西式健康法

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西式健康法の原理と実際

約11分

◆月刊『テトラパシー』誌昭和10年(1935年)第五巻第四号~昭和11年(1936年)第五巻第六号に「西式健康法の原理と実際」と題して掲載された記事を順次再録します。なお、旧字体や仮名遣いはできるだけ現代の文字に改めております。

❮月刊『テトラパシー』昭和10年12月発行第5巻第4号❯より

                                                        西式健康法の原理と実際  ❮第1回❯
―― 正木・吉岡両先生の批評に答う ――
(昭和十年十月二十四日、蚕糸会館に於ける講演要旨)

西 勝造

私は只今ご紹介を賜りました西でございます。
幼少の頃から病弱でありましたので、これが本となって、健康法の研究を致しました次第でございますが、専門は土木の技術家で、現在、二、三の会社の顧問や嘱託を致しております。私は初め有名な専門医の方から、二十歳頃まで生きるかどうか難しいと言われた。つまり死の宣告を受けましたので残念に思い、なんとかして丈夫になりたいと、その後長年に亘って健康法や医書の研究を致しますと、従来の健康法にも一部の真理を含んではいます。医学の方も中々研究が進められ且つ技術も経験が積まれてはいるが、いずれも欠陥だらけで、自分の体験から見ましても、こういう健康法や医療法に任せておいたのでは、世の人々が真の健康を保ち天寿を全うすることはできない、助かるべきものも死んでしまう。

そこで私は敢然起って新医学の建設に向って邁進しだしたような訳で、私の健康法は、こういう見地から出ていることを先ず申し上げておきたいと思います。

私の健康法は、大体三つに分けて考えることができます。もっともこれは厳密な意味に於ける絶対的な分け方ではありませんが、その第一は強健術でありまして、真の健康体の人はまずこれだけを実行しておればよい。私は、昭和二年に初めてこの健康法の一部を発表いたしましたが、その時に説いたのは、この強健術だけでありまして、もとより健康体の人を目標としたのであります。しかし実際に於いて、世間には、真の健康体というものは誠に少ない。『人は病の器』とはよく言ったもので、十人寄れば七、八乃至九人まではどこかに何等かの故障を持っている、自ら健康なりと信じておられる人でも何か故障を持っている。大概の人は、自分自身の病気が相当進んでまいりまして、いわゆる自覚症状や他覚症状の現れないうちは病気ということに気が付かない。こういう人の実行する方法が第二の強健法で、これは保健療法の六大法則と致しまして、平床、硬枕、金魚、毛管、触手の六つの運動を包括したものであります。それから第三は西式健康法で、人間生活の全ての行動、朝起きることから夜寝ること、寝ている間でも、食事をすることでも、あるいは場合によっては断食を行わなければならないこともありますから、それについての注意、それから入浴でも歩行でも履物でも、着物の厚い薄い、その他ありとあらゆる方面、衣食住の全てに亘って常住坐臥即る(じょうじゅうざがつとる)べき原則があります。これが西式健康法即ちテトラパシーなのであります。

これ等のことにつきましては、後に詳しくお話申し上げようと思うのであります。

私がこの健康法を組み立てました動機は何処にあるのか、と申しますと、私が明治専門学校に居ります時分に、有志の人たちとフランス語の研究会を組織して、その講習を受けたことがあります。その時の教科書は、フランスの詩人ルサーヂの書きました『人間学』という書籍で、その一節に次のようなことが書いてあります。

場所は地獄の医科大学教室、そこには人間の死骸を入れた二つの箱が並べてあり、鬼の教授が鬼の学生に講義をしている。講義の内容は大体次のとおりである。

『今日は人間学という題で講義を致します。ここに置いてあるのは只今人間界から特急火の車で送られてきたもので、この中に入っているのは二匹の人間の兄弟の死骸であります。
この二匹はいずれも優れた頭の持ち主であり、人間界に於ける高等の教育を受けてきた。兄は常に弟を戒めて「弟よ、決して医師を攻撃してはならぬぞ。我々は病気に罹った時に頼るべきものは医師と薬剤以外にはないのだ」と常に弟を諭しておりました。弟は「イヤ兄さん、それは違います。人間には否生物には天より授かった自然の良能というものがあります。病気を治す力は自然に備わっている。植物をご覧なさい、動物を見てもわかるでしょう。独りでに治るのです。この自然の良能を差し置いて、人間の小さな頭で考えた医師の力を借りる事こそ誤りであります」と頑強に反対し、常に意見を異にしておりましたが、時しも南欧を吹き捲くった悪性の流行病、すなわちコレラに二人とも罹ってしまったのであります。そこで兄は平素の持論の如く、当時の名医の治療を受け、弟はまたその所信に従って一切の医療を廃して、自然の良能の力に頼ったのでありましたが、不幸にして二人とも遂に死亡し、今日の教材となってしまった訳であります。哀れなる兄弟どもである。誤れることとは知らず、一方のことのみを言う輩の言を信じて、かくもはかなき醜態を来たすとは気の毒でもあり可哀想でもある。

この二人は人間社会の両極端を代表したものであります。聞くところによれば、人間社会は五大州に分かれ、人種は八十余種に及ぶとこや。いずれも文化を競い発明にいそしむとは雖も、尚死にゆくこの二人の命を取り止めることが出来ず、遂にかくの如く残骸を曝すとは、思えば不憫の極みであります』

かく説き来たりたる鬼の教授は、自分の子でも亡くしたものか、目に涙をたたへております。
その時、一人の生徒が立ち上がり、「先生、それでは何か他にうまい方法がありますか」と質問しましたところ、鬼の教授は『イヤ、自分にはまだ良い方法がない。人間社会では、只今述べた通り種々の研究が行われているから、遠からず寝る時の枕とか、敷物の改良、食物の関係や薬剤、それに自然の良能、精神の作用、こういう事を結び付けた良い方法が発見される時期もあるであろうから、その時には鬼の世界から人間界に留学生を送って、研究させようと思う。但し、それは千年万年後のことであろう』云々。

(続く)

❮月刊『テトラパシー』昭和10年12月発行第5巻第4号❯より
                                               西式健康法の原理と実際 ❮第2回❯
―― 正木・吉岡両先生の批評に答う ――
(昭和十年十月二十四日、蚕糸会館に於ける講演要旨)

西 勝造

大体このようなことが書いてありましたが、私は非常に感動しました。その当時まで私は医薬万能主義を奉じておりましたが、これを読んで、なんだか自分が嘲られているような気がしまして、深く考えさせられました。一体我々は寝ている間にどうなるのであろうか、現在用いられている枕は、果たしてこれで良いものであろうか。敷物はどうであるか、精神力も確かに我らの一役を持っている。それがどんな場合に一番働くか、完全栄養ということがしきりに唱えられているが、果たしてそれが完全であるのか、完全なる栄養は完全なる消化吸収を俟って初めて効力を現わすものであり、それには完全なる燃焼と完全なる排泄とが行われなければならない。こういうことを種々考えて見ますと、自分が日頃受けつつある現代医学の治療行為は、果して満足すべきものなりや否や、これ等の点に多大な疑問を起したのであります。

一例を申しますと、小使に命じてストーヴに石炭をくべさせる場合に、どんな者でも、網敷の上に残っている灰を落としてから石炭を入れます。灰で空気の通う隙間が無くなっているのも構わずに石炭を投入する者がありとすれば、余程の馬鹿者と笑うでしょう。然るに現代のいわゆる栄養学者なる者は、消化、吸収、燃焼、排泄という方面は一向に顧みず、唯々栄養を詰め込むことばかり考えているから、つまり、灰の溜まっている所へ石炭を投げ込むのと同様で、これでは完全な栄養の吸収が行われる筈はない。これではただ人体を毀損するのみでないばかりか、——これは後に説明いたしますが、不完全燃焼によって一酸化炭素という有毒ガスを発生したり、或いは便を腸内に残して、これから脳出血やその他種々の病気を起こすことになるのは当然であります。

先刻も申しました通り、元来私は技術家でありまして、炭鉱に永く居りましたが、炭鉱には病院も有っております。私は杭長でありましたので、技術方面はもちろん、病院も監督し、院長でも誰でも自由に働かせなければならず、もし院長に不都合でもあれば、これを責めなければならない立場になっております。私は病院で種々研究いたしましたが、研究すればするほど馬鹿げたことが沢山ありますので、遂に自分が体験し、友人知己に応用して実証を得ましたので、これはどうしても終日(ひねもす)、常住坐臥行うべき健康法に組み立てなければならないという感を深くした次第であります。
(続く)

※注:本書には今日の人権意識に照らして不適切と思われる表現がありますが、時代背景と作品の価値、また著者が故人であることに鑑み、そのままとしました。(編集部)

❮月刊『テトラパシー』昭和10年12月発行第5巻第4号❯より

                                                          西式健康法の原理と実際  ❮第3回❯
                                                       ―― 正木・吉岡両先生の批評に答う ――
(昭和十年十月二十四日、蚕糸会館に於ける講演要旨)

西 勝造

私が強健術を初めて発表しましたのが昭和二年、もっともその時は健康の方が朝夕行うべき強健術だけを説きましたが、その際には、医学の医の字がありましても、世人は承知されませんでしたから、私は医学上のことは一切申しませんでした。

果して世人からは多大な歓迎を受けまして、今日では実行者が百万人くらいあると思いますが、最近では段々と世人の考えが変わって参られまして、一体お前の健康法には医学的根拠があるのか、しばしばこういう質問に接するようになりました。しかし元々医学的研究を根拠として作り上げた健康法でありますから、これを示すことは、私としてはむしろ希望する所でありますから、そこで専門家に読んで頂いても良し、また素人の方が見られてもと思いまして、昨年『アチドーシスとアルカロージス』並びに『便秘』という医学書を本郷の医書専門の文光堂から出版いたしました。これは多年にわたる研究をまとめたもので、医学界の好評を受けておりますが、しかし私の思う存分のことを書きますと、専門家相手であるだけに多少考慮を要する点がありますから、やむを得ず、欧米の医学者の書いたものを土台として、その結論に私の思うとおりのことを入れたという書き方を致しております。
現在の私としては、ある程度まで現代医学界と歩調を揃えようという意味があるからであります。

しかし、一つここに歩調の揃わないものがあるのであります。一例を申しますと、私の最も重きを置いている血液循環説であります。これを説く前に、まず現代医学の奉ずる靴液循環説を研究しなければならない。

現代医学の血液循環説は、申すまでもなく、ハーヴェーの学説でありまして、原文はラテン語で書かれております。日本にはまだ正確な邦文の翻訳が出来ておりませんし、最も英訳や独訳はありますが、多少誤訳がありますから、私はラテンの原本から翻訳いたしまして私の機関雑誌「テトラパシー」の初号より連載完結いたしました。ところが九大の木村さんという医学博士の方で、ウイリスの英訳から邦文への翻訳に着手され、完結に至らずして亡くなられ、残りの部分を友人方が翻訳されて完結されたものが出来ているといって、木村博士の未亡人の方から私に送ってくださいました。私としては、こういう翻訳が出来ていることは知りませんでした。最も英訳書からの邦訳とラテンの原文からでは所々意味が違っております。それはともかくとして、ハーヴェーがこの学説を発表されましたのは今から約三百年前で、その発表当時にはだいぶ反対者がありましたし、フランスのリオラン兄弟などは、ハーヴェーを面詰したということでありますが、ハーヴェーは立派な紳士で、十分これを反駁することをせずして亡くなりました。
ハーヴェーの説は申すまでもなく心臓ポンプ説でありますが、その字句を改めますと、そのまますぐに私の心臓タンク説に応用されるようにできております。

私の学説は、昭和二年以来大日本西会その他で毎月数回ずつ講義を続けておりますが、今なお完了しておりません。今後なお十数年間は続くと思いますが、その講義を聞かれる方は、医学博士であり、医学士あり、陸軍大将あり、その他大会社の社長重役より、商工業者、八百屋、魚屋等あらゆる方面の人々を網羅し、その数は毎月全国で二万人位に達しておりますが、この九年間に説いてきたこと、なお今後説こうとすることの結論を、今晩二、三時間でお話しするのでありますから、これだけをお聴きになりますと、あるいは独断のように聞えるかも知れません。また専門家やその外の方々で、しばしば私の説に対して批評されたり、質問されたりする方がありますが、これも同様の理由で、その詳しいことは、永年にわたっての講義をお聴きくださらなければご納得なさることは困難なためか、大概見当違いのことを申されるのは、これまた致し方のない次第であります。
(続く)

※注:本書には今日の人権意識に照らして不適切と思われる表現がありますが、時代背景と作品の価値、また著者が故人であることに鑑み、そのままとしました。(編集部)

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