生の清水を飲むこと

われわれの肉体は、平均60%の水分を含んでいる。ゆえにわれわれは数十日間日光のない暗闇の中にあっても、なお生命を持続することができ、数カ月間食を断っても、なお生き永らえるが、水分の供給を絶つときは、五日間と生きることは不可能である。すべての生物は、水を離れて生存することは、不自然であり、不可能であるから、われわれとしても、常に努めて適量の生の清水を飲用しなければならない。

古来わが民族は自然に親しみ、いたるところ清れつなる清水に恵まれ、その自由な飲用は、われわれ祖先の健康生活に幸いしていたが、明治時代から誤った衛生思想により、生水は危険なりとしてその飲用を禁じ、いまなおこの飲用を阻止されつつあるのが現状であって、誠に嘆かわしい次第である。これがために、わが国に消化器疾患が多く、幼児の腸炎下痢は世界第一の死亡率を示している。

一旦火にかけた水は、酸素を失い、カルシウムやその他の無機質の溶解がなく、水としても生化学的に変化しているから、生水のかわりにはならない。膀胱カタルや結石症の患者が、生水を絶対に飲まない人に多かったり、疫痢患者が生水の飲用で助かったり、生水を飲み始めてから、体臭がなくなったりすることは、生水と火にかけた水との生化学的に著しい差があることを示す証拠である。われわれは生の清水を飲まなければ、完全なる健康は保てないのである。

飲料としての生水は、清れつなる井戸水を第一とし、水道の水がこれにつぐものである。しかし西医学に徹したうえは、たいていの人の飲む水は飲用してさしつかえないものであって、ただこれになれる間、ときとして下痢をすることもあるが、これは引き続きその生水を飲むことによって克服することができるものである。

このように生水は、われわれの保健上どうしても飲まなければならないものである。

常に清水をチビリチビリ飲んで、一日少なくとも2リットルないし3リットルにおよぶこと。

生水の効用は、多方面であって、いちいち枚挙にいとまがない。ゆえにわれわれは努めて随時随所においてこの飲用を心がけなければならないない。

まず朝起床後洗面の際、少なくともコップ一杯の水を飲用し、午前中も座右に水を置いて飲用する。食事の前後、食事中もさしつかえなく、午後もなるべくチビリチビリ飲用すべきである。その他発汗、下痢、嘔吐などのあったときは、必ずこれを飲まねばならない。

食事中の水の飲用は、胃液をうすめるという人があるが、これは胃の構造とその生理を知らない人の誤りである。

水はどのくらい飲めばよいか?少なくとも尿の色が無色透明になるまで飲まなければならない。

胃もたれ、胸やけなども生水の飲用によって軽快する。飲酒後は飲酒量の三倍の水を飲めばその害を除くことができる。

毒物、食中毒、過食などは、生水の飲用によって、解毒解消し、かの有名なる帝銀事件にて助かった四名は、いちはやく水を飲んだものであったのを見ても、水の解毒作用の顕著なのを知るであろう。

熱性疾患のに対しては、生水を飲用させると同時に、柿の葉の煮汁からビタミンCの補給が必要である。

水はその季節季節の温度で飲むのが正しい飲み方である。したがって、夏季に冷やした水は有害である。健康が増進すると、そのような人工的に冷却した水には、自然味覚を感じないものである。

病人は、一分一グラム主義、三十分三十グラムずつの生の清水の飲用によって著しく回復するであろう。

生の清水の効用を要約すると、

血液の循環、リンパ液の活動、体液の調節、生理的ぶどう糖の生成、細胞の新陳代謝、

毛管作用の促進、内臓の洗浄、酸塩基の平衡。

 

水の飲み方

 

 

(選び方)

水道水を信用しない方は、ペットボトルで購入されるのが容易ですが、本国で生産販売されているペットボトルは加熱殺菌されています。輸入品では加熱されていないものがあります。よく調べたうえでお買い求めください。

 

(飲み方)

1分間1㏄主義ですので、①分おきに1㏄ずつなめていれば理想的なのですが、現実的でないので、30分ごとに30ccでしょうか?こんなのは厳密に計ってもしょうがないので、大体です。30ccでも飲むという感じではなく、なめるという感覚がよいでしょう。

胃腸の弱い人は腹にたまってしまうので多くは飲めません。特に食事の前後一時間は控えます。幽門が閉まるので、腹にたまるのです。空腹な午前中に集中的に飲むようにします。それでも、一日せいぜい1リットルくらいに押さえておきます。