人はなぜ病気にかかるのか

「人は病の器」だろうか

自然に生きる動物には病気はない。かりにあったとしてもすぐに治ってしまう。欠陥のあるものは自然淘汰され、生きていくことができないからである。もし病気があったとしても、それは多少とも人工が加えられているものに限ることは、ちょっと観察すればわかるであろう。

なのに人間だけは、なぜに古来「人は病の器」といわれるほどに病気が多いのであるうか?これは誠に不思議な現象といわなければならない。

人はなぜに病気などにかかるのだろうか?これは人世における太古からの疑問でなければならない。この疑問が正しく解答されるならば、必然の結果としてつぎには病気のない世界が到来してくるはずである。そうすると、この「人はなぜに病気などにかかるのだろうか?」という疑問を起こすことこそは、人類から病路を駆逐することができるかどうかの問題を解決する鍵である。

この大切な疑問が、どうしていままで発せられなかったのだろうか?ときには考えられたこともあったのであろう。しかし考えられても、解決されなければ考えないと同様に、何の役にもたたない。そこで、われわれはここに声を大にして、しかも厳粛に、この太古からの疑問

「人はなぜに病気などにかかるのだろうか?」

と自問しなければならない。

 

人間生活と動物生活

人が自然に生息する動物と異なって病気にかかるのは、人と動物との生活の相違にあるはずである。人と動物との生活の差は何か?

①人は直立歩行する。

②人は衣服をまとう。

③人は家に住む。

④人は火食する。

⑤人は文化生活を行なう。

⑥人は社会(国家をも含めて)生活を行なう。

⑦人は生存競争する。

この七項目が動物の生活と異なるものといわねばならぬ。これらをちょっと検討してみよう。

 

①人は直立歩行する。

人類はその進化の途上直立してきたため、脳髄は極度の発達を遂げ、万物の霊長たる位置を獲得したが、その結果として、四足動物に適する梁(はり)として設計せられた脊柱を、柱として使用するようになったために、力学的に不安定となり、椎骨が傾斜したり、中心をはずれたりする。すなわちこれを副脱臼というのであるが、このため椎骨と椎骨との聞から出ている神経血管を圧迫麻痺させ、従ってその末端につながる内臓器官に種々の故障を生ずるのである。

つぎにいままで体重が四肢にかかっていたのが、直立することによって、後肢のみにかかるようになって、足にかかる荷重が倍加し、そのうえ、体の重心が高くなって、足を支点とする力率が大きくなったため、足に故障を生ずるようになってきた。このようにして生じた足の故障は、機械学的、生化学的に影響をきたして、微熱の原因となり、寒気を多く感ずるようになった結果、衣服の必要が起こってきたのである。

足の故障は、直立した体全体のバランスを破って、これに歪みを与えるから、このためにも、脊柱に狂いを生じ、その部分の神経を圧迫して種々の内臓や器官に故障を生ずるようになった。こうして、足の故障は心臓、腎臓、および血管に故障を生ずるのである。

 

②人は衣服をまとう。

足の故障から徴熱を生じ寒気を感ずること、ならびに自然の暴威から身を守ろうとすることによって、人聞が衣類を用うるようになったのである。衣服をまとうとき、必然的に正常の皮ふ機能が阻害せられ、皮ふの酸化作用や同化作用が障害を受け、一酸化炭素の発生を促し、アンモニアの生成が妨げられる。ここにもまた心身にいろいろの故障を生ずる原因がある。

衣服の厚薄は動物の毛皮のようには気候の寒暖に徴妙に調節せられず、かつ勤労などによって発汗することを防ぐことはできない。発汗は水分、塩分、ならびにピタミンCの欠乏をきたす。水分の欠乏は尿毒症の原因となり、塩分の欠乏は、神経炎を起こして足に故障を生じ、また塩分は胃液の原料であるからこれが不足することは消化不良を起こす。またピタミンCの欠乏は壊血病の原因をなし、歯茎の出血、膝蓋骨の傷害、皮ふの皮下出血をなす。これらはいずれも原因となり結果となってあまたの疾病の原因をなすものである。

 

③人は家に住む。

人智の発達は、自然の気候の変化に対し身を守ろうとして、初めは穴居から次第に樹上に住み、家を造り、ついには地上にやや完備した家屋を建てることとなり、これが次第に近代的建築に発達し、その結果として、空気流通の不良、暖房の設備、柔らかい寝床、厚い掛け蒲団、毛織物の厚い衣服、毛皮の利用等々によって、これまた身体に多大の悪影響がおよぼされるのである。

 

④人は火食する。

衣服をまとい、家に住み、発汗してピタミンCを失うとき、歯槽膿漏などの歯の疾患を起こし、歯が弱くなって、もはや自然のままの食物を摂ることができなくなり、なんとかしてこれを柔らかくして食べようとし、たまたま火の発見とともに食物を精製調理する、いわゆる火食の習慣が行なわれるようになった。

食物を火で焼いたり煮たり蒸したりするとき、食物本有の重要な各種栄養素は破壊せられて、栄養上多大の損失を生ずる。調理するために、胃腸の負担は軽減するが、そのため胃腸は弱くなり、特に腸はその負担の軽減と、粗い繊維分の欠乏により、その刺激が減少するから、腸のぜん動が鈍くなって、宿便の停滞となり、便秘の傾向を生ずるであろう。便秘すると糞便の腸内醗酵による毒素は腸麻痺の原因を作り、これまた便秘を助長し、大小腸いずれかの変形異状は膨脹・屈曲・閉塞となり、よって生じた毒素は脳の血管を膨脹麻痺に陥らせ、主として初めは手足の神経におよぼして麻痺れん縮させ、四肢けつ冷症となり、さらに厚着や暖房の欲求となってその故障を助長し、同時に、肝臓や胃腸や肺臓や心臓や腎臓および血管の障害と発展し、血液の浄化ならびにその循環に故障を起こすのである。

 

⑤人は文化生活を行なう。

人類が社会生活をするようになるとき、いろいろの社会的の条件で意志が束縛せられ、また勤労が人間生活の必須の条件となるため、発汗を促し、このためにもまた水分、塩分、ならびにピタミンCの欠乏となり、これまた如上の身体違和の原因となる。生活上の苦悩や、精神上の問題もまた当然肉体に影響をおよぼし、肉体および精神の双方に種々の故障を生じてくるのである。

文化生活は、人の移動、娯楽、社交、音楽、騒音、その他種々の限りなき不自然な生活を強要し、粉じんの中、有毒ガスなどによる汚損した空気中の生活を余儀なくするから、この方面からも人類の健康はおおいに傷害されるのである。

 

⑥人は社会(国家をも含めて)生活を行なう。

人は社会生活を営んでおる関係上寝たい休みたいと思っても出勤したり出席しなければならないし、商売にも出かけなければならないし、旅行もしなければならない。従ってときには無理をして休養のとれない場合もある。そのようなときに何か便利な自然回復法、言い換えれば疲労即治法ともいうべきものがあるべきはずである。それらにもふれてみたいと思うのが本書の目的でもある。

 

⑦人は生存競争する。

また、人には生存競争というものがある。それぞれ能力に応じて、どうしても生活の基準が違ってくる。収入の多寡が、家族の人数や病弱者の有無に関係なく定められるとすると、生活上の程度が自ら異なってくる。そこに精神上の苦悩と肉体上の影響がある。それらの苦難を解脱する方法手段もあるべきはずである。それらの方法を研究し、それを克服する手段をも把握しなければならぬ。

 

 

以上各項目にわたって、人類の生活上その健康に影響するところを述べたが、これらは皆単独に作用するのではなく、これらが総合され、互いに原因となり結果となり相循環して、古来一歩一歩人類を不自然の生活に追い込み、いわゆる悪循環の理法により、遂に現在みるような「人は病の器」というようになったのである。

もちろん人智の発達は、どうにかしてこの人類の宿命的に結びついたようにみえる疾病を、予防ないし治療しようとして、古来あらゆる努力が払われたが、今日まで有効的確なる方法が発見されず、未だ人類生活に正しい指導が行なわれない。こうして人間は依然として、四六時中病魔の包囲攻撃に悩まされ続けているのである。