字体や仮名遣いはできるだけ現代の文字に改めております。

❮月刊『テトラパシー』昭和10年12月発行第5巻第4号❯より

                 西式健康法の原理と実際  ❮第1回❯
―― 正木・吉岡両先生の批評に答う ――
(昭和十年十月二十四日、蚕糸会館に於ける講演要旨)

西 勝造

私は只今ご紹介を賜りました西でございます。
幼少の頃から病弱でありましたので、これが本となって、健康法の研究を致しました次第でございますが、専門は土木の技術家で、現在、二、三の会社の顧問や嘱託を致しております。私は初め有名な専門医の方から、二十歳頃まで生きるかどうか難しいと言われた。つまり死の宣告を受けましたので残念に思い、なんとかして丈夫になりたいと、その後長年に亘って健康法や医書の研究を致しますと、従来の健康法にも一部の真理を含んではいます。医学の方も中々研究が進められ且つ技術も経験が積まれてはいるが、いずれも欠陥だらけで、自分の体験から見ましても、こういう健康法や医療法に任せておいたのでは、世の人々が真の健康を保ち天寿を全うすることはできない、助かるべきものも死んでしまう。

そこで私は敢然起って新医学の建設に向って邁進しだしたような訳で、私の健康法は、こういう見地から出ていることを先ず申し上げておきたいと思います。

私の健康法は、大体三つに分けて考えることができます。もっともこれは厳密な意味に於ける絶対的な分け方ではありませんが、その第一は強健術でありまして、真の健康体の人はまずこれだけを実行しておればよい。私は、昭和二年に初めてこの健康法の一部を発表いたしましたが、その時に説いたのは、この強健術だけでありまして、もとより健康体の人を目標としたのであります。しかし実際に於いて、世間には、真の健康体というものは誠に少ない。『人は病の器』とはよく言ったもので、十人寄れば七、八乃至九人まではどこかに何等かの故障を持っている、自ら健康なりと信じておられる人でも何か故障を持っている。大概の人は、自分自身の病気が相当進んでまいりまして、いわゆる自覚症状や他覚症状の現れないうちは病気ということに気が付かない。こういう人の実行する方法が第二の強健法で、これは保健療法の六大法則と致しまして、平床、硬枕、金魚、毛管、触手の六つの運動を包括したものであります。それから第三は西式健康法で、人間生活の全ての行動、朝起きることから夜寝ること、寝ている間でも、食事をすることでも、あるいは場合によっては断食を行わなければならないこともありますから、それについての注意、それから入浴でも歩行でも履物でも、着物の厚い薄い、その他ありとあらゆる方面、衣食住の全てに亘って常住坐臥即る(じょうじゅうざがつとる)べき原則があります。これが西式健康法即ちテトラパシーなのであります。

これ等のことにつきましては、後に詳しくお話申し上げようと思うのであります。

私がこの健康法を組み立てました動機は何処にあるのか、と申しますと、私が明治専門学校に居ります時分に、有志の人たちとフランス語の研究会を組織して、その講習を受けたことがあります。その時の教科書は、フランスの詩人ルサーヂの書きました『人間学』という書籍で、その一節に次のようなことが書いてあります。

場所は地獄の医科大学教室、そこには人間の死骸を入れた二つの箱が並べてあり、鬼の教授が鬼の学生に講義をしている。講義の内容は大体次のとおりである。
『今日は人間学という題で講義を致します。ここに置いてあるのは只今人間界から特急火の車で送られてきたもので、この中に入っているのは二匹の人間の兄弟の死骸であります。
この二匹はいずれも優れた頭の持ち主であり、人間界に於ける高等の教育を受けてきた。兄は常に弟を戒めて「弟よ、決して医師を攻撃してはならぬぞ。我々は病気に罹った時に頼るべきものは医師と薬剤以外にはないのだ」と常に弟を諭しておりました。弟は「イヤ兄さん、それは違います。人間には否生物には天より授かった自然の良能というものがあります。病気を治す力は自然に備わっている。植物をご覧なさい、動物を見てもわかるでしょう。独りでに治るのです。この自然の良能を差し置いて、人間の小さな頭で考えた医師の力を借りる事こそ誤りであります」と頑強に反対し、常に意見を異にしておりましたが、時しも南欧を吹き捲くった悪性の流行病、すなわちコレラに二人とも罹ってしまったのであります。そこで兄は平素の持論の如く、当時の名医の治療を受け、弟はまたその所信に従って一切の医療を廃して、自然の良能の力に頼ったのでありましたが、不幸にして二人とも遂に死亡し、今日の教材となってしまった訳であります。哀れなる兄弟どもである。誤れることとは知らず、一方のことのみを言う輩の言を信じて、かくもはかなき醜態を来たすとは気の毒でもあり可哀想でもある。

この二人は人間社会の両極端を代表したものであります。聞くところによれば、人間社会は五大州に分かれ、人種は八十余種に及ぶとこや。いずれも文化を競い発明にいそしむとは雖も、尚死にゆくこの二人の命を取り止めることが出来ず、遂にかくの如く残骸を曝すとは、思えば不憫の極みであります』

かく説き来たりたる鬼の教授は、自分の子でも亡くしたものか、目に涙をたたへております。
その時、一人の生徒が立ち上がり、「先生、それでは何か他にうまい方法がありますか」と質問しましたところ、鬼の教授は『イヤ、自分にはまだ良い方法がない。人間社会では、只今述べた通り種々の研究が行われているから、遠からず寝る時の枕とか、敷物の改良、食物の関係や薬剤、それに自然の良能、精神の作用、こういう事を結び付けた良い方法が発見される時期もあるであろうから、その時には鬼の世界から人間界に留学生を送って、研究させようと思う。但し、それは千年万年後のことであろう』云々。

(続く)

❮月刊『テトラパシー』昭和10年12月発行第5巻第4号❯より
                                                 西式健康法の原理と実際 ❮第2回❯
―― 正木・吉岡両先生の批評に答う ――
(昭和十年十月二十四日、蚕糸会館に於ける講演要旨)

西 勝造

大体このようなことが書いてありましたが、私は非常に感動しました。その当時まで私は医薬万能主義を奉じておりましたが、これを読んで、なんだか自分が嘲られているような気がしまして、深く考えさせられました。一体我々は寝ている間にどうなるのであろうか、現在用いられている枕は、果たしてこれで良いものであろうか。敷物はどうであるか、精神力も確かに我らの一役を持っている。それがどんな場合に一番働くか、完全栄養ということがしきりに唱えられているが、果たしてそれが完全であるのか、完全なる栄養は完全なる消化吸収を俟って初めて効力を現わすものであり、それには完全なる燃焼と完全なる排泄とが行われなければならない。こういうことを種々考えて見ますと、自分が日頃受けつつある現代医学の治療行為は、果して満足すべきものなりや否や、これ等の点に多大な疑問を起したのであります。

一例を申しますと、小使に命じてストーヴに石炭をくべさせる場合に、どんな者でも、網敷の上に残っている灰を落としてから石炭を入れます。灰で空気の通う隙間が無くなっているのも構わずに石炭を投入する者がありとすれば、余程の馬鹿者と笑うでしょう。然るに現代のいわゆる栄養学者なる者は、消化、吸収、燃焼、排泄という方面は一向に顧みず、唯々栄養を詰め込むことばかり考えているから、つまり、灰の溜まっている所へ石炭を投げ込むのと同様で、これでは完全な栄養の吸収が行われる筈はない。これではただ人体を毀損するのみでないばかりか、——これは後に説明いたしますが、不完全燃焼によって一酸化炭素という有毒ガスを発生したり、或いは便を腸内に残して、これから脳出血やその他種々の病気を起こすことになるのは当然であります。

先刻も申しました通り、元来私は技術家でありまして、炭鉱に永く居りましたが、炭鉱には病院も有っております。私は杭長でありましたので、技術方面はもちろん、病院も監督し、院長でも誰でも自由に働かせなければならず、もし院長に不都合でもあれば、これを責めなければならない立場になっております。私は病院で種々研究いたしましたが、研究すればするほど馬鹿げたことが沢山ありますので、遂に自分が体験し、友人知己に応用して実証を得ましたので、これはどうしても終日(ひねもす)、常住坐臥行うべき健康法に組み立てなければならないという感を深くした次第であります。
(続く)

※注:本書には今日の人権意識に照らして不適切と思われる表現がありますが、時代背景と作品の価値、また著者が故人であることに鑑み、そのままとしました。(編集部)

❮月刊『テトラパシー』昭和10年12月発行第5巻第4号❯より

                                                          西式健康法の原理と実際  ❮第3回❯
                                                       ―― 正木・吉岡両先生の批評に答う ――
(昭和十年十月二十四日、蚕糸会館に於ける講演要旨)

西 勝造

私が強健術を初めて発表しましたのが昭和二年、もっともその時は健康の方が朝夕行うべき強健術だけを説きましたが、その際には、医学の医の字がありましても、世人は承知されませんでしたから、私は医学上のことは一切申しませんでした。

果して世人からは多大な歓迎を受けまして、今日では実行者が百万人くらいあると思いますが、最近では段々と世人の考えが変わって参られまして、一体お前の健康法には医学的根拠があるのか、しばしばこういう質問に接するようになりました。しかし元々医学的研究を根拠として作り上げた健康法でありますから、これを示すことは、私としてはむしろ希望する所でありますから、そこで専門家に読んで頂いても良し、また素人の方が見られてもと思いまして、昨年『アチドーシスとアルカロージス』並びに『便秘』という医学書を本郷の医書専門の文光堂から出版いたしました。これは多年にわたる研究をまとめたもので、医学界の好評を受けておりますが、しかし私の思う存分のことを書きますと、専門家相手であるだけに多少考慮を要する点がありますから、やむを得ず、欧米の医学者の書いたものを土台として、その結論に私の思うとおりのことを入れたという書き方を致しております。
現在の私としては、ある程度まで現代医学界と歩調を揃えようという意味があるからであります。

しかし、一つここに歩調の揃わないものがあるのであります。一例を申しますと、私の最も重きを置いている血液循環説であります。これを説く前に、まず現代医学の奉ずる靴液循環説を研究しなければならない。

現代医学の血液循環説は、申すまでもなく、ハーヴェーの学説でありまして、原文はラテン語で書かれております。日本にはまだ正確な邦文の翻訳が出来ておりませんし、最も英訳や独訳はありますが、多少誤訳がありますから、私はラテンの原本から翻訳いたしまして私の機関雑誌「テトラパシー」の初号より連載完結いたしました。ところが九大の木村さんという医学博士の方で、ウイリスの英訳から邦文への翻訳に着手され、完結に至らずして亡くなられ、残りの部分を友人方が翻訳されて完結されたものが出来ているといって、木村博士の未亡人の方から私に送ってくださいました。私としては、こういう翻訳が出来ていることは知りませんでした。最も英訳書からの邦訳とラテンの原文からでは所々意味が違っております。それはともかくとして、ハーヴェーがこの学説を発表されましたのは今から約三百年前で、その発表当時にはだいぶ反対者がありましたし、フランスのリオラン兄弟などは、ハーヴェーを面詰したということでありますが、ハーヴェーは立派な紳士で、十分これを反駁することをせずして亡くなりました。
ハーヴェーの説は申すまでもなく心臓ポンプ説でありますが、その字句を改めますと、そのまますぐに私の心臓タンク説に応用されるようにできております。

私の学説は、昭和二年以来大日本西会その他で毎月数回ずつ講義を続けておりますが、今なお完了しておりません。今後なお十数年間は続くと思いますが、その講義を聞かれる方は、医学博士であり、医学士あり、陸軍大将あり、その他大会社の社長重役より、商工業者、八百屋、魚屋等あらゆる方面の人々を網羅し、その数は毎月全国で二万人位に達しておりますが、この九年間に説いてきたこと、なお今後説こうとすることの結論を、今晩二、三時間でお話しするのでありますから、これだけをお聴きになりますと、あるいは独断のように聞えるかも知れません。また専門家やその外の方々で、しばしば私の説に対して批評されたり、質問されたりする方がありますが、これも同様の理由で、その詳しいことは、永年にわたっての講義をお聴きくださらなければご納得なさることは困難なためか、大概見当違いのことを申されるのは、これまた致し方のない次第であります。
(続く)

※注:本書には今日の人権意識に照らして不適切と思われる表現がありますが、時代背景と作品の価値、また著者が故人であることに鑑み、そのままとしました。(編集部)

❮月刊『テトラパシー』昭和10年12月発行第5巻第4号❯より

                西式健康法の原理と実際  ❮第4回❯

―― 正木・吉岡両先生の批評に答う ――

(昭和十年十月二十四日、蚕糸会館に於ける講演要旨)

西 勝造

先月、私は朝鮮から満州の方へ参りまして、各所で講演を致しました。その時、元鎌倉西会の役員で、その後関東庁に勤めておられる方とか、その他の地方の方々が申されますのに『二、三年前に出ました先生を攻撃された新聞記事や、正木不如丘(まさき ふじょきゅう)博士や吉岡弥生女史の批評を真に受けている人が大分多いようです。ことに女子医専を出た吉岡門下の若い女医たちは西式に反対の態度をとって、誰が何といっても私たちの校長が反対されてるから反対だ、と言っているから、一つご釈明を願います』ということでありましたので、この度の講演には。特に「正木、吉岡両先生に対する批評に答う」と致しました訳であります。実は一昨晩、本所公会堂で同じ演題で講演いたしまして満員の盛況でございましたが、その講演をお聴きになった方から十二、三通のお手紙を頂戴いたしました。いずれもそのお手紙には「正木や吉岡などを相手にするは大人気(おとなげ)がない、もっと大物を相手にしたらどうか」という意味でございます。これは如何にもごもっともでございまして、私の説に批評を加えられた方は、一流の大家をはじめ多数でありますが、私としてはまず中堅どころの正木先生や吉岡先生の御批評にお答えしてから、徐々に大物の方に及ぼそうという考え、なお都会でお話したことは、自然に地方にも広がる訳でありますから、まず東京で火蓋を切ろうという考えから、同じ演題で数ヶ所に講演会を開いたので、向こうが真に反省して「西を攻撃したのは誤りであった」というまでは幾度でもやろうと思っております。

吉岡先生はどういうことを言っておられるかというと申しますと、西は医学的知識が無いとか、平床に寝れば下痢をするとか言っておられます。
また正木先生は中央公論で、西の健康法も良いが、血液循環の心臓タンク説だけは誤っている、独断である。折角の健康法にこういう謬見を標榜することは、西の為に悲しむところである。大体このような事をあまりお上品でない筆致で書いておられます。

吉岡先生の仰せられた平床のことに就きましては、後ほど申し上げることと致しまして、正木先生の方から申し上げますと、要するに血液循環に関する私の学説、即ち心臓はポンプに非ずしてタンクである、而して血液循環の原動力は毛細血管の引力である、という点を攻撃して、これをドクマ(独断)であるとし、これが西式の弱点であるとして、しきりに悲しんでおられるのです。

これに対しましては、毛細管現象というのは既にご承知の通り、器に水を入れまして、両端の開いている細いガラス管を立てますと、水は管内に登り、これは管の口径が細ければ細いほど高く昇ります——もっともある限度以上に細くなりますと、かえって昇らぬようになりますが——これが即ち毛細管現象で、これには個体、液体、気体の三要素が絶対に必要であります。それで私の毛細管現象説を批評される方は、血液が血管内を運行する場合には、この三要素の中、気体が欠如しているではないか、と申されます。これに対しては、まず血管の構造と機能を申し上げる必要がありますが、動脈の方は血液が入ってきますと広がる性質を持っているし、静脈の方は血液が入ってきますと、収縮して先へ先へと押し出す性質を持っており、そして内部には弁を備えて血液の逆流を防ぐように出来ております。

即ち動脈は「生きんが為の広がる力」(Vis a fronte)を持っており、静脈は「生きんが為の押す力」(Vis a tergo)を持っているのです。この収縮、拡張は即ち自然の良能で、厚着の習慣の人は、収縮、拡大の力を失ってしまう。この動脈と静脈との間を接続するものが即ち毛細血管でありまして、今、静脈内に血液が流入して来た場合を考えて見ますと、只今申しました通り収縮力で先へ先へと送り出し、弁で逆流を防いでおりますから、毛細血管に近い部分に真空を生じます。つまり、気体の部分が出来るのであります。そうしますと、血管が個体、血液は液体でありますから、ここに毛細管現象に必要なる三条件が備わりまして、毛細血管に毛細管現象が起るのでございます。これが血液循環の原動力となるのであります。

(続く)

❮月刊『テトラパシー』昭和10年12月発行第5巻第4号❯より

                                                        西式健康法の原理と実際  ❮第5回❯

―― 正木・吉岡両先生の批評に答う ――

(昭和十年十月二十四日、蚕糸会館に於ける講演要旨)

西 勝造

この血液循環につきまして、ある医学博士の方が憤慨して私の家に難詰にやってこられました。そこで段々話していきますと、これはどうしても数学上の問題に帰着しますので、そうなると先方が行き詰まってしまう。『あなたは数学がお解りですか』と申しますと『イヤ解らない』とおっしゃる。これでは話になりません。ほうほうの体で逃げ帰られました喜劇もございます。譬えて申しますと、女中さんから『電灯はどうして点くのでしょうか』と尋ねられた様なもので、その女中さんに電気の知識があればよろしいのですが、もし無かったら、いくら説明したところで解る筈がありません。血液循環の説明もまたこれと同様であります。

しかし実際問題としましては、理屈はどうでもよい、電気なら明るく点いていればよい、病気なら治ればよい。例えば、あなた方が手に怪我をされた時、できるだけ手を頭よりも高く挙げて振れば、それで治ってしまいます。これは只今申しました通り、血液循環は毛細血管の表面張力によって行われるという理由によるもので、これが即ち正当医学であります。然るに、それを治すことを知らずして、化膿させてしまうのが現代医学であります。その証拠には、切りたてのホカホカで未だ細菌の繁殖しないうちから防腐剤を塗ったりして包帯しておいて、自然に肉の上ってくるのを待つという具合に快復を遅らせる、この方がインチキ医学なのであります。但しこれは日本の医学を指してではなく、私が見学をした欧米の医学を指しての話であります。私は自分の健康法を発表して以来、日本のお医者のやり方は実見しておりません。

それなら、一体どういう訳で手を高く挙げて振れば怪我が治るのか、と申しますと、怪我をしたばかりの時には、そこにはまだ黴菌も何もおりません。その時手を挙げて振りますと、地球の引力によって静脈内の血液は下がってくる。従って先刻申しました通り真空が生じまして、盛んに毛細管現象が起こります。そして動脈血が引き上げられ、血液循環が活発になりますから、そこで化膿菌も繁殖することが出来ずに治ってしまいます。この手を高く挙げて振るのが、毛管作用発現法と申しまして、私の健康法の第四番目の方法でありまして、理論は、この通りハッキリ致しておるにも拘わらず、正木先生は「これが西式健康法の弱点である」「西の為に悲しむ」と言って泣いておられる。何も悲しんだり泣いたりして頂くには及びません。そんなに泣きたければ、支那へでも行って泣き男にでもなられたほうが良いと思うのであります。

手足の血液循環が旺盛になるばかりでなく、全身の血行が非常に活発になります。

それはどういう訳かと申しますと、全身の血管は皆接続しておりますから、その一部分の循環を良くすれば、全部が良くなるということは常識的にも考えられますが、なお重大な理由は、ドイツのマルチン・フォーゲル博士の編集された『人』Maltin Vogel:——Der Mensch,1931という著書の百二十八頁に、全身の毛細血管の数は五十一億本と書いてあります。手足の毛細血管はその四分の三あるそうですから、三十八億本が手足に配置されていることになるのであります。ですから手足の毛細血管を働かせることは、全身の七割五分の毛細血管の活動を旺盛にすることは自明の理でありまして、手足を高く挙げて振ることが毛管作用発現法に非ずしてなんぞや、と申したいのであります。こういう根拠があるにも拘わらず、正木博士は私のことを独断だと言っておられる。おそらくこの理屈を御存じない為でありましょうが、独断と言われる方がよほど独断であると思います。

(続く)

❮月刊『テトラパシー』昭和10年12月発行第5巻第4号❯より

                                           西式健康法の原理と実際  ❮第6回❯

―― 正木・吉岡両先生の批評に答う ――

(昭和十年十月二十四日、蚕糸会館に於ける講演要旨)

西 勝造

これについて思い起こしますことは、昭和五年の春であったと記憶しておりますが、慶応医大の林博士が、ある雑誌に『血液循環の槪念(西式強健術の毛細管現象説は無根拠の俗説)』と題して、私の学説を論駁されたことがあります。もちろんこれは認識不足に基づく妄評であり、且つこのような大問題を、僅々二頁か三頁で論じつくすことが出来るものではありません。ですから、これはゆっくり話し合わなければならない問題である。それには林博士と私とに立会演説会をさせるのが最も良い。こういう見地から、時の大日本西会理事長石塚氏他二、三人が —— 私はこの事実を後で知ったのでありますが —— 慶大に参られまして林博士に面会し、立会演説をお願いされたのであります。その大要は、テトラパシーの創刊号に掲載してありますが、結局林先生は私との立会演説を承諾されませんでした。

私の方は信者の方がやれと言えばやりますだけで、何も私が好んで進んだ訳ではないのです。熱心な信者の身として悪口でもされると憤慨なさるのは当然です。それはそれとして、後で林先生は、西会から暴力団がやってきたと言って人に語られたそうですが、事実は以上の通りでありまして、極めて紳士的に相談に行かれたまでのことであります。

ともかくも、怪我をしたら高く挙げて振れば治る。指を切り落とした場合でも、まずきれいに洗ってよく傷口合わせ、何か割り箸のようなもので添木をして軽く包帯で巻き、まず微振動から始めて、しばらく振りますと繋がってしまう。これは九年間にわたる多数の経験によって証明されている事実であります。昨晩もあるところで製薬所員の慰労会を催しておりました時、さる高貴の方から、お電話で御召しがございましたので、中座して伺候いたしましたが、このやんごとなき御方様におかせられましても私の方法を深くお信じあそばされて、高く挙げて振れば怪我が治る、という事はよくご承知になっていらせられます。

先だって、ある人からやはり、指を切り落としたが、どうすれば良いか、という電話がありましたので、包帯を巻いて静かに振り、そしてあまり急がずに、仮に外人の経営される医院においでなさるとすれば、医院の門に着いてからも直ぐに中へ入らず、二、三遍家の周りを廻ってからお入りなさい、と申しました。それは直ぐに参りますとイキナリ消毒、防腐剤、包帯という処置が行われましょうから、却って化膿させられる恐れがある。しかし振りながら道草を食って参りますと、行き着くまでに治ってしまう。もしこの際医者になど行く必要がない、と申しますと、医療行為妨害罪に問われるのでございまして、腐らせたり長引かせる方法を勧めなければ、良国民として立って行けない、というのは誠に情ない次第であります。現代の、但し欧米のイヤ支那の医学でも腐らせ且つ長引かせる方法を知っているが、簡単に治す方法を知らない。四年間も医科大学で、何を学んできたのか疑わざるを得ません。それにも拘らず、数十年も研究を積みその結論を発表したものに対し、何ら理由のない盲評を公表して憚らぬのは、こちらが甚だ困るのであります。私はあくまでその反省を促したいと思うのであります。くれぐれも申します通り、私の学説は少しも独断ではない、いずれも欧米各国の名あり学識あり人格ある専門医学者の研究を根拠としてまとめ上げたのであります。日本のはお断りしたのは拝借いたしますが、剽窃(ひょうせつ/他人の作品や論文を勝手に自分のものとして発表すること…編集部注)呼ばわりをされますから、なるたけ採用しないようにしております。

私は著書の印税として実業之日本社その他から十数万円を受け取りましたが、大概洋書購入費に向けております。丸善の店員の話によりますと、日本でたくさん洋書をお買いになる筆頭は徳川義信候で、その次が私であるということで、これは決して自慢に申し上げる訳ではなく、広く世人に実行される健康法でありますから、少しでも誤りがあっては相済まぬ、確実な上にも確実でなければならない。これが私の責任である。

こういう意味で、力の及ぶ限り世界医学者の研究を知って置かなければならないからで、これで大概、私の健康法の根拠が確実であることが、お判りいただけたことと思われます。

私は素人で、道楽で健康法を普及しているのでございますから、その辺もお含み願います。素人天狗と申しまして、碁や将棋、義太夫にありましょう、あれです。

(続く)

※注:本書には今日の人権意識に照らして不適切と思われる表現がありますが、時代背景と作品の価値、また著者が故人であることに鑑み、そのままとしました。(編集部)

❮月刊『テトラパシー』昭和10年12月発行第5巻第4号❯より

                                                                                  西式健康法の原理と実際  ❮第7回❯
―― 正木・吉岡両先生の批評に答う ――

(昭和十年十月二十四日、蚕糸会館に於ける講演要旨)

西 勝造

そこで私どもの身体でありますが、これはまとまった全体として見なければならないもので、部分々々を切り離して考えることはできない。如何なる部分も他の総ての部分と関係があり、従って小さな何等かの徴候、色沢(しょくたく・いろつや)、数襞(すうへき)といえども決して無意味に表れるものでものではありません。人相とか手相というものも、この観点から、中々重要な役割を演じていることが首肯(しゅこう)されるのであります。

私が坑山におりました時、病院に参りますと、入院中の坑夫に、手を出してごらんと言って手を出させ、まず手を握らしてみる。それから掌(てのひら)を開かせて手のすじを見ます。すじの薄いもの、深いものや断続せるもの、いろいろあります。握力の弱い者のすじは薄くて浅いのでありますが、私が掌のすじを見ては『おいおい、お前は食が進まないだろう、通じが悪いだろう。今朝細君と喧嘩をやってきたな』などと問いますと『ヘィ全くその通りで、食も進みませんし、通じも今日で三日ありません。ヘィヘィ嬶婢(かかあ)の頭をどやしてきましたヘィヘィ』なんかと申します。全く百発百中です。これは虚弱な者は握力も弱く手の線(すじ)が薄いし、心の平静を破りますと色沢に表れます。健康な人は握力が強く、従って、手の線(すじ)が濃く深く出ている。こういう事から、私は手の線(すじ)や手の形状等に興味を持ち、数十年間に亘って研究を続け、古今東西の文献を渉猟(しょうりょう/調査、研究などの為に沢山読みあさること…編集部注)して、これを実地と対照しますと、その間に動かすべからざる理法の存することが判りましたので、先月実業之日本社から『手相新解』と題する新著を公に致したのでございます。手相につきましては、種々面白い話もございますが、先年、輝かしき将来を約束された一女流ピアニストがウィーンの客舎で飛下り自殺を遂げられたことがありました。その時、近親の方のお話として新聞紙上に掲載された記事によりますと「あの娘は幼い時から生命線が無かったから、斯くあるべきことは覚悟しておった」という意味でありました。もし果たしてその言の如く、手相が宿命的にその人の運命を決定しているならば、手相の研究というものは誠につまらぬ。意味ないことと申さなければなりません。

しかし、私の手相に対する見解は決してそうではなく、もし生命線の薄い人があったら濃くすればよい、短く浅い人はこれを長く深くすればよい、断続している人は接続させればよい、というのであります。それなら短いものを長くしたり、薄いものを濃くしたりするにはどうすればよいか、というと、それには親指の働きを十分にし、握力を強くすれば、親指の根の処にあるすじ、即ち生命線がハッキリとして深く長く明瞭に現れます。

一体、親指の働きが完全な人は、体内の予備アルカリが豊富であり、親指の働きの鈍い人は予備アルカリが欠乏している。と申すのは、この親指を掌(にぎ)る主神経は頸椎の七番で、この頸椎七番が予備アルカリの生成を掌(つかさど)っております。ですから生命線の長短、濃淡、深浅(しんせん)、断続の如何は、その人の健康であるか否かを表現することになるので、生命線や他の線その他一般手相はその人の運命を司ることにもなり、また、手相を自分で変えていくこともできる理由もお解りのことと思います。

(続く)

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                                                     西式健康法の原理と実際  ❮第8回❯
―― 正木・吉岡両先生の批評に答う ――
(昭和十年十月二十四日、蚕糸会館に於ける講演要旨)
西 勝造

人類の体液は、元来弱アルカリ性のものでありますが、種々の原因から酸性が勝ち過ぎたり、アルカリ性に傾きすぎたり過ぎたりすることがあるので、そういう時には必ず身体に違和を来たすのであります。正常な体液の水素イオン濃度(㏗)は7.28から7.4位の間で、この時は酸と塩基とが平衡を保っております。尤も厳密に平衡しているといえば㏗が7でありますが、この平衡が破れて酸が勝ち過ぎますと酸過剰症、即ちアチドーシスとなり、アルカリが勝ち過ぎますとアルカリ過剰症、即ちアルカロージスとなります。アチドーシスの代表病は糖尿病で、それから胃癌の末期とか動脈硬化、脳溢血とか風邪に罹りやすいというような病気、アルカロージスの方は、幽門狭窄、その他テタニー即ち痙攣強直、一般に震える性質の病気でありますから、体液は常に、酸、アルカリの平衡を保たしめるように注意しなければなりません。そして弱アルカリ性にしておくということが必要であります。

我々の日常摂っている食物にも酸性とアルカリ性とがありまして、これを決めるには食物を焼いてみます。なんでも焼きますと灰が残りますが、食物を焼いて残った灰分を調べますと、大体に於いて膨脹性(ぼうちょうせい)の灰分が優っているものがアルカリ性の食品、収斂性(しゅうれんせい)の優った方は酸性の食品なのでありますが、精確に申しますと、純然たる酸性の食品とか純然たるアルカリ性の食品というものはない、皆、両方が混じっておって、ただ、どちらが多くあるかによって決まるわけです。例えば、100グラムのパンを処理してみますと、収斂性の灰分が29.7ミリバル、膨脹性の22.8ミリバル残りまして、収斂性の方が6.9ミリバル優っておりますから、パンは酸性の食品と決めるのです。またキャベツを試験しますと、収斂性の灰分が6.7ミリバルで膨脹性の灰分が11.0ミリバル、膨脹性の方が4.3ミリバルだけ優っておりますから、これをアルカリ性の食品と致すのであります。総ての食品につきまして酸性かアルカリ性かを試験した分類表は、私の著書『アチドーシスとアルカロージス』及び『西式血圧病療法』或は機関雑誌『テトラパシー』に載せてありますが、大体に於いて肉類は酸性、野菜類はアルカリ性でございます。ですから、私どもが食事を摂る場合には、よくこの配合を考え、一方に偏しないようにする注意が肝心であります。

それから、総ての運動は体内に酸性物質を増し、安静はアルカリ性に傾かしむるものでありますから、体育々々といって、只々筋肉のみの運動ばかり致しますと、酸の生成が盛んになりすぎまして、アチドーシスに罹りやすく、また、腹式呼吸や静坐法ばかりやったり、高山に登ったりしますと酸欠乏症になりまして、アルカロージスに罹るのでございます。ですから運動としては、背と腹を同時に動かすのが理想的で、私の健康法中の運動法は、脊柱運動によって酸性に導き、腹部の運動をやってアルカリ性に導き、これによって両者を中和させるのでありまして、合理的の食餌法とも合致しているのであります。

しかしながら、私どもは酸、アルカリに対してあまり神経過敏になってもいけない。昼間は、人々は活動して散歩したり或は働いたりしておりますから、どなたでも昼の間は酸過剰に傾いている。ところが、夜寝ますと、安静に致しますのでアルカリ性物質が出動致しまして、中和してくれるようにできております。熟睡している間にはアルカリ性が生成され、これがまた過剰となれば、轉輾反側(てんてんはんそく)という運動が始まって酸が生成されほどよく調節されて行くのでありますが、これについてよく研究してみますと、寝床に非常に深い関係があり、その最も理想的のものは、堅く平らなものであるということに到達するのであります。この堅く平らな寝床、即ち平床に反対されるのが吉岡老先生で、従ってそのお弟子たち、まだ嘴の黄色い純真なる娘たちは、何も知らずに「誰が何と言っても私たちの校長先生が反対されるから反対だ」と言われるのも、師を想う身のもっともなことであります。
(続く)

❮月刊『テトラパシー』昭和10年12月発行第5巻第4号❯より

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―― 正木・吉岡両先生の批評に答う ――
(昭和十年十月二十四日、蚕糸会館に於ける講演要旨)

西 勝造

畏れ多いことではございますが、あるやんごとなき御方様が御馬でお怪我遊ばされまして、そのお痛みが多くの名医のお手当にも拘わらず中々お治りになりません。それが平床と御断食を遊ばしましたことで、すっかりご快癒遊ばされたものでございますから、非常にお喜び遊ばしなすっていらせられます。先般私が満州へ参りました際にも、至る所でやんごとなき御方様が平床をお用いになってご旅行遊ばし召されるというお話をもれ承りまして、実に恐懼(きょうく)いたしました次第でございました。

今月二日福井市へ講演にまいりまして、芦原温泉の紅屋旅館に泊まりました時にも、宿の女将は、さる宮殿下がご宿泊遊ばされました時に、平床に御寝(ぎょしん)遊ばされなさりましたが、畏れ多い極みでございました、と謹んで言うておりましたところが、その本元の本尊様がお出でになりましたと、いとも丁寧なもてなしを受けました。

京都で泊まりました都ホテルの支配人は、私と同じ同姓の西さんという方ですが、この方も、さる宮殿下が当館へ御宿泊遊ばされました際、平床があるか、と御下問遊ばされた、とお話しされました。また、高松市へ参りました節にも私の懇意な方のお話にも、さる宮殿下が平床をご持参遊ばされ、それに御寝遊ばされたと皆々驚いて、大したものだということを申しておられましたが、とにかく高貴の方々が、この通り寝具の敷布団に平床をお用い遊ばされ、そしていとも御健(おんすこやか)に渡らせたもうのでございます。

満鮮地方へ参りますと、寝床はご承知のオンドル、これは土を塗り固めたものでその上に寝みますし、枕も陶器のものを用いておりますから、あまり平床だ、硬枕だと力説できません。

平床の効果についての文献は、古今東西、沢山ございます。医療上に於いても、近年次第にこれを用いる傾向になっておりますし、ことに脊椎カリウス患者の治療には非常に効果の多いことが認められております。それを一々ここで申し上げる時間はございませんが、吉岡先生は、この平床について西さんのような医学を知らぬものが・・・・平床を用いれば下痢をするじゃないか、とか言って反対しておられます。

私が医学をどの程度まで知っているかどうかは別問題としても、慶応医大の川上漸博士は、人の脳出血の原因は腸の故障であり便秘であり、老衰の原因もこの便秘によるものである。故に人は下痢に傾いている方が良い、と言っておられるほどで、この点から言っても、平床の必要なことが解るのであります。

米国のマック・アイヴァーという医学者の書かれた新刊に「急性腸閉塞症」(MeIver:—Acute Intestinal Obs truction,)という大冊ものがあります。これは米国医学雑誌に連載したものをまとめたもので、私は連載中から読んでおりましたが、これによりますと、腸閉塞症の手術を成功するものは殆どない。だから技術がよほど進歩しない限り治癒の見込みはない、と言っております。28頁には、腸閉塞の割合は小腸が74%で、大腸は26%となります。

そこで、この腸閉塞はどうして起こるか、という問題を検討する必要が起って参ります。第一に申し上げたいのは、モスコー大学教授セップ氏の「脳内の血液循環の力学」(Sepp:—Die Dynamik der Blutzirklation im Gehirn 1928)とタルツー大学教授プーセップ氏の「脳惱瘍(のうのうよう)の臨床と治療」(Puusepp:—Zur Klinik und Therapie der Hirnabsz sse,1934)という二つの文献でございまして、いずれも脳についての詳しい研究が載せてあります。そして前者には「屍体を解剖してみると、大概脳出血を起している。これは脳髄は血液循環に余計に力がいる為に違いない」という事が書いてありますし、後者には「大脳出血は左側の回転部、特に手足を掌る神経の部分が最も出血しやすい」という事が書いてあります。

(続く)

※注:本書には今日の人権意識に照らして不適切と思われる表現がありますが、時代背景と作品の価値、また著者が故人であることに鑑み、そのままとしました。(編集部)

❮月刊『テトラパシー』昭和10年12月発行第5巻第4号❯より

                                                           西式健康法の原理と実際  ❮第10回❯

―― 正木・吉岡両先生の批評に答う ――

(昭和十年十月二十四日、蚕糸会館に於ける講演要旨)

西 勝造

その次に申し上げるのは、先程ちょっと申しました慶応医大教授医学博士川上漸先生教室内の研究で、非常に周到な用意の下で徹底的に研究されておりますから、その大要を申し述べようと思います。

川上博士教室内のご研究は大体四つに分けることが出来ます。ご自分の教室で博士や学士の方々に分担的に研究を命ぜられたもので、その第一は、山崎先生の研究。先生は死者の脳髄を調べると殆ど出血をしている、その出血の状態をお調べになったのでありますが、多数の死体の脳髄を解剖してみますと、100人中に97.7人という多数の割合で出血している事実がわかり、そのうち生前に医者が脳出血と診断した者がわずかに4.7人ですから、他の93人という者は医者も当人も出血ということを知らずに死亡したものであります。そしてその出血の範囲は、年齢と共に増加していくという事実も判明いたしました。

第二は柴田信(しん)先生のご研究で、専ら腸閉塞に関する研究であります。腸閉塞即ちイレウスは恐ろしい病気で、患者は非常に苦しんで短時間に死んでしまいます。これについての従来の研究は非常に乱暴で、モルモットとか他の動物で腫を切り開いて腸を糸で結う。そうしますと腸内容物の通過ができなくなり、即ち腸閉塞になって死ぬのでありますが、動物にとっては腹を切り開かれたことが非常の苦痛であり、その上、腸を結わえられたのでありますから、これではどこまでが腸閉塞のための苦しみであるか判らない。従って、その実験にはあまり重きを置かれなかったのであります。柴田先生はそういう事のないように色々考えられまして、まずコンドームの中にラミナリヤという、乾燥している時は非常に容積が小さいが、水分を吸収すると非常に膨張率の大きい海藻の一種を入れ、コンドームには針で一、二ヶ所小さい孔をあけ、動物の腹を切り開いてこれを腸管に結び付けます。そして切開した部分を縫い合わせますと、創の方は容易く治り、その当座は動物に何等の異常もありません。しかし腸に結び付けたコンドームの中のラミナリヤは腹水を吸収して段々膨脹してまいりますから、それにつれて腸は締め付けられ、遂にくびれて完全な腸閉塞を起し、動物は七顛八倒の苦しみをして死んでしまいます。そこで死んだ動物の脳髄を解剖してみると、必ず出血を起こしております。しかし、健康な動物を撲殺するとか毒殺しても出血はありません。これが非常に重要な点であります。

その次に松田先生は、腸閉塞部の上流あるいは下流の粘膜を切り取って無菌のものを培養し、黴菌を発生させてそれを他の動物に注射しますと、動物は苦しむことなく眠るが如く死んでしまいますが、その時脳髄を解剖してみると、必ず出血をしております。

その他にもありますが、それは略しまして、そこでこれ等の研究によって得られた川上博士の結論を申し上げますと『腸閉塞に罹った際には一種の毒素が生成され、これが頭に行って脳の血管を破るか膨張させるか麻痺をさせるのである。そして普通最も腸閉塞の状態に陥らしめるものは便秘である。便停滞である。故に人は下痢に傾いている方が良い』というので、便秘の如何に恐るべきものであるかを貴重な実験によって立証されたのであります。ですから私の唱導する平床は、単にこの一事から見ても非常な重要性があるのでありますし、尚この腸内の糞便停滞を調整する良法としては私の唱える金魚式脊柱整正法とか毛管運動というものがあります。他の動物を見ましても、中毒や食い過ぎの場合には七転八倒、ひっくり返って体を動かし手足を動かすのもやはり一種の金魚式あるいは毛管運動で、これによって大脳の出血を緩和しようとしているのであります。

先刻も申しました通り、元来私は幼年時代は蒲柳(ほりゅう/ひ弱な意…編集部注)の質で始終病気ばかり致しておりました。杏雲堂の院長佐々木政吉博士から、二十歳までの生命が覚束(おぼつか)ないという宣告を、私の父に聞かされた時は非常な悲しみを精神上に受けました程でありましたが、しかし私は腹の中では「こういうことを言って聞かせるのは甚だけしからん。よし自分は自分で健康になってみせる」という考えを起しまして、鎌倉の禅寺へ行って坐禅もやりましたし、腹式呼吸、静坐法、撃剣、柔道、いろんな事を致しましたが、むろん不完全な身体ですから徹底的にはやれませんから治りません。病弱ながらも工手学校の土木学科を終えまして、三井鉱山会社に入社しました。それから明治専門学校に研究生として28才の時にやられましたが、その頃発表されましたのが、メチニコフの「長生法」で、これは後には早稲田の文明協会から邦訳がでました。大隈伯の主張された百二十五才説もその頃の産物で、私はそれよりも先にミッチェルの英訳書を入手して研究し、同書の結論は『人の夭折短命は腸内の糞便停滞による自家中毒である。故にこれを常に排除しておけば長命ができる』という事を知り、私の健康法はこれを根底としたものであります。即ち腸と脳を土台としたもので、今また、川上博士や柴田博士も同様の結論を得られたのであります。私の健康法は決して一夜作りの際物ではない。東西古今の文献を読破した結果、作り上げたものでありますから、安んじてご実行あらんことを希望いたします。ただ、永年の講義の結論だけを申し上げるので、その点はよくご了解を願いたいと思います。

(以下次号)

◆月刊『テトラパシー』誌昭和10年(1935年)第五巻第四号~昭和11年(1936年)第五巻第六号に「西式健康法の原理と実際」と題して掲載された記事を順次再録します。なお、旧字体や仮名遣いはできるだけ現代の文字に改めております。

❮月刊『テトラパシー』昭和11年1月発行第5巻第5号❯より

                   西式健康法の原理と実際   ❮第11回❯
―― 正木・吉岡両先生の批評に答う ――
(昭和十年十月二十四日、蚕糸会館に於ける講演要旨)

西 勝造

私が先般満鮮地方へ講演に参りました際は、何処も満員の盛況でございましたが、特に大連の満鉄協和会館の講演は破れるが如き喝采を博しました。と申しますのは、私の恩師工学博士栗原先生が大連病院で亡くなられ、これが私の健康法と深い関係があったからであります。栗原先生は私が明治専門学校におりました時の化学の先生で、一昨々年満鉄の燃料研究所長に栄転されました時、在京の同窓生や学校関係者が集まって銀座の天金の二階で送別会を開きました。その時、幹事の方から是非にとのお話で、私は先生に栄転の御喜を申し上げた後、次のようなことをご実行なさるようにお奨め申し上げました。

それはフランスのローブリー博士(Laubry)『我々は二つの心臓を持つ』(“nous avons deux coeurs”)が、という論文を発表された。その第二の心臓とは、全身の皮膚下にある浅在静脈を指すので、これの機能を完全にすれば血液の循環が旺盛となり、健康を保持する上に頗る有効である、というのが骨子で、これに基づいて案出したのが即ち裸療法、つまり裸になったり、着物を着たりすることを交互に行うので、そうしますと皮膚や静脈管の収縮と拡張とが交互に行われ、これ等の機能を完全にする、これを基礎として日本人に適するようにし且つ血液の試験をした結果、ローブリーの裸療法という名で広く多数の方々にお勧めしております。——満州は気候も不順であるから、是非ご実行なさるように、風邪をお引きにならぬようと、殊更風邪に罹らぬように栗原先生にお奨め申し上げました。

先生は六尺豊かの見るからに健康そうな体躯の持ち主でいらっしゃいますが、私の話が終わると、やおら立ち上がって、私は体育部長として撃剣、柔道、野球、庭球なんでもやって、五十余歳の今日まで嘗て病気をしたことが無い。西君は学校時代から研究に熱心であり、今日健康法の大家として一世を風靡したる点には敬意を表するが、しかし如何に余技に熱心なればとて、私のような健康体の者までこれに引き入れようとするには当たらない。ご厚意だけは感謝するとのことでありました。

その後間もなく、栗原先生は大連に赴任されましたが、ただいま申しましたような訳で、根がご丈夫ですからもちろん少しもご実行にならないのが甚だ残念でありました。それより一年半ばかりして先生は癌の為に大連病院で亡くなられました。そういう因縁のある大連病院を前にしての講演でありますから、話す私も聴かれる方々も感慨が深かったのであります。

この機能のことにつきまして、ドイツのマルテン博士の『腎臓病について』“Malten:―Nierenkrankheiten.1931”という著書、これは「予防と治療に関する医者の相談相手」(Ein arztlicher Ratgeber zur Verhutüng Heilung)と書き添えてある専門書でありますが、その三十三頁に、腎臓の機能を完全ならしめる為には、皮膚の機能を完全にしなければならない。四十八、四十九頁には冷浴温浴の交互浴が腎臓病の予防にも治療にも最も効果があることを明らかに述べております。足湯のこともありまして、午後より行うことを力説してあります。われわれ人類は腸管から栄養を摂取して腎臓で排泄する、つまり腸管に生きて腎臓に死ぬという事になるので、この事は八頁に書いてあります。排泄が不十分であるのにいくら栄養を摂ったところで何にもならない。恰も燃焼の不完全なストーブに燃え切らない石炭殻や灰が沢山溜まっているのに、あとからあとから沢山石炭を入れるようなもので、人体も、摂った食物が完全に消化、吸収、燃焼され、そして完全に排泄されなければ、決して健康が保てれるものではありません。ですから、真の健康体の人は、摂った栄養が完全に少しの無駄もなく消化、吸収、燃焼されますから、少食でよろしいのであります。ボイラーにしましても、同じ熱量を出すのに、燃えの悪いボイラーは沢山の石炭が要りますのに、機構の優秀なほうは少量の石炭ですみます。即ち私が十四、五年も前に炭鉱長をやっておりました時代のことで、今は内容も違っていることでありましょうが、その時代の話では、1時間1馬力を出すのに、コルニシュ式のボイラーではカーヂフ炭16ポンド(約7.2㎏/編集部注)、ランカシヤ式で12ポンド(約5.4㎏/編集部注)を要しますが、水管式のボイラーは4ポンド(約1.8㎏/編集部注)、ディーゼル式では1ポンド(約0.45㎏)で同じ力を出します。更に重油を用いて砂を6%混ぜる最新式のものでは2分の1ポンド(約225ℊ/編集部注)いう少量で同じく一時間一馬力が出せるのであります。いたずらに人糞製造機械たるに過ぎないのであります。体内で完全燃焼さへ行われますと、全ての条件が平衡中和を保ち、この場合には睡眠も短時間で足り、しかも十分な活動が出来て、寒さ暑さにも平気でいられます。

(続く)

※注:本書には今日の人権意識に照らして不適切と思われる表現がありますが、時代背景と作品の価値、また著者が故人であることに鑑み、そのままとしました。(編集部)

❮月刊『テトラパシー』昭和11年1月発行第5巻第5号❯より

                                      西式健康法の原理と実際 ❮第12回❯

―― 正木・吉岡両先生の批評に答う ――

(昭和十年十月二十四日、蚕糸会館に於ける講演要旨)

西 勝造

ところで、現代医学界の実情をみますと、果してこれ等の事に深い研究が出来ておりましょうか。患者から治療上の相談を受けた場合、その患者に向って、今までどういう医者にかかっておられたか、或いはどんな薬を用いておられたか、というようなことを訊ね、その薬はこういう性質で、服用後、これこれの化学作用を起こすからいけないとか、或いはそういう日常生活ではいけないとか、そういう厚着の習慣はいけないとか、そう野菜ばかりではいけないとか、明らかに言い得るような見識のある医者は殆どないのであります。病気を治すことは第二で患者の意を迎えることに汲々としている。但しこれは欧米の医者の話であります。

それから薬剤の他、気候と入浴との関係についても研究が積んでいない。例えば、私は冬でも火鉢を用いたことが無く、夏でも扇風機を用いたことがありません。その理由は先刻申しました通りで、私は、冬は主に野菜食七分主義、真夏は多く肉食六分主義をとっているからであります。

入浴も冷たい水が酸性、温かい湯の方がアルカリ性で、冬は気候が寒いから周囲は酸性になっておりますから、こういう時にはアルカリ性の野菜食を摂り、夏は気候が暑く周囲がアルカリ性になっておりますから、この時に肉食を勝ち目に致しますと、体液の酸とアルカリが中和していつも身体が温かい。夏も冬もほどよい温度を保っているから、火鉢や扇風機が要らないのであります。これらの事にはいずれも立派な文献がありまして、私の著書や機関雑誌等にもその一部を掲載しております。

その次に血圧でありますが、実は私の父は震災の翌年脳溢血で亡くなっております。私の父は晩酌を必ず二合くらい致しましたが、酒の肴にいつも牛肉や鶏肉を食べておりました。肉も酒もどちらも酸性でありますから、酸過剰症即ちアチドーシスとなり、脳溢血で斃れたのでありますが、その時の医師の治療法を見ておりますと、如何にも腑に落ちないことばかりで、その後研究を進めて見ますと、血圧に対する現代医学の見解が間違っており、従ってこれに基づいた治療法も的を外れていることが判ったのであります。一体血圧には、最大血圧、最小血圧、脈圧の三つがありまして、これが大体3:2:1、詳しく言えば3.14:2:1.14の比をなしていなければならない。然るに現代医学では多く最大血圧だけしか測りません。また仮に最小を測ったところで施す術もないのであります。

心臓に関する研究としての大家であり、私の尊敬して止まない一人者に東大の呉博士がおられまして、先生の著書『心臓病の診断と治療学』の133頁16行目に「最大血圧は必要なるも最小血圧は意義なし」と述べておりますから、一般医師がこれを金科玉条として尊奉していることは当然であります。しかし最近ある保険会社で被保険者検診の場合に最小血圧を測るのを見ましたが、これをどういう意味に取り扱うかは別として、とにかくも一進歩と見てよかろうと思います。しかし殆ど全部は最大血圧だけしか調べません。これは私ども技術家から見ますと頗る滑稽に感ぜられることで、その根本は数学的に検討しなければ解釈の出来る事柄ではありません。それを数学の頭がないから、こういう断定を下してすましていられるのであります。私は実業之日本社から出しております『西式血圧病療法』の第五章に、最大、最小、脈圧の比について微積分額上より証明しております。その結果は前に述べました比率で、これは昭和八年のことであります。

昨年パリから出版されましたロック博士の『動脈血圧増大症に対する措置法』(Roch:Les traitements de Ⅰ’hypertension artérielle,1934)と題する書物の11頁にローブリー(Laubry)は、最小血圧に1.7を乗じたものが最大血圧であると書いてあります。米国のフォート(Faught)は「最小血圧に1.5を乗じたものが最大血圧であると申しております。私の証明の結果では最小血圧に1.57即ち1.6を乗じたものが最大血圧でありまして、この関係を数学的に証明したものは、世界広しといえども寡聞にしてまだ一人もあることを聞きません。ローブリーは1.7でフォートは1.5,私は1.6、だんだん私の学説に接近してくることは面白い事実だと思います。医師としては数学が出来なくとも差支えないかも知れませんが、土木の技術家は数学が出来なければ立ちいくことが出来ません。ともかくも、数学を抜きにしてこの問題を論じようとすることは根本的の誤りであります。

(続く)

❮月刊『テトラパシー』昭和11年1月発行第5巻第5号❯より

                                         西式健康法の原理と実際 ❮第13回❯

―― 正木・吉岡両先生の批評に答う ――

(昭和十年十月二十四日、蚕糸会館に於ける講演要旨)

西 勝造

ところで牛込で発行しております『日本医事新法』の質疑応答欄に、ある医師が「西氏は三者の比を3.14:2:1.14」と発表しているが、これを信じてよいか」という質問をされたのに対し、増野博士は「米国のフォートは3:2:1と発表している。西の発見でもない、西などの説を信じようとすることが、そもそも誤りである」と解答されておりますが、私のは数学的に究明した結果前記の数字を得たのであって、フォートは何ら数学的の説明をしてはおられない。ただ斯くの如き比があるというだけで、彼とこれは全く根拠を異にしているので、たまたまその数字が接近しているに過ぎない。微分積分で証明した結果を信じなくても良い、と言われる増野博士の頭が余程おかしいと思うのであります。

一体物の道理を極めずして断定することは甚だよろしくないことで、何も親の代から仇同士で会ったという訳でもあるまいし、私はまだお目にかかったことも、医学雑誌に書いたこともありませんが、私の悪口をとにかく盛んに書かれるのが『日本医事新報』で、最初はインチキ西、それから西がどうした、この頃は西氏云々と氏が付くように出世しました。こういう狭量な態度は博士の為にも惜しむところであります。

私は素人でありますから、場合によれば総てを犠牲にして闘う決心を持っておりますが、お医者さんはそうはいきますまい。私は、何もお医者さんを排撃しようとするのではありません。教えようとしているのであります。あまりに訳が判らな過ぎて研究が足らず、読書の時間が無いようですから、私が代って世界の大勢から、人体を総括的に大観し、あくまで反省と悔悟とを促し、且つ、指導していきたいのであります。然らざれば国民の大半は病弱になってしまうのであります。

さて、前段詳しく申し上げました通り、糞便の停滞とか不同とか腸麻痺あるいは腸捻転もしくは腸閉塞から、脳の血管を膨張させたり破裂させたりして、それがまた全身に影響して種々雑多の疾病に冒されますが、なかんずく文明病と言われる神経衰弱症更に精神異常者、私から見れば神経衰弱の亢進したものに過ぎないのでありますが、多少普通と違った状態になります。この原理によって、私は多数のいわゆる精神異常者、私から見れば神経衰弱者を癒しております。それはどういう方法をとったかと申しますと、クリマグ(現在のスイマグ・エース/編集部注)一日一瓶主義で、盛んに下痢をさせる、そして金魚運動を行い、更に毛管運動を行い、起して身体の左右揺振を行い、また寝かして一時間半してから暗示療法を行う、これを根(こん)よく一週間くらい続けますと、本心が出てきまして、遂には治っていくのであります。しばしば来診されました専門医がこれをご覧になって、どうも不思議なこともあるものだ、しかしこれは一時的の現象で、その内に必ず再発すると申されるのが普通でありますが、いつまで経っても再発しません。実は今夕も、この講演を聴きに現にお見えになっておられます方が四家族ほどおられますが、罹病以前の健脳と少しも変わりがありません。私の事を皆に話しても差し支えないという御方もお出ででしたから、大体を申し上げた次第であります。

どうしてこれが治ったのかと申しますと、今まで宿便の為に脳の胼胝体(べんちたい/脳梁のこと/編集部注)の前葉の血管が膨脹したので感受性が鋭敏になって、暗示を受け入れやすく、そして現代でいう精神異常者となったのでありますから、まず元の宿便を出すことに主力を注ぎまして、それを出してしまうのであります。

そして再び糞便をためない為には腸管を元通りに収縮させなければならない。それには腰椎一、二、三番を叩打する、そして胸椎十一番を叩く、そうして腰椎一、二、三番という工合に収縮と拡大を促しておいて、寝かして金魚運動をする、更に左右運動や毛管運動で機械的故障を治し、それから暗示療法によって精神異常が癒るのであります。この事実がだんだん知れて参りましたので、この方法を応用される方々が現れましたことは誠に結構でありますが、しかしその根本原理が解らずに、形だけ真似られても決してうまく行く筈はありません。

(続く)

※注:本書には今日の人権意識に照らして不適切と思われる表現がありますが、時代背景と作品の価値、また著者が故人であることに鑑み、そのままとしました。(編集部)

❮月刊『テトラパシー』昭和11年1月発行第5巻第5号❯より

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―― 正木・吉岡両先生の批評に答う ――

(昭和十年十月二十四日、蚕糸会館に於ける講演要旨)

西 勝造

先般私が満州に行っております間に、この精神病の事で四人の方から電話がありましたそうで、その内、大森方面に住んでおられる方のお子さんがやはり精神異常で、さる脳病院に入院されました。その方が院長さんに、只今申しました私の方法で治った話をされたところ、院長さんは「精神病患者は皆便秘しているから、なるほど下剤をかけることは良い考えだ。しかし、何も西の造ったクリマグに限ったことはない。下剤なら何でも同じだ」と言って、何か他の下剤を用いられたところ、二日目に人事不省に陥ったそうです。このことを電話で私に抗議を申し込んでこられた訳で、あなたの方法をやったところが人事不省に陥ってしまった、と言われるのです。その後、前述の事情が判ったのですが、如何に医師でありましてもこれはとんでもない見当違いで、下痢をすれば腸に痍(きず)がつきます。ことに普通の下剤を用いた場合はそれが甚だしいので、そうしますと、腸が痙攣をおこし、捻転したり、閉塞をしたり、その結果、脳の血管を破裂させるから人事不省に陥るのでありますが、普通の下剤では腸に傷をつけっぱなしで治すことを致しません。ところが、クリマグは例え痍が出来ましてもそれを治していく働きがありますから、他に何等の影響をも及ぼさないのであります。

クリマグが単なる下剤でなく、傷薬になることはこれでお解りの事と思いますが、前に貴族院書記官長をされた方の女中さんが、手に沢山イボを出しておられましたのが、根よくクリマグを二本もつければ治ると申しましたところ、一本半できれいに治りました。

それから有名な貿易商で私に恩義のある方が、昨年八王子方面で自動車が衝突して大怪我をされ、ちょうど私が伊井伯爵家でお話をしている時でしたが、電話で知らせて参りまして直ぐ来てくれないかと申されます。私はお話の済み次第参上いたします、取り敢えず傷口をよく合わせてクリマグとオリーブ油とを半々に混ぜたものを塗り、その上にガーゼを当てて触手をなさい、頸椎の七番の指頭圧(しとうあつ)を一時間ごとに一分半行うことをして、そして医者をお呼びなさいと申して電話を切り、お話が終わってから早速見舞いに出かけました。

先方に参りますと、平床に寝て私の申した通りにしておられました。私はいろいろと注意すべきことを申しまして階下へ降りてきますと、そこには家族や親戚の方々が集まっておられまして「医者を推薦してください」「イヤ私には推薦する資格がありません」「それではあなたは医者を拒むのですか」「私には医者を拒む資格もありません」「でも父はあなたを信用しているから、あなたの推薦が無ければ医者にかかりません」「それは私の関知する所ではありません」「しかしこのままにしておけば、発熱し化膿すると医者が申しておりますが」

「どんな医者がそう言ったか知りませんが、私は化膿しないことを確信しております。とにかく、あなた方は親子の間柄ですからご隋意になさい。私はお暇(いとま)します」と言って帰りました。ところが果たして予想通り極めて順調に回復しまして、二週間目には店に出勤されるほどになり、とにかく立派な医者が化膿する、発熱する、生命が危ないと断言されましても、私の方法で完全に治り、今では傷跡も殆んどわかりません。これが即ち正統医学で、傷をした、すぐ消毒だ、殺菌剤だ、包帯だというのはインチキ医学でありまして、これは腐らせることを知って治すことを知らないから、傷の出来立ての、しかも黴菌も何もいないのにすぐ化膿を予期し、化膿させてしまう手当をするのであります。ですから、皆様もよくその根本をつかんで頂いて、怪我をされた場合に慌てられることのないようにして頂きたいと思います。

ともかく、この貿易商の方のけがは、クリマグと私の方法できれいに治りました。ですから下剤としていくら多量に用いたところで、副作用というものは全然なく、胃腸、食道、その他炎症があればこれを治しつつ最後に下剤の役目を果し、下痢によってできた傷は片っ端から治していきます。

私は決して医者や他の薬を排斥するものではありませんが、ただ誤った療法とやたらに薬を乱用することがいけないと申すのであります。それなら薬はどれだけあればよいかと申しますと、結局、心臓の薬、腎臓の薬、血管の薬、肝臓の薬、癌の薬、駆虫剤、これだけあればよいので、他は補助薬としてよろしいのであります。そしてクリマグは癌をねらったものではありますが、只今申しました通り、傷薬にもなり、制酸であり制滷(せいろ)であり、なお白粉下にもなるなど、優れた効果を現わしております。

(続く)

❮月刊『テトラパシー』昭和11年1月発行第5巻第5号❯より

西式健康法の原理と実際 ❮第15回❯

―― 正木・吉岡両先生の批評に答う ――

(昭和十年十月二十四日、蚕糸会館に於ける講演要旨)

西 勝造

私の方法は只今申しました通り、現代医学と根本的に違っている点が沢山あります。
現代医学では栄養さえ摂らせれば病人は助かるという誤った常識のもとに治療を施しておりますが、一般に生物が病気に罹った場合には食欲が減退し、もしくは全然食欲がなくなるもので、これは病気を治す上から食物を必要としないか、或いは食物はかえって治病上妨害になることからきている自然の成り行きであります。これについて一つの実例を申し上げますと、関西方面の西会の創立者の一人で今も引き続き会の世話をしておられる大きな薬問屋の御主人が、本年の1月チフスに罹られました。ちょうど大阪市長の関さんが亡くなられたのと同じころで、しかも関さんより重いという事であったのです。大阪医大のK博士を初め大阪方面の名医の方は皆友人ですから、見舞いに来ていろいろ親切に言ってくれますが、この方は「私は西式を人様にお勧めしておりながら、西先生にご相談もせずに現代医学の治療を受けたのでは、人様に申し訳が無いと言って中々承知されません。そして私が岡山の講演に参りました時、会の役員が私に会うために京都まで出かけて参りまして、汽車の中でこれまでの次第を話され、是非途中下車して見舞ってくれるようにというお頼みでありましたから、途中下車してその方のお宅に参りました。そして観測いたしますると、成程重体で、K博士は、このままにして置いたのでは七時間か九時間くらいしか持つまいと言われたそうです。何しろ法定伝染病の事でもあり、うかつなことを言うと法律に触れることになりますから、すべて腹芸で行かなければなりません。中々むずかしいところです。「もしこれが私の親父なら決して殺しはしません。三十日間くらい物を食べさせません。そうすれば必ず治りますが、他人の場合は残念ながら・・・・・世の中には栄養を摂らして殺したがる人が多いので困る・・・・・」と独り言を申しました。それになお断食中には足首の一分一分の交温浴を行う必要のある事、これは先刻も申しました。マルテンの「腎臓病について」の書中に書いてあるこれを行いますと利尿よくし、尿毒症を防ぐ効果があることなどもお話いたしました。

ご当人はすぐにも断食をやりたいという事を申されましたが、周囲の人々は容易に決定しかねておりましたところ、そこに主治医のB医学士が「本人が希望しているのだから、一つやらしてみたらどうですか」と申されましたので、ついに決行されることになりました。ところがしばらく日が経ちますと、私の宅に頻々(ひんひん)と長距離電話がかかって参りまして「食欲が出ませんがどうでしょう」「出るまでほうっておきなさい」「脈搏が落ちたがどうでしょうか」「結構です。脈だけが健康体と同じであってはいけません。病気で断食中ですから脈は減るのが当然です」。このようなわけで大分心配されましたが、二十四日の断食を終了されて、すっかり本復されました。なお、断食中にクリマグとアポセーフという強心剤以外なんの薬も用いられませんでした。

その次に申し上げますことは裸療法のことで、先程も申しました通り、皮膚、肝臓、大小腸、脳髄、四肢、腎臓、心臓、血管、肺臓等全身各器官はいずれも密接な関係をもっております。裸療法の原理もこれに基づくもので、まず皮膚を交互に温冷の空気浴を致し、裸の時は外気に曝すことによって、全身の皮膚下の浅在静脈を働かせるのであります。その方法は、まず初め20秒間裸でおりまして、それからすぐ1分間着物を着て暖まり、その次は裸30秒着衣1分間、次に裸40秒着衣1分、裸50秒着衣1分、裸60秒着衣1分半(着衣の時間30秒増す)、裸70秒着衣1分半、裸80秒着衣1分半、裸100秒着衣2分、裸110秒着衣120秒、裸120秒、通常通りの着衣、これを以って終わり、あとしばらく平床の上に安臥(あんが)しているのであります。この裸療法を行いました後に血液の試験をいたしますと、酸とアルカリは生理的均衡を保ち、水素イオン濃度も理想に近い点にあります。ですから、これを連続実行しますと、極寒の候に屋上で裸で10分間の左右揺振運動を行いましても鳥肌の出来るようなことはなく、真の健康体が得られるので、これを栗原先生にお勧めしたところ、顧みられなかったため、癌で亡くなられたのは返すがえすも残念であります。

それなら、栗原先生が癌に罹られることが判っておったのかと申しますと、それは判っておったからご注意申し上げたのです。どうしてそれが判るのかと申しますと、人相に現れているのであります。

一昨晩、本所の公会堂で講演会を開きました折に、開会の辞を述べられました龍澤市会議員と時の永田市長の紹介で私を訪ねられた方に、F氏という市会議員の方がおり、これと前後して横山大観画伯の紹介で見えられた方に、三井物産の重役のT氏という方があります。このお二人はいずれも癌に罹っておられまして、これがすぐ判ったのでありますが、T氏の方は高等教育を受けられ、神経過敏の方でありますから、すぐあからさまに申しますとどんな結果になるか心配致しましたので、ただご親戚のある大会社の社長をしておられる方にだけその事を申し上げ、ご本人には平素の手当をご指導致しましたが、その年の十月ごろ、ご本人は癌という事を知らずに亡くなられました。またF氏の方は魚問屋のご主人で、何事にも無頓着な方ですから、その場ですぐに大家に診てお貰いなさい、癌という事を言われますぞ、早く手術を受けられるようお勧めしましたところ、その通り実行されて今なお健康でおられます。いずれも癌の相がハッキリ現れておったのです。それから昨年の事ですが、大阪で自動車会社を経営しておられるUという方が、私が大阪へ参りました時、ある知名の方の紹介でお見えになって、大阪で数名の名医に胃癌の診断を下され、それが新聞にまで書かれましたが、どうすればよろしいでしょうか、というご相談がございました。

私はその体貌を観測しますと、癌の相は現れていない、あなたは癌ではありません、しかし将来その可能性があるから、これこれの方法を実行しなさい、と申しましたが、その後一年ばかり経ってから偶然その方にお目にかかって伺いますと、やはりその後胃潰瘍の高じたものであったことが判り、その時にはすっかり全快しておられました。それからまた、昨年健康診断に見えられました本所の方に、癌の初期の方がおられまして、私はその事を申し上げましたところ、念のためと言って、函館の木内病院に尿を送って検査してもらったところが、木内病院でも胃癌という診断を下されたそうです。木内病院の尿検査は非常に的確な診断法で、百発百中と申しても良いほどですが、いよいよその方は胃癌と決まったについて、私は、まだごく初期だから、そんな事を念頭に置かず、裸療法を初め六大法則を忠実に実行されれば、必ず治るという事を申し上げておきました。その後忘れておりましたが、先ごろお見えになりまして、もうすっかり健康を回復しましたと言って喜んでおられました。その間満一ヶ年の月日が経っておりますから、普通ならとうに亡くなっているか、亡くならないまでも余程の重体に陥っていなければならないはずです。それが非常に元気になっておられた、というのは、申すまでもなく、六大法則を実行され且つ裸療法を行い、クリマグを飲まれたからであります。
かくの通り、癌も裸療法で治りますが、その原理は先刻申しました皮膚と内臓諸器官との密接な関係によってご納得いくことと思います。

(続く)

 

 

 

 

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