西式健康法の誕生 ―生い立ち―

私の幼年時代

 

「20歳まで生きられないかもしれない。」

私、西勝造は16歳の時、医者にこう宣告され、現代医学に見放された。私は、この長い療養中、子供心にも現代医学の指導に、疑問を持つようになった。それというのも、私の病気は下痢と風邪とが、交互にほとんど年中絶える間がなく、そのため肉体は極度に衰弱したのであるが、こうやれ、ああやれと医者に言われたことは忠実に実行しても、病状が好転したことがない。好転しないばかりか、かえってだんだん悪いほうに進んでいき、いまは医者から見放されることになったのである。そうすると、現代医学の療養方針というものは、間違っているのではないだろうか?少なくとも、正しいものとはいえない。現代医学の方法では、病勢は食い止められないということは、身をもっていやというほど証明した。そこで、さしあたりいかにすべきであろうか?向こう四年が私の生涯を決すべき大切な年である。

 

 

医者に反対する

 

そこで、私はまず医者の言うことに反対してみることにした。医者の言うとおりにしても良くならないから、まずこれに反対する。ただそれだけの理論である。

慢性下痢。医者は「下痢するときは、水を飲んではいけない。番茶か、湯冷ましでなければならない。」と言う。しかし、水を飲まず、冷ましや、番茶を飲んでも、下痢が治らないのだ。

よし!生水を飲んでみてやれ!!

しかし恐る恐る。たくさんはこわくて飲めない。少し飲んでみた。恐る恐る、チビリチビリ飲んだのが、いまから考えるとよかったのだった。間もなく、腹の気持が軽くなり、しかもいままでかつてない気持で下痢も止まり、正常の排便となった。こうなると、下痢が生水の飲用で止まったことが確認されたから、生水に対する恐怖心というものがなくなった。そうなると、生水の味がだんだんわかってきて、少し飲まずにいるとのどが渇いて水が欲しくなる。こんなときに、番茶や湯冷ましを飲んだのでは渇きは止まらない。第一湯冷ましの味の悪いのがはっきりわかってきた。こうして、生水を飲んでいると、腹の調子はだんだん良くなる。しかし、どうかしてガブ飲みをしたときは、腹がダブダブいって気持が悪く、小便によけいいくようだから、ガブ欽みはよろしくないと思った。水はチビリチビリに限る。この習慣がつくと、体の調子も回復してきて、いままでなにか少し変わったものとか、油濃いものを食べると、すぐ下痢したのが、余り下痢に悩まされることがなくなった。そうなると体がだんだんできてきて、風邪も自然に、引く機会が少なくなった。しかし、たまには引くこともある。

風邪引きはたいていさむけから始まる。従来は悪寒がすると、余計に着込んだり、布団をかぶって寝たものであったが、これも反対にすることにすると、悪寒がするときはかえって着物を脱がねばならない。着物を脱いで震えていると、やがて熱が出てくる。今度は、冷やしてはいけないのだ。布団をかぶって静かにねていると、やがて苦しくなり、これを我慢しているとビッショリ汗をかく。のどが渇くから水を飲む、みかんが食べたい、塩気がほしい。そうすると、いままで引いたが最後なかなか抜けなかった風邪が簡単に治ってしまう。こんな具合に、現代医学と180度展開した私の病気療養の方針は、全くよかった。2、3年するうちに、すっかり体が回復し、心気も断然爽快となった。いつしか、宣告された寿命の20歳も過ぎ、いまは24歳の春を迎えることになった。このときはもうたいていの病気は、この自己流でなんの変哲もなくかたづけられる自信がついてしまった。

 

 

私の追及癖

 

こうなると、私の生来の追及癖はもくもくと頭をもたげ、もしもこの方法が正しいものだとすると――現に自分が健康になったのだから正しいとは思うが――その普遍妥当性が、古来の文献か、または私の新たなる研究によって立証されなければならない。これを立証するには、和漢の医書はもちろん、欧米の医書も研究せねばならない。読むほどに、習うほどに、この私の新たな観点に立った方法は、古来の文献で続々立証された。

このようにして、私の自得した医学は、だんだん科学的に文献的に立証されて行った。一方で私の周囲には幾多の病人があった。医者にかかってもなかなか治らない。治らないばかりでなく、だんだん悪くなっていくものも多い。かくのごとき人々は、さしもの病弱であった私の心身がメキメキと回復して、いまは滅多に病気をしなくなったことをみて、「どうしてそんなに丈夫になったか?」と尋ねる。そうこうして、「自分の病弱をどうしたら治るだろうか?」と相談をかけられることがしばしばであった。そこで私は、いろいろと私のやった方法を説明して、その方法をやってみるように勧めた。そうすると、いつも例外なくいままで困っておった病気が治っていき、それぞれ健康を回復するのであった。こんなことで、だんだんに私の方法が、親戚から友人におよび、次第に私の周囲に広がっていき、私の方法の普遍性は順次立証されていった。

私はこうして次第に健康法とか治療法とかいうものに、著しく興味を感ずるようになり、なんでもよいとうことは、一つ残らずやってみた。このなかで米国シンクレーアの断食療法は、私に無上の興味を喚起せしめ、その本は何百回も読み、また自分で実行してみて、その卓効を体験したのであるが、その方法にはまた欠点もあった。私はそれらの点に気がつき、自分の体験を通して日本人に適する科学的断食法を完成し、これを「西式断食療法」として発表したのである。

 

 

血液循環について

 

私は元来土木工学を修めた者であって、血液循環についてはいろいろ疑問が湧き、いろいろ文献を調べたのであるが、こればかりは、私を満足させる古来の文献が一つもなかった。

私は技術者である。ポンプの構造も作用も心得、ポンプの計算もできる。心臓がポンプならば、これがポンプとして計算できなければならぬ。血液循環の原動力は、心臓のポンプ作用にありとする説には幾多の疑問がある。

これの詳細なる論究は、本書の目的ではないから、ここにはただ数個の反証を挙げておくにとどめよう。

 

①心臓を持たない動物の血液循環はなにによるか。

②血液は腸の毛細管から門静脈に集まって肝臓に入るのであるが、門静脈における血液輸送の原動力はどこに求めるか。

③母体より胎児への血液循環を考えてみるとき、心臓が血液循環の総原動力であると考えるとき、充分にその説明ができない。

④水の4~5倍の粘着力ある血液が、僅かに握拳大の心臓の4分の1である左心室が収縮する力によって、0.013㎜~0.0055mmの直径の毛細管51億本を、11秒時間で押し出すものとは、水力学的に信ぜられない。

 

これを、血液循環の原動力は毛細管にあり、心臓は血液循環を調節するタンク、またはサックであると考えるとき、すべではなんらの矛盾もなく説明できる。通常われわれが心臓が弱っているというのは、細胞が弱って栄養を必要としないから、毛細管が血液を吸引しないのである。毛細管が吸引しないから、心臓の拍動が緩慢になるのは当然である。それをただに心臓を働かせるいわゆる強心剤を用いて心臓の拍動を強うるのは、出口が塞がっているのに、無闇にポンプをつくようなものでそれで心臓が強くなるものではなく、かえって心臓をこわさしてしまう。こんなときは、まず細胞の活力を増す処置を取って、細胞が栄養を必要とするようにし、そうして毛細管が血液を吸引するようになると、心臓はその機能を回復するのである。このことを考えても、いわゆる強心剤なるものが無効有害なることがお分かりになられるであろう。

 

 

 

症状に対する新しい見解

 

心臓に関しては、いまはこれくらいにしておいて、つぎに私の考えたことは、病気というものの本質である。これは先にちょっと述べてあるから、あまり多くは触れないが、病気というものは、生体を助けようとする自然良能の作用であって、けっして大騒ぎすべきものでないということである。すなわち症状即療法の大真理である。これは、古来幾度か唱えられたのであるが、症状の発現によって生体がなにを失うかということが明らかでなかった時代においては、症状は療法であるといっても、生体が症状によって失ったものが補給されないから常にそれで健康が回復されるものではなかったのはやむをえなかったであろう。しかしいまは私の研究によって、症状によって生体が失うものを究明してあるから、これを補給することによって、完全に健康を回復するのである。ここにおいてか、症状即療法と観じ、泰然として、自然良能の発動に感謝しつつ、このために、生体の失うものを補給、補償、補強しておけば、症状は迅速に解消していくのである。

 

 

西医学の完成

 

かくのごとく私の健康法は、24歳から20年の研究によって、だんだんに解明せられ、いまはほとんど完全無失と思考せらるるに至った。しかして、私が44歳のとき、すなわち昭和2年(1927年)これを世に発表したのであった。

初め私はこれに名前は付けなかったのであるが、人が西式健康法と名付けた。私は私の健康法がよって立つ理論が、正三角四面体で表徴できるから、これをテトラパシー(Tetrapathy)と名付けた 。テトラへドロン(Tetrahedron)は正三角四面体であり、パシー(Pathy)は療法ということである。その後、時代の変遷にともない、皇洋医学と名付けたこともあるが、いまは「西式健康法」と称えているのである。その意味は「西が作り出した理論のうえに立つ医学であって人間を健康にする方法」という意味である。