栄養について

 

食物調理の沿革

 

人体は、端的にいうと、食物と水(ここで水というのは生の清水を意味する)と空気とで作り上げられている。正しい食物と、生の清水と、新鮮なる空気を、日常注意して誤りなくとるようにしなければ、健康は保たれない。

食物は、大昔、まだ人間の文化があまり進まなかった時代には、自然のままの食物をとっていたから、栄養上の障害はなかったのであるが、人智の発達から、人間が家に住み、衣服をまとうようになり、集団生活をして勤労に服するようになると、発汗して食塩と水分、ならびにビタミンCを喪失し、心身上いろいろの故障が起こり、特にこれは歯を弱くした。そうすると、いままでのような自然の食物は、硬くてかめなくなる。不完全ながら石器で刃物もできてきたからこれで食物を刻み、硬い部分を除き、口ざわりの悪い皮のところを除くことが行なわれ、ちょうどそのころ火が発明され、火で食物を焼くと柔らかくなることがわかって、ここに食物の調理が始まったのである。かくのごとく調理された食物は、栄養上多くの欠陥を有するから、人間はだんだんに不健康になっていき、自然の食物は食べられなくなり、また、ただ煮たり焼いたりしただけの食物はおいしくないから、これになんとか味を付けようとして食塩の利用となったのである。このようにして、誤った見地から始まり、ついに今日のような各種の料理法へと至ったのである。

もともと人間もやはり自然界の産物である以上、自然界を支配する法則に除外されるわけはない。したがって、人工による食物の調理は、健康上幾多の失点を暴露し、その他の不自然な生活とともに、人間はだんだん虚弱になり、ついには疾病の症状を起こしてきたのである。人間が弱くなったり、病気になったりすると、自然は「食欲不振」という処置で、これをもとの健康に回復しようとするのであるが、人智はそこでも反対に働いて、「食べなければ弱まる」という方向に考えていって、なんとかしてうまく食べようとする。ここに調味ということが始まった。かくして、食物はまた自然からかけ離れていくのである。

このように、自然からかけ離れていった食物で、人間が健康になるわけはない。人間は、調理法が進むにしたがってだんだん不健康となっていき、食欲が不振となるから、いっそう調理に工夫をこらし、今日の各種の高等なる調理法へと至ったのである。そこで、人間の栄養を正常にし再びもとの自然の健康に戻すためには、調理法というものを人間の健康という新しき見地に立って研究しなおさなければならない。

 

 

調理法の研究

 

調理において、いかに人工を加えても、それは要するに人工であって、自然の栄養を生かすことにはならない。たとえば、白米を精白するから、ビタミンAやBがなくなり、ミネラル、脂肪が不足し、米はほとんどでんぷんばかりになる。このために、魚肉や獣肉や動物性脂肪やたんぱくを加えることになる。しかしそれでも現在ビタミンBの不足で脚気症状を現わすのである。また、野菜特に葉菜類は、ビタミンCの給源であるが、これを煮たりゆでたり、いためたり、油で揚げたりすると、せっかくのビタミンCは破壊されるから、これを果物から補給することを考えるようになるのである。

私は、自分の病弱を回復するため、いろいろな方法を研究したのであるが、この食物に関しても研究を進め、多数の先人の研究業績をも参考として、野菜は極力生で食べるのが合理的であると結論したのである。

ドイツのエッピンゲル、ブロウフレ、ベンネル、ホーゲル、フランスではベシヤン、フェリエールらがこれを研究発表しており、また古くは皇漢医学書のなかにも、その効用について記述されている。煮たり焼いたりしたものは、細胞が死滅している。死んだものを食べていたのでは生きた生命ある細胞はできない。もしも、諸君が煮たり焼いたりしたものばかりで、全く生を食べず、生の水を飲まなかったならば、諸君は七年以内に重大なる健康上の欠陥が出てくるであろう。人間が火食するために、天然痘とかましんとかが起こるのである。人間の体を作っている細胞が火食のために不健全になっているから、冒されるのである。私の主張する症状即療法という見地から見てみよう。

人間が火食するために、腎臓の機能が充分に発揮されず、毒素が完全に排除されないから、血液が不浄になり、このような不浄の血液が全身を循環するために細胞も不健康となり、毒素もその間に堆積してしまう。この毒素の堆積量が一定の限界に達すると、細胞が激しく影響を受けるから、その前にこの毒素を排除しなければならない。そこで、急激な悪寒発熱によって血液の循環を促進させ、この毒素を消毒する。しかし、その残がいが腎臓を通ったら、腎臓組織が破壊されるから、これを皮膚から排世しようとするもの、これが天然痘でありましんである。

 

 

生食について

 

このような理由から野菜は極力生で食べることが必要である。ところが煮たものになれている胃腸は、生の野菜をそのまま消化できないから、少なくとも三週間くらいはこれを粉砕してたべなければならない。そうして、胃腸が生食になれた後は細切りから、原形のままかんで食べてきしつかえないのである。病人は、少なくとも四十五日間くらいすりつぶさなければならない。

体質改造、または治病の目的からする生食は、全く火食を廃止して生野菜のみをある期間続けるのであるが、これはなかなか努力を要する。そこで、初めは混食から始める。毎食一皿とか、一小丼の野菜のすりつぶしたものを食べ、だんだんにその量を増していき、なれるにしたがって、一食を生食ですまし、また一日を生食で過ごすなどを試み、このくらいならば三日くらいはやれそうだとなったら、三日を試み、それから一週間とか、十日間を行ない、このようにしてならしておいて、春秋の野菜のもっとも盛富な時期に、まず一カ月半の総生食を実行すべきである。もちろん、急激な治療を要するときなどは、多少無理をしても即座に生食を実行せねばならない。もともと煮たものになれた味覚であるから、初めはまずいのはやむをえない。しかし一週間くらい辛抱すると、だんだんに味が出て、三週間くらいすると生野菜の味をほんとうに味覚するようになるから、その後はさほど案ずるほどのことはない。

 

 

病人に対す生食

 

 

病人に対しては、本人の自覚ももちろん大切であるが、周囲の理解がいっそう大切である。病人で生食でもやろうというような人は、重病の人だから、気が弱くなっている。そして、病気には栄養をとらねばならぬという誤った先入感がある。かつ生食を始めると、だんだんやせていく傾向がある。これは、治るためには必要なことであるが、みかけは衰弱していくように見え、周りはなかなか承知しにくい。ことに見舞にくる人は、何もわかっていないから「マア、大変おやせになりましたね」とか、生食を食べているところを見て、「マア、こんな食事を?これで栄養が充分でしょうか」などと言う。本人は、もともと半信半疑で迷っているところであるから、ついこれが暗示となって結果がおもしろくなくなるのである。

生食はいわゆる起死回生の秘術であるが、それだけに重患に応用するときは注意を要する。本人はもちろんであるが、周囲の理解と激励とがあってはじめて卓効を表わすのである。

それはともかく、生食は生野菜が主であって、魚肉だとか鶏卵などは、私の言う生食には入らない。生野菜は、健康体ならば三種類でよいが、病人はどうしても五種類以上が必要である。各野菜にはおのおのその持ち前があって、効果もあるが、また欠点もある。そこで、種類を多くして、互いの欠点を消してその長所を発揮させるためである。すなわち野菜の種類によっては、交感神経を多く刺激するものもあり、また迷走神経を刺激するものもある。また、交感神経を抑制する種類もあれば、迷走神経を抑制する種類もある。野菜の種類が多くなれば、交感神経を刺激するものと抑制するものとが組み合わされ、また迷走神経を刺激するものと、抑制するものとが組み合わされるから、互いの毒作用が中和されるとになるのである。健康体は、これらの毒作用に対する抵抗力が強いから、三種類くらいでよいが、病人だと抵抗力が弱いから、たくさんの野菜を組み合わせて、この毒作用を極力中和させたものでなければならない。

 

 

生食の量

 

つぎは量であるが、おおむね一日三百匁から三百五十匁(1,100g~1,300g)あればよいのであるが、これはその人の消化吸収の効率によるから、一概にはいえない。しかしどんな場合でも、一日四百匁から五百匁とれば充分である。食事が足りているか、不足しているかは、体重の増減を見ればすぐわかる。もっとも、生食を始めて二、三週間は、いままでの火食の毒素が排治されるので、幾分は減っていくが、その後はだんだん元に回復してこなければならない。それが、だんだんやせていくのは、生野菜の摂取量が足りないことを意味する。そういう場合は、摂取量を増加しなければならない。

もし、野菜が不足しているときなどで、生の玄米を使う場合は、一日量として生の玄米粉一合五勺(生玄米一合で玄米粉一合六勺くらいできる)と生野菜八十匁ないし百二十―匁(300g~450g)あればよろしい。生玄米粉を用いるときは、水分不足で便秘に陥る恐れがあるから、生水を充分に飲まなければならない。

 

 

生食と体温

 

また、生食を始めると体温が下がって、大変寒く感ずる。皮ふの温感器官が、いままでの高い温度になれているから、寒く感ずるだけであって問題はない。多くの場合、いままで体温が三十六度三分くらいの人は三十五度くらいには下がる。しかしどんな場合でも三十四度より下げてはいけない。寒くても、こたつを入れたり、火鉢で室をあまり暖めたりしないようにする。やむをえなければ湯タンポを使うのがよろしい。電気ごたつなどは、使わないほうがよい。また空気の流通を充分につけることが必要である。

 

 

生食の種類

 

野菜三百匁から三百五十匁の栄養価は、従来のキロカロリー説に従うと、5OOから6OOキロカロリー、たんぱく質はどんなに野菜を組み合わせても7.5グラムから12グラムくらいしかならないが、これで完全に健康が保て、労働に服することもできるのである。野菜は、葉と根が必要である。理想としては、半々がよろしいが、たとえば根菜類の大根は、葉を五分の一は入れることが必要であり、ホウレンソウもその根を五分の一くらい入れるとよろしい。サツマイモ、ジャガイモは少しはさしつかえないが、多くないほうがよい。ゴボウは、アクが強すぎるからフキと同じく入れないほうがよい。

生食として適当な野菜は、大根、人参、カブ、白菜、キャベツ、芽キャベツ、チシャ、ホウレンソウ、小松菜、漬菜、タカ菜、壬生菜、フダンソウ、シャクシ菜、ウド、ニラ、ネギ、玉ネギ、里芋、八つ頭、長芋、ツクネ芋、自然薯、レンコン、二十日大根、サラダ菜、芹、セロリ、パセロ、ツル菜、もやし、ピーマン、かぼちゃ、トマト、きゅうり、白瓜、マクワ瓜、京菜、とうがん、ナス等などであり、野草としては、タンポポ、よめな、なずな、はこベ、すべりひゆ、すぎな、つくし、のびるなどもよろしい。

葉は、太陽の光線、根は地球の無機物である。そこで、葉と根とを生で食べることは、天地の恵みで生まれた人間が、天地の産物である天地の乳汁で養われることである。現在の栄養学では、植物性たんぱく質だけではいけない、動物性たんぱく質がぜひ必要だという。しかし、私はこの生野菜のみでさしつかえなく、動物性たんぱく質も脂肪も必要はないというのである。もっとも生食で完全なる効用を収めるためには、西医学健康法で指導する生活を行なうことが必要であって、厚い敷布団に柔らかい枕で寝るとか、厚着をしていたりするのでは、充分には栄養とはならない。

 

 

生食と生化学

 

生野菜は、大部分炭水化物であるが、この炭水化物からたんぱく質が合成される生化学的過程はつぎのようである。

 

 

すなわち炭水化物からメチール・グリオキザールになるということは、いままでに生化学で証明されていることである。メチール・グリオキザールが、一方では酸化されて焦性葡荷酸になるが、これには皮ふ呼吸が充分に行なわれなければならない。それには薄着が必要であり、また裸療法の必要もある。他方にはまたメチール・グリオキザールに水が加わって乳酸ができる。これには生の清水の飲用と皮ふを新鮮な空気にさらすことが必要である。これら二つの物質がアラニン(アミノ酸)になるには、アンモニアが必要である。しかし、発汗したり、下痢したりして、体内から水分が失われた、すなわち特殊脱水の状態では、尿素とアンモニアができず、グアニヂンができるから、この際も生の清水の飲用がなければならない。すなわち

 

 

であって、体内では尿素とアンモニアができるのが正常であるが、それが発汗、嘔吐、下痢などによって、特殊脱水をすると、血液中にグアニヂンという毒物が堆積する。そうすると、アラニン合成用のアンモニアが不足してたんぱく質の原料たるアミノ酸の合成ができない。そこで、水を飲むことが必要となってくる。水さえ飲めば、グアニヂンは再び尿索とアンモニアとに変わるから、このアンモニアは焦性葡萄酸および乳酸に加わってアラニンに変化するのである。

 

 

私の生化学

 

従来の生化学では、たんぱく質から炭水化物は作られ、炭水化物は脂肪となり、脂肪は炭水化物となる。けれども、たんぱく質から脂肪はできない。また脂肪からもたんぱく質はできない。また炭水化物からたんぱく質もできないというのである。

だが私は、上述の生化学の式から、たんぱく質、炭水化物、脂肪のいずれからもたんぱく質、炭水化物、脂肪のいずれもできるというのである。その証拠には、牛が枯草のみを食って、あの豊富なたんぱく質と脂肪を作り、肉食獣が肉のみを食って生存していることをあげれば足りる。昨年(1947年)ノーベル賞を得たコーリー夫妻の研究は、炭水化物からたんぱく質の化成であるが、私はすでに十数年以前にこのことを発表している。その他、炭水化物から脂肪、脂肪から炭水化物、脂肪からたんぱく賀、たんぱく質から脂肪が生成されることを同時に発表しているが、いまはこれを省略する。ともかく、たんぱく質、脂肪、炭水化物は、相互に変換生成ができるのである。このことをよく承知して、安心して生食を実行されたい。

なお純正生食をやるときは、調味料としての食塩は不要である。ただ、特に発汗したときは、食塩の補給が必要となる。ただしこのときは、二、三週間に一日の塩抜きが必要である。

 

 

学界の反響

 

昨年(1947年)から本年初頭にかけて、九大医学部で行なわれた三カ月にわたる純生食の実験において、生後四カ月の乳児を交えて夫妻でやったのであるが、母親の栄養摂取量は一日900~1,000キロカロリーで、乳児への授乳量は600~65Oキロカロリー(乳量にして950~1,000グラム)であったから、母親は350~400Oキロカロリーで三カ月の長期にわたり、完全に健康を維持したことになり、従来いわれている成年女子の所要熱量一日2,100キロカロリーの六分の一ないし五分の一で充分健康に生活し得るということが実証され、栄養学上大きな問題を投げかけている。こんな結果はどうして出てきたのか?これは煮ないために栄養素が破壊されていないから、その量は少なくてすんだのである。生食をすると、細胞に活力が与えられ、血液リンパ液は浄化されるから、細菌が湧かない。したがって、これを殺菌するために体温を上げる必要はない。また、純生食を二週間続けると、寄生虫は皆出ていってしまうから、寄生虫に与える栄養も不用である。生食の栄養は、消化吸収も容易であるから、吸収効率がよく、腎臓の負担も軽減する。他にもいろいろの効能を数えることができるが、要するにこれらが総合されて、普通ならば一日2,500キロカロリーを要するものが、その五分の一の500キロカロリーそこそこで充分に生活できるようになったのある。

生食はどのくらいやればよろしいかというと、一年で最も野菜の豊富な時期をみて、一カ月半を二回やれば理想である。もし一カ月半やれない人は、一カ月でも十日でも、また一週間でもやったほうがよろしい。そして、一旦健康になったならば、その後は一年に一度か二度一週間くらいの短期生食を春秋の時期に一回ずつやれば充分であろう。虚弱な人の体質改善とか、持病治療には、その効果の表われるまで続行することの必要なのはいうまでもない。

生食については、「健康科学」や「西医学」で発表したところを読んでもらいたい。また西会発行の「生食の勧め」も必要なことを網羅しているから、研究していただきたい。

 

 

生食と寄生虫

 

生食について、みなが心配することは、寄生虫とばい菌である。純生食の場合は、便通がよくなるから、寄生虫の育つ時間もなく排泄されるから心配することはない。腸内に古い便が停滞していないと、回虫などは生存ができない。純生食を二週間すると五、六寸の回虫が死んで出てくるのは、その証拠である。また急に腹痛を起こしてきたときなどは、たいていが回虫のためであり、青い野菜を三種類くらいすりつぶして、その絞り汁をさかずき一杯くらい飲んで、金魚運動をやると、十分くらいで治る。

しかし、煮たものとも食べる場合は、寄生虫の恐れがあるから、ときどき駆虫剤を飲むとよい。また熱湯に二分間くらいくぐらせると、寄生虫卵とばい菌とは絶滅できる。このくらいの熱ではビタミンCはわずかしか減らない。

いずれにしても、野菜はよく洗えば、大部分の寄生虫卵と細菌は洗い流されるから、さしつかえない。生野菜の効用は、寄生虫や細菌の問題を考慮しても、はるかに有効だから食べなければならない。

 

 

生食の調製

 

生食は、その調製がなかなか面倒である。しかし、その効果を考えると万難を排して、しなければならない。人にまかせても、なかなか面倒がって作ってもらえない。しかし、自分で作る覚悟をすれば、案外容易にできてしまう。会社勤めの人は、おろし金を持っていって、お昼にすって食べればよろしい。また保温ポットがあれば、朝すってつめておけば、昼までは変性しないから安心である。

要するに、体質を改善し疾病を未然に防止するのだから、多少の不便は忍ばねばならない。古人は「虎穴に入らざれば虎児を得ず」といっている。私の知人で、特に一カ年以上も昼食に生食を携帯している人を知っている。やろうと思えばできないことではない。