西式健康法

西会本部公式ホームページ | 株式会社 西式サービス

弛緩について

約18分
弛緩について

                                                                          月刊誌原稿の再掲載について

 ここに掲載する内容は、月刊『西式』第2巻 第1号(昭和13年=1938年3月15日発行)~第2号(昭和13年=1938年4月15日発行)に掲載された、学祖西勝造先生の講義録を再掲載したものです。なお、多くの現代人にとって判読が困難と思われる旧字体、旧仮名遣いは、原文の雰囲気を損なわない程度に、現代の標準的な文字、仮名遣いに改めております。ご了承ください。

本稿は、月刊『西式』第2巻 第1号(昭和13年=1938年3月15日発行)に掲載された、学祖西勝造先生の講義録を再掲載したものです。

                                                                             弛緩について  (第1回)

十二月に入りますと、五日か六日頃に、まだ日程は決めておりませんが、五日間にわたって大阪方面とそれから東京方面、この二つに分けました講習会を全会員に致したいのでございます。これは新しく入られた方やら、古い方やら色々複雑になっておりますから、そこで五日間ぶっ通しでやりたい、こういう考えです。名古屋から向かう関西方面は大阪、こちらは東京で北海道からすべて関東方面のほうに来ていただきます。それから各支部の方々は、二日でも、三日でも出てきてもらい、帰ってその話をいただきたい。

これについては西会本部でも、それぞれ宿舎を心配することにしておりますけれども、その宿舎の費用だけは実費で持っていただきたい。京浜地方は十二月上旬から中旬にかけて、大阪方面は中旬から下旬にかけて、つまり関西方面というわけであります。どうも私が全国各支部を歩きますと、かなり古い方もあり、また、非常に新しい方もある。かなり古い方でも、ややもすると西式について、例えば健康になるということについて、まあ、早く申せば夢中になるという傾きのある方があります。これは決して夢中になる必要はない。しかし、今まで私も十年来歩き回って気が付いたことですけれども、だいたい西式健康法だといって、すぐに裸にされて板の上に、平牀だといって硬いものの上に寝かされ、硬い枕をして、そうして朝飯を食わされず、そのうえにもってきて時々断食だ、そうして水風呂にぶち込まれ、旨いものを食うな、何でも不味いものならよろしい、そうして夢中になって金魚をやらせ、温冷浴をやっている。

こういう方が新しい方を指導なさる場合に直面しても、裸になって板の上に寝ていろ、そうして朝飯を止め、水風呂に入って、旨いものを食うな、そして木の枕をするのだ、どうだこれが出来るか。こういうやり方をされる傾きがある。

そういう事は間違っておりませんけれども余り短兵急にやって、新しい人を怖がらせるというのは考えものです。そこでひとつ、五日間連続にそういう講習をやってみたい、そうして本当のところを掴んでいただきたい、と思うのであります。

それから、ここに掲げております通りに二十九日はこちらでもって、とくにご婦人の方にだけ育児法、それから食事法、あるいは美容、静養といったような方面について、午後一時から午後四時までお話しすることにしております。未婚者と男子だけはお断りするという建前になっております。もっともこれは未婚者であっても、お聞きになってよいわけでありますが、しかしそれは場所が狭いということですから、まあ第一回の試みで既婚のご婦人にだけみっちり聞いていただくという意味において、ご自由に既婚のご婦人ならばどなたでも、お知り合いの方をお誘いになって、お聞き願いたいと思います。

それから今晩は弛緩ということについて申し上げます。

 

弛緩と緊張(編者注:「弛緩」は今日では「リラクゼーション」と置き換えたほうが理解されやすいと思われます)

弛緩は緊張に対する言葉であって、緊張の反対になっております。これはたびたび申し上げたことがありますけれども、弛緩は Entspannung(独語)、それから緊張はSpannungで、Entspannungは Spannung に対する反対語であります。だいたい我々はすべて病気を治すに弛緩でなければなおらない。この緊張は断続的なものでありますが、弛緩もまた決して永続的なものではないのです。すべて健康を保つということになると、弛緩が必要であるということです。

(続く)

本稿は、月刊『西式』第2巻 第1号(昭和13年=1938年3月15日発行)に掲載された、学祖西勝造先生の講義録を再掲載したものです。

                                                                               弛緩について(第2回)

かつて申し上げたように昨年の夏アメリカに行きましたら、いたるところの本屋にヤコブソンの書いた「緊張を緩めよ」(Dr. Jacobson)「You  must Relax」 ( 1934) 、つまり、緊張を緩めなければならん、という本が並んでいました。

これは何しろ、アメリカで出版したところ、ほとんど三十何万部が一遍に出たという本ですから、すごいものです。ニューヨークに行きましても、サンフランシスコ等の大都市は無論、オークランドなどのような田舎町の書店に行きましても、ほとんどこの書物を飾っていないところがない位でした。ただ今では、二十何版というのが出ております。
この間、丸の内の丸善書店に来ましたので、内容を比べて見ましたら、まったく改版はしていないようです。

You must relax つまり緊張を緩めよということは、これはドイツ語のEntspannungということに当たります。ごく最近入手したブラウフレ博士の著書「Laxikon der Naturheilkunde」(Dr. Brauchle,1937)、つまり、自然医療辞典ですが、その二十頁のところにこういう文言が紹介されているのです。

「Entspannung ist wertvolle  körpeliche und seelische Übung」これは、「弛緩は肉体及び精神の運動として非常に価値のあるものである」ということで、この句が冒頭に書いてあります。

そうして我々が病気を癒す(なおす)のもすべて弛緩からくる。つまり病気を治すとか、健康を保つということは、絶対的に弛緩でなければなりません。弛緩があって初めて治る。いよいよわたくしも近く眼鏡をはずそうと思っておりますが、今度の旅行中はなるべく眼鏡をはずして、大久保君とずっと歩きましたが、とにかくずうっとはずしても一向差支えがない。何しろ癖があるのですから、なんだか今まで掛けていたのをはずすと、間が抜けたような気がするので掛けておりますが、無論取っても差し支えない。そこでだいたい我々は肉体を弛緩させるというと眼鏡はいらない。さりとて、また弛緩しきってしまっては仕事ができない。そこが非常に大切な点です。

続いてブラウフレ博士はこういうことを言っております。

「弛緩なるものは、我々に神聖を与える新しい力を、さらに進んで次第々々に、それを医学的に行うにせよ、科学的に行うにせよ、我々の生活上に一大機転をもたらすものである。まず、仰臥する。そうして両腕を身体と並行に置く。これも相互に真っすぐに並行にゆったりと伸ばして、決して重ねない。

次に眼を静かに伏せる。部屋を薄暗くして、静かに心を落ち着けて、物を考えるのでなく、・・・・・」その時にこう考えた方が良いと、これは私が付け加えた、毛細血管が完全に働くな、と考える。そうして静脈管はこの時とばかりに、肉体の、体内の老廃物を順次に運び去り、弛緩することを繰り返す。動脈は全体に緊張せずして弛緩し、弛緩することを繰り返しているな、ということを考える。

それからブラウフレ博士の言葉です。

「眼は両方とも閉じられている。次第に緩む。耳もまた真っすぐに緩ませる。歯も舌も口の中にあるのか無いのか、呼吸も極めて静かに、それから左右の腕へ、胸から腹へ、両足へ、足のつま先へと、身体の全体に考えを及ぼすように考える。自分の腕も、同じく脚も、またゆったりと、まるで、疲れ切ったような状態になっている。心臓の鼓動は緩慢になる。呼吸も自然のままで、静かに時々大きなのが来る。歯もまた弱くて、あたかも水飴の溶けたようになっている。そう考えている。(以上のように静かに平牀上に横になって)静かに呼吸し、筋肉全体が弛緩して、何か見ているとネットリそれに溶けるようにする。あたかも呼吸するかしないかの如く、無想に溶けるのである。わずかなりとも、緊張すればそれだけ目的を達成することはできない。静粛に身体でも何でもないものという気分にて、身も心もEntspannung に達してしまえば、それだけ弛緩は大きいのである。心身ともに全体が疲労困憊したかの如き状態になるのであるが、これは非常に心持の良き、人の安定とそれから、快楽を与えるのである。最初の間は表面にのみ緩みを起こす。

次に意志によって、左右されているところの筋肉、骨格が弛緩してくる。言葉を換えて言えば、各々の筋繊維の捻転が相互に分離してくる。従ってこの反対の緊張というものは、筋繊維の捻転が互いに密着するのである。(これがロイマチスの始まりで、関節炎となるのである)

第一は頭蓋、顔面、頸部、脳髄、腹背、肺、両腕両足の骨格筋肉が盛んに弛緩し、それより次は神経の媒介によって心臓筋肉の弛緩に及んでいく。心臓はますます静かに活動してほとんど一様に規則正しく完全に血液を運行せしめるようになる。弛緩はさらに滑らかな、血管を取り巻く如く、筋肉、細胞組織、腸管の分泌組織にも及ぶのである。」

ブラウフレ博士の著書の30頁には、こういうことが書いてあります。それでありますから、とにかく我々が病気を治すということは、弛緩ということに結局持って行けばよろしいんです。

(昭和12年=1937年10月27日、本部例会講義要綱)

(続く)

本稿は、月刊『西式』第2巻 第2号(昭和13年=1938年4月15日発行)に掲載された、学祖西勝造先生の講義録を再掲載したものです。

                                                                   弛緩について (第3回)

西 勝造

いかにして我々は弛緩すべきか、ということが、申すまでもなくテトラパシー即ち西式健康法であります。今まで、西式は十年の歴史をもっております。しかしながら、一部分をご実行なすっても、現代医学のそれに数十倍する価値があります。何となれば現代医学の教えるところはわずかに片鱗に過ぎないからです。

それらをことごとく集め、西式健康法としてここにあなた方に説明申し上げていますから、わずか十年の歴史なりといえども、現代医学に対して、数十倍の価値があることは当然でありまして、今後続けて十年間論じたならば、完成するものと思っております。

そこで、我々を弛緩させるもっとも容易な方法はなんであるかと申しますと、それは睡眠です。先ほど申しました、Dr. Jacobson :「You  must Relax」(1934)『緊張を緩めよ』のなかにも睡眠のことが書いてあります。これは現在における一番新しい睡眠について書かれた本でありまして、五項に分けてずっと人間が寝ているところの状態が写真版で載っております。

これはこの前申し上げましたが、オーストリアの Dr. Szymansky,ツマンスキーかシマンスキーか判りませんが、この人の考えました台、つまり西洋のベッドですが、その上に人を寝かせます。氏は学生を百五十人選定して実験いたしました。そうして百五十人のまず病気をしていない健康な学生を選んで実験したところが、八時間の睡眠時間として、その寝ている間に三十五回くらい動くとしています。これは平均で、1番多い人は五十回、少ない人で二十五回、要するに寝返りを打つんです。

これをツマンスキー博士が研究した結果、この西洋型ベッドには身体が載っていると、身体が動くたびにベッドが動くので、それを時計仕掛けにして測定できるようにしました。

よく睡眠をとっても、どんな人でも五十回、三十五回弛緩する。それはどういう方法にしましたかと言うと、活動写真(トーキー)に撮ったんです。部屋を薄暗くして、いろいろやってみたんです。一晩中、動くたびにスイッチが入って写真を撮れる仕掛けです。じっとしている間はトーキーは止まって、写真に現れない。このツマンスキーの使った装置は、この前に持ってきたドイツの『睡眠と夢』という書物でお目に掛けたことがあります。

そこでこの三十五回の動く時間はどうであるか、これを調べますと、就眠後五分間に十七回も動く、つまり就眠直後が一番多い。それから五分以後十分までの間に七回から五回動いています。

それから十分以後十五分の間には四回動いている。それから後は一時間のうちに一回動くんです。一晩の睡眠のうちにはそういう動き方をします。要するに、最初が非常に多く五分間で十七回動く、それから段々に動く回数が少なくなってくるという訳です。そしていちいちの動き方とか、どんな寝相であるとか、それはトーキーですからいろいろと音も入り、寝言も入る、唸るのも入る。なかなか面白いものだと思います。我が西会でも、ひとつ、そういったような実験をしてみたらとは思いますが、何しろ大変なことです。

ドイツのペパードの書いた『睡眠』という1934年版の書物がありまして、これはアメリカに於いてなかなか有名な書物でありますが、この書物にはまた睡眠中に人々の動くことを書いております。これは柔らかい、一番柔らかいベッドに寝た場合と、固いベッドに寝た場合にどういう具合に安眠したかというような実験の結果を、いろいろ比較して載せております。

それによりますと、あんまり柔らかいものはいけない。弛緩状態との関係についても実験をしておりますが、弛緩は固いものが一番よい。弛緩は固いもので完全に現われる。

普通のアメリカ式ベッドに寝た場合に於いて、はじめ二晩は柔らかい方に寝かせて今度はもっと固いベッドに寝かせます。段々固いものに近づけていくという実験であります。

(続く)

本稿は、月刊『西式』第2巻 第2号(昭和13年=1938年4月15日発行)に掲載された、学祖西勝造先生の講義録を再掲載したものです。

                                                                      弛緩について(第4回)

西 勝造

大牟田赤痢事件

今回、大牟田の問題(注①を参照)にいたしましても、亡くなったのが五百名以上いらして、届出者数は一万人以上、しかるに西会の会員は一人も死んでいない。それからまた、ひどくなった人もいない。無論同じ水道の水を飲んでいたんです。

あそこは第一上水道、第二、第三の上水道となっているそうですが、普通は第一、第二の上水道を使っていたのだそうです。最近になって第三の上水道を開きましたが、その第三の上水道の水源地で赤痢になった子供の着物を洗っていたそうです。九月の二十五日か二十六日、正確な日付ははっきりいたしませんが。

一番先に子供が下痢を起こした。それから子供からだんだん大人に及んで、届出を出さなければならないような状態になってきた。西会の会員も同じ水を飲んで、無論下痢をしていますが、会員の方々は「西先生が下痢喜べ」と言われたからという訳で、水を飲んでいたら治ってしまった。下痢を止めた連中は失敗したと、はっきり言っておられます。

しかしなにしろ、全国の衛生の大家が応援に行ったようでありますし、私は医療法についてとやかく申し上げませんが、中庸にも「智者は智とたたかわず」と言ってることは、この際考え合わされます。何もそれは大牟田市の医療に対して、私があれこれ非難する必要はない。しかしながら大牟田の西会員はほとんど罹らない。仮に罹っても二、三日で治ってしまった。非常に我々は幸福だということを言ってるのであります。

そこで我々は、そういう悪いものを摂った時には、必ず水を飲んで瀉(くだ)すということであります。従来は瀉(くだ)すということは恐ろしいことだと考えていたわけですが、ところが瀉(くだ)すということは、むしろ祝杯をあげなければならないことということが、これでお分かりのことと思います。

そこでこの前申し上げました通り、小水が近いという場合、これは小水の中に毒素を含んでいるからで、我々の膀胱というものは、そういう毒素を含んだ尿を溜めておくということが危険ですから、括約筋を開いて捨てさせてくれる。その時我々は、最初これは何か悪いものが入っているのだから、小水が近いんだなと思って、そのまま知らん顔をしてお捨てになる。
捨ててしまうのを我慢する必要はない。病人の尿が増加するということは、何か尿の中に一つの毒素を含んでるためで、この前申し上げました通り、フランスのスーリエの「毒素」(Soulirer ;「Des Toxines」の書物の中にあります。

とにかく、我々が病気するというと、毒素が体内に生成され、そして尿の中に80%も90%も入っているということが書いてあります。これはこの前申し上げました通り、ヴィヴァーの「人の健康」(Weaver :「Human Health」1937) という書物の十五頁に、朝飯を食う人の尿は清潔である、しかし朝飯を食わない人の尿には非常に毒素が余計に入っている。こういうことが書いてありますが、ここに現代医学とよほど私たちの考えが違っている点があります。

尿に毒素が出ているのというのは、朝飯を食わなければ太陽が東天からずっと上りつめるまで、即ち午前中は神経は排泄の方に使われる。つまり、大腸とか小腸とか、あるいは血管とか、全て排泄器官に、午前中は神経が使われていないといかん訳です。
それが朝飯のために、上に神経を使うと下の方が留守になる。つまり午前中というものは、神経の上の方が留守になっている。だからこれは休養した方が良い。
そこへ持ってきて、朝飯を食べるというと、胸椎の三番、四番、五番、六番、七番というような神経を胃とか食道に使ってしまう。従って九番以下はお留守になってしまいます。
朝飯を食う人の尿は清潔で、朝飯を食べない人の尿は濁っている。これは神経が排泄の方に使われないために、毒素を十分に排泄することが出来ないため、組織の中に吸収されるからで、こういう事が文献に記載されている以上、そこを落ちついて研究していただかなければならないと思います。

とにかく、あなた方の体内に毒素があるならば、弛緩を与えなければならない。だからぐったりと水飴を流したように、猫が縁側で寝るように、弛緩できる人は健康なんです。

暗示

 まだ明瞭にはお分かりにならないとは思いますが、話を今少し先へ進めてまいります。暗示(Saggestion)というものがいったいつ行われるか、という事でありますが、これもまたブラウフレ博士の書から引用した方が良いと思います。

博士の著書の五十九頁のところに、『暗示』という項目がありまして、そこに何と書いてあるかと言いますと、

『精神的感覚現象であって、主として治療もしくは教化の目的のために適用せられるものを暗示という。つまり、自己暗示、あるいは直ちに自らを自覚させる状態、睡眠の自解状態のもとに、健全の形態を以ってこれを行うのである。暗示というものには一個の観念が無意識という迂回路を経て、この肉体的あるいは精神的変化を十分発生せしめる・・・・、から、かくしてあたかもすべて自然的に、例えば太陽、光線、空気、水、栄養、温冷、それらが無意識に働くごとく、暗示は無意識的に生命の力、あるいは治療作用として、我々の内面にその作用を生じさせるのである』

それから、この暗示の基本原則というものは五十頁に記述があります。そこでこの暗示ということは、どういう具合に我々に働くかと申しますと、完全に熟睡してしまってはその暗示は与えられませんので、熟睡の時よりも、少し熟睡が覚めかかった時が、よくはいる、つまり弛緩した時が良いということが、その原則の中に示されております。

注:(wikipedia 日本版より転載)

1937年(昭和12年)9月25日の夕方頃から大牟田市内において、多数の人々が高熱や嘔吐、痙攣を起こして次々に倒れる事件が発生。市内の各病院では大勢の患者の対応に追われる一方、翌26日には死亡者が現れ始める。当時の大牟田市の人口が11万人に対し、10月までの患者数は12,332人、死者は712人と、市民の1割以上の人が罹患する大惨事となる。内務省陸軍省福岡県、大牟田市、さらに九州帝国大学(現九州大学)、長崎医科大学(現長崎大学医学部)、熊本医科大学(現熊本大学医学部)など様々な機関による調査の結果、原因は上水道の貯水井戸・第三源井を管理していた番人一家の幼児(赤痢菌の保菌者)のおむつを洗濯した汚水が井戸の破損箇所から浸入したことが原因と断定。当時大牟田市水道課長であった塚本久光は、市長助役とともに引責辞任した。のちに厚生省(現厚生労働省)は、水道汚染による伝染病集団発生の代表例として、世界史上例のない集団赤痢事件としてまとめている。

調査結果に対する疑問

水道課長塚本久光による調査

前記の通り、内務省によって原因が断定された。これに対して水道課長だった塚本久光は当初から「水道汚染説」を批判していたが、死後に水道局内で発見された資料により、以下の多くの疑問が挙げられている。

  • 疫痢(赤痢の一種)の症状に似ているが、疫痢ではない。
  • 大牟田市水道課によって水質調査、細菌培養試験が行なわれたが、赤痢菌を発見できなかった。
  • 事故発生の年のに第三源井は改修され、貯水井戸を経由しない取水路に変更されていた。
  • 第三源井を常用している水道課員とその家族、さらには周辺住民数百人から一人の患者も出ていなかった(水道汚染説の決め手となったのは水源井戸の番人の幼児(当時1歳)のおむつの洗濯とされているが、当の幼児は赤痢ではなく消化不良だった。そのことは担当医の診断書、カルテに記載されている)。
  • 9月21~25日の間に三池港に寄港し給水を受けた9隻の船に塚本が電報を打ち乗組員の状況を確認したところ、全部の船から「異常なし」との返事が届いた。
  • 水道水を飲用した全家庭から患者が発生したわけではなく、三井三池染料工業所周辺の住宅街に患者が集中している。

 事件当日の三井三池染料工業所における爆発事故

また当時の新聞記事や調査において

三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の二度にわたり爆発事故があったこと

  • 二度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
  • 患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
  • 市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること

などが分かっている。

当時の時代背景として、2ヶ月前には盧溝橋事件が勃発して戦下の色が濃くなってきており、事実この工業所では枯葉剤、合成染料など軍需製品の製造を行なっていた。このため、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。

しかし、仮にクシャミ性毒ガスの製造工程で爆発事故があったことが原因としても、住民の便から赤痢菌が検出されており、また調査に参加した各大学が患者の便から検出した赤痢菌がそれぞれ異なった種類であったことが分かっており、疑問が呈されている。

(続く)

 

 

 

 

コメント

*
*
* (公開されません)

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

Comment On Facebook

G-RRXBNEVVBB