代表ブログ 025 – 近代医学の大罪 「カンフル剤」について

本来は、単行本用に執筆した原稿の一部であったのですが、空前絶後の出版不況だそうで、こういった内容では単行本としての出版は大変難しいのだそうです。
と言ってもむざむざ埋もれさせるのも残念ですから、月刊『西式健康法』誌上やインターネットホームページ上で公開することにした次第です。

西式健康法の創始者西勝造は、「強心剤は殺人剤(罪)」というキャンペーンを張っていました。
血液循環の全体像が分らないまま、とにかく心機能(拍動)さえ強化できれば良い、とする当時の医学常識に強く反論していました。

心臓のポンプとしての出力(仕事量)も知らず、計算をしようともしない、できない当時の医師達が、科学的な検証もまったく行おうとせずに、単なる思いつき、思い込みで、全体的な循環バランスをまったく考えずに、心機能のみを強化しようとして、結果的に多くの人を死に至らしめていたことを、強く批判していたわけです。

カンフル剤が人命を救うすばらしい薬剤という単なる風評に対して、何らの疑問も持たず注射し続け、結果的に多くの人々を殺してきたという事実は、今日では完全に隠蔽された日本医学史上最大の黒歴史です。

カンフル剤はどうなった?

カンフル注射という名前をご存じの方は、まだ多いことと思います。実際に注射された経験があるという方は、もうほとんどいらっしゃらないはずですが、今でも新聞記事などではその言葉をしばしば見かけます。

2010年6月から2011年9月まで、我が国の内閣総理大臣を務めた菅直人元総理の現役総理時代のブログは、「菅直人内閣総理大臣-首相官邸ブログ(KAN-FULLBLOG)」という表題でした。そして、その冒頭部分のキャッチ・コピーは次のとおりです。

『あなたと官邸を、まっすぐつなぐウェブサイト、日本の元気を回復する「カンフル剤」たるべく、カン総理がフル回転。KAN-FULLBLOG(カンフルブログ)は、本人直筆で、動画出演で、更にスタッフ証言等で、立体的に発言しています。』

現在でも、インターネットの検索エンジンで「KAN-FULLBLOG」等で検索すると出てくるはずですので、私がでたらめを言っているのではないことはすぐに確認していただけます。

菅直人元総理は、自民党、社会党、新党さきがけによる連立政権、俗に言う自・社・さ連立政権の末期である1996年1月から11月までの10カ月間、厚生大臣を務めた経歴もお持ちです。

そういった経歴の方が運営しているブログにも書かれていることですから、一般の方々が知らなくても当然といえば当然なのですが、今現在どころか、昭和30年代半ばには注射薬としてのカンフル剤は使用できなくなっています。

カンフルまたはカンファーというのは、クスノキの木部に含まれる油分を蒸留して作った液体から、水分、不純物を除去したあとに残る白い粉末である樟脳のことです。一般的には防虫剤としての用途の方が有名かもしれません。

この樟脳の水溶液が「カンフル注射薬」であって、相当期間「強心剤」として広範に使用されておりましたが、昭和30年代半ば頃と思われるのですが、その頃から注射薬としては使用できなくなっています。

もっと正確に言いますと、昭和26年(1951)に発行した日本薬局方の第6改正には、カンフル系の薬剤としてカンフル、カンフル精、カンフル注射液と三種類の樟脳系薬剤が掲載されていますが、いつから注射薬として使用ができなくなったかということを正確に調べるのは大変困難で、昭和30年代半ばには注射薬として使用することは法律的にもできなくなったということのようです。

日本薬局方とは何なのかというと、日本国で定めた「医薬品に関する品質規格書」ということになるのですが、制度としてはちょっとややこしくて、どんどん新しい薬品が加わっていきますから、使用可能な薬剤がすべて毎回掲載されているわけではありません。

そのカンフル剤が使用されなくなった時期と理由は、隠ぺいされているとしか考えられない状況でして、元厚生大臣も現在ではカンフル注射が使用できなくなっているなどということはまったくご存じなかったし、その頃部下であった関係者の誰ひとりとして、後に総理になった管直人氏に対して、そのことは進言すらしていなかったということになります。

現在の日本語版Wikipedia(インターネット上の百科辞典)においてはカンフルについて次のように解説されています。

『かつては強心剤としても使用されていたため、それらの用途としてはほとんど用いられなくなった現在でも、「駄目になりかけた物事を復活させるために使用される手段」を比喩的に”カンフル剤”と例えて呼ぶことがある。

と記述されていますし、また、あるインターネット上の国語辞典では、カンフル注射という用語の意味として「重病人の心臓のはたらきを強くするために用いるカンフル液の注射」と説明されています。

「樟脳(しょうのう)の医薬名。中枢神経興奮薬。局所刺激作用,防腐作用があり,中枢神経を刺激して,心運動亢進,血圧上昇,呼吸量増大をきたす。興奮剤としてカンフル注射液を用いていたが,作用が不確実なため,現在ではあまり用いられない。」と、記述された辞書もあります。

注射薬としての用途はとっくの昔に外されており、現在では消炎、局所血行改善のための外用薬としてしか使用できないのに、まるで、他により有効な薬剤が開発されたがために自然と用いられなくなったように表現されていたり、未だに用いられているように書かれている辞書もあるというわけです。

国語辞典ですから、薬事行政にまでは調査が及ばないということなのでしょうが。

ビタカンファー

多くの方は、昔使われていたけど最近あまり使われなくなった薬はいくらでもあるだろう、例えば「赤チン」のようにとお考えになる方も多いでしょう。

より良い薬剤が開発されたから「ほとんど用いられなくなった」と、別に公式な説明を受けたわけでもないのに、かってに善意で解釈しているということには気付いていないのです。

ビタカンファーとは何かというと、カンフル液と同様主旨で開発というより、カンフル注射液の重大な問題点を改善する目的で開発された強心作用を期待した医薬品です。

カンフル注射液と同様、いよいよダメかもしれないという状態になると、一応この注射を打って、「それでもだめならあきらめましょう」といったニュアンスで、一時期両剤が併用されていました。

ただ、多くの古参の医師、看護師らは「カンフル注射液」と「ビタカンファー」をまったく区別しておらず、完全に混同しているようです。

それが、一部医療関係者の不勉強によるものであるのか、意図的なものであるかは判断が難しいのですが「ビタカンファー」という単語を調べると、その誤解はある高名な医学史研究家の解説を読んでしまったことも一つの原因であろうということが分かります。

『「日本経済の回復に思い切ったカンフル注射が必要だ」など、誌上でよく見かける「カンフル」(カンファー)とは、もとは樟脳の精製成分からなる注射薬である。
戦前は心臓麻痺の原因である化合物を除去する強心剤と信じられて、末期患者に必ずといっていいほど使われていた。カンフルにビタミンを加えたものを「ビタカンファー」といったが、川端康成の昭和28年の作品『川のある下町の話』の中に、末期に近づいた子供に、医師がペニシリンとビタカンファーを注射する場面がある。まだペニシリンが非常に貴重であった時代、末期の患者にペニシリンとビタカンファーを注射したというのだ。その頃、この2つは特効薬の代名詞であった。
昭和18年の「ビタカンファー」の広告(写真)をみると、ビタカンファーは、東京帝大の田村憲造、朝比奈泰彦、木原玉汝、石館守三のそうそうたる医学博士4人が発見創製した日本製の強心、血管緊張、呼吸中枢興奮、吃逆制止剤とある。
効能は末期患者の諸症状に奏功を来す薬であった。それ以来、医者にとってカンフルは重病や末期の患者に必要な注射薬となり、患者の家族は最後の望みをそれにかけていた。
しかし、昭和30年代になると、カンフルの呼吸中枢刺激作用や、強心剤としての効果が疑問視され、そして医療の現場からカンフル注射は消えていった。だが、長い間、強心剤としてあまりにも有名であったカンフル注射は、いまでも社会や経済界で刺激剤として期待されている。
酒井シズ(順天堂大学名誉教授)
(下線は筆者)

酒井シズ先生は、順天堂大学で医史学を担当する教授を勤めていた方で、もちろん医師であり医学博士です。
医史学とは、普通に言えば「医学史」を研究する分野ということになりますが、その日本医史学会の会長を務めた、その道のナンバーワンといえる方の解説がでたらめであるとは、よもやだれも考えてもみませんから、多くの方々がその裏を取ることもなく引用してしまいます。

ところが、「ビタカンファー」のことをきちんと調べれば、カンフル注射液にビタミンを添加したものなどではない、ということはもちろんのこと、明記こそされていないもののカンフル注射液には元々重大な問題があったことが分かっていたのだということを知ることになります。

このことは、酒井先生の解説の中にも登場する、石館守三先生の文献の中できちんと解説されています。なお、これも酒井先生の解説とは異なるのですが、石館博士は東京大学医学部薬学科卒業の薬剤師であり薬学博士です。

その石館先生の文献の中、日本薬学会会報月刊『ファルマシア』1979年(昭和54年)9月号にご本人が次の題名で寄稿しておられます。

『「ひゃくねん」樟脳を与えた犬の尿から強心剤-ビタカンファー発見の経緯-』という題名で、当時の肩書は日本薬剤師会会長でした。
その中から一部を抜粋引用させていただきます。

①「樟脳(d-camphor)に果して強心作用があるかどうか」の論議は私が大学を卒業した(大正14年)頃の日本薬理学会の大きな課題であった。何となれば樟脳は当時カンフル注射として救急用としてまた諸種急性疾患の心臓脈管興奮剤として広く使われていたものであったが、それにも拘らず実験薬理学的には証明が困難であったからであった。

②もともと歴史的には樟脳は東洋の特産で漢方でも樟木を燻煙して使い、起死回生の功があるとされ、これが欧州に渡り、主にドイツにおいてカンフル・オレーフ油注射として臨床に利用された。しかし臨床的にはある時には確認されながらも、その作用は不定で、ある時は無効または却って有害であるとの報告もあった。(中略)

第一次世界大戦後は欧州では使用されなくなったが、日本ではなお救急用に不可欠の薬物として使用が継続されていた。(筆者注;第一次世界大戦は、大正3年~大正7年、1914~1918)

③この特異な酵素様作用が強心と中枢興奮作用にどのように関与するかは興味ある問題であったが追及せずに終わった。(中略)

初めに記したようにこの研究は樟脳の強心作用の学理を探求することを目標にしたが計らずも臨床に役立ち、生命の延長に貢献し得る薬剤を提供し得たことは研究者として冥加に尽きる思いである。それだけで無く樟脳化学に新領域を開拓するに貢献し得た。

等とつづられています。これ等の記述の問題点を先に述べさせていただきますと、①実験的にはまったく効果が確認できず、②ドイツでは無効であるどころか有害性についても言及され、その結果として実際に使用されなくなったにもかかわらず、何とか良いところを探そうとしたものの、③結局、主作用については何等の確証も得られなかった。

しかしそれでも、臨床に役立ち生命の延長に貢献し得ると思い込んでしまった、ということになります。

それにしても、後にビタカンファーとして発売されることになった薬品の開発の動機が明確にはされておらず、石館文献には「東京大学医学部の田村憲造教授らがこの問題に取り組んでいた」となっているものの、その内容は『樟脳が心臓並びに呼吸に興奮的に作用するには一定の時間を要すること、そして樟脳は直接的には麻痺作用のみを現わすが、数分間の時間を経て初めて興奮作用が見られ、その後は持続する』という田村教授の実験報告から、『樟脳自身は心臓(又は中枢)に麻痺作用のみだが、体内で変化された生成物の中に興奮作用を担うものがあるのだろう』という仮説を立て、消去法で樟脳の有効成分を特定し合成法に取り組んできた、というものです。

つまり、樟脳には相当な毒性があることは分かっているが、「有効であってくれなくては困る」というのが開発の強い動機であったということです。

ご本人の思い込み、感慨はともかくとして、実際の臨床面における評価はどうであったかと言いますと、いくつかの臨床家の正直な感想として公開されている文章をご紹介します。なお、ビタカンファーが製造販売されるようになったのは昭和7年(1932)とのことです。

注射禍-必要のない治療による薬害
カンフル注射とペニシリン

カンフル注射液は、かつて強心薬としてひん死の状態の患者にもちいられた。すばらしい効果があると思い込まれ、起死回生の妙薬としてもてはやされた。日常会話でも、またマスコミでも、絶望状態になったものをふたたび盛り返すという意味に使われたりする。
カンフル注射が登場したのは、1930年代。カンフルが世に認められた理由は単純である。薬理学の大家が効くと称揚したのだ。しかしこの薬は日本独自のもので、強心作用はまったくみられないという記載が、1970年代のイギリスの資料に残っている。また、アメリカのある製薬企業の薬品集には、中枢神経興奮薬として載っている。
現在、注射薬は健康保険の適用から削除されたが、カンフルの外用薬は鎮痒薬、鎮痛薬、消炎薬として収載されている。このように、薬効がなく削除されてもよい薬はほかにもかなりある。
一方、ペニシリンは抗生物質の第一号として有名である。しかしそのすばらしい薬効のゆえ、濫用され、注射後にペニシリンショックが多発した。死にいたる場合さえあったため、近年使用頻度が下がった。
カンフル注射液は、人々に何の貢献もなく健康保険の適用から消えたが、起死回生の雅号が残った。ペニシリンは、人々の役に立ったにもかかわらず、ペニシリンショックという汚名が残った。
(『漢方読みの漢方知らず』‐西洋医が見た中国の伝統薬‐吉田荘七氏著;㈱化学同人、平成19年(2007)5月初版発行)

この文の中では、カンフル注射液とビタカンファーの区別がなされておらず、正確な批判であるとは言えません。1930年代に登場したのは「ビタカンファー」であって、カンフル注射薬はそれよりもかなり以前から使用されていたものです。

次にご紹介するのは「近畿麻酔医界」という近畿麻酔科医会から発行されている季刊の機関誌と思われますが、平成5年(1993)10月発行号に掲載されている文をご紹介します。
全体的には非常に専門的な内容ですから、カンフルに関係する部分だけ抜粋して引用させていただきます。なお、その内容は昭和30年代当時のことを振り返って論述されたものです。

『脊椎麻酔下帝王切開可否論争』-その麻酔科学史的回顧―

(前略)そこでシンポジウムが開かれた。帝切に麻酔は危険だから反対の立場をとる人たちは、三井厚生年金病院岩田直道部長以下13人であった。そこへ安井博士ただ一人気を吐いた。反対論者たちの論点であるが、唯一人として脊麻レベルが上にあがった際の呼吸、換気不全や交感神経遮断による血圧降下・循環障害に付いて言及していなかった。
反対者はフグの話をもち出した。「食べたら美味いが危険かもしれないフグを好きになれるか、私は嫌いだ」と云う。これは科学的な論争とは云えない。感情論である。先に述べたように昇圧剤の使い方もよく弁(わきま)えてはいなかった。ビタカンファーがよいと信じて使っていた人たちが未だに多数を占めていた時代であった。
(元京都府立医科大学助教授、藤田ペインクリニック院長医学博士藤田俊夫氏)

次はインターネットブログからご紹介しますが、ブログ名は「Dr.松本の医学落穂拾い」というもので、その平成20年(2008)年11月24日号です。

「しゃっくりの止め方」
(前略)薬物療法;民間医療と医師による注射療法があります。昔からセンブリとか柿のへたを煎じて飲むとその苦みでよく止まりました。難治性の場合は病的なしゃっくりも含めて注射が必要になります。注射はビタカンファーがよく使われました。若い医師はビタカンファーを御存じないと思いますが、興奮剤で昔は心不全に使いましたが効果があった記憶がありません。開発した大先生が亡くなってからは誰も心臓病には使いません。しかし、しゃっくりを止める効果はあるようです。

ブロガーのプロフィールが出ていないのですが、他のインターネットブログから、Dr.松本とは元東京厚生年金病院内科部長の松本進作氏のことと思われます。

その他にも、ビタカンファーを含むカンフル剤の効果とは、注射時のあまりの痛みに死にそうな人も思わず生き返る、といった完全に揶揄する文章もありました。

カンフル注射とビタカンファー

石館守三先生は、ハンセン病の特効薬を開発した大変な功績があり、また、ご本人が大変熱心なクリスチャンで高潔な人物でもあったということで、ビタカンファーの批判を公然と行うことは雰囲気的に大変難しかったようです。

石館先生ご自身も、ビタカンファーの有効性については誰も直接批判をしてくれないものですから、どうも亡くなるまで、『まったく効かない』という問題点については、まったく気づいておられなかったように思われます。

ですから、日本薬学界の百年を振り返ってのご自身の最大の功績は、ハンセン病特効薬「プロミン」を開発した実績ではなく、問題のあったカンフル注射の毒性を除去しただけの「ビタカンファー」を開発したことが自身の最大の功績であると信じておられたようです。

ところが、もうお分かりのこととは思いますが、「ビタカンファー」はカンフル剤の毒性を除くことには成功したのかもしれませんが、結果として毒にも薬にもならない医薬品でしかなかったということは明らかです。

毒にも薬にもならない医薬品であるということは、すでに昭和30年代にははっきりしており、相当数の医師が指摘、承知していたわけですが、諸般の事情からその後なお50年近く製造され、使用され続けてきたということになります。

「ビタカンファー」はもともと武田長兵衛商店(当時;現武田薬品工業)が当初から開発に関与し製造もしておりましたが、平成17年(2005)3月31日に医薬品としての製造を終了するに当たってその届け出を行ったのは、つまり製造を停止した時点での製造会社は「三菱ウエルファーマ」となっています。

武田がいつビタカンファーの製造権を三菱ウエルファーマに譲渡あるいは売却したのかは不明ですが、複数社が合併してできた三菱ウエルファーマには、例のミドリ十字も吸収合併されているということは単なる因縁話なのか、それとも何か裏があるのか実に興味深いところです。

このことも、厚生省は医薬品の製造販売中止品目によって公表しているのですが、多くの文献では「それらの用途としてはほとんど用いられなくなった」であるとか、「医療の現場から消えて行った」といったように非常に曖昧な表現がなされています。

いまだに比喩表現として多用されるカンフルについて、医学史の専門家が公然とでたらめを流布したり、日本語版ウィキペディアの「石館守三」のページからはご本人の意図とは異なって「ビタカンファー」に関する記述が一切省かれているなど、不自然なことが多々あり、これは何か、カンフル問題を隠ぺいしようという意図でもあるのではないかと私は疑っている訳です。

カンフルの正体

樟脳の水溶液を筋肉注射あるいは心臓に直接注射すると、強心剤として死にそうな人を生き返らせる作用があるということを、誰がいつ頃どのような経緯で提唱したのか、実際に使用が始まったのかということは分かりません。

ビタカンファーを開発しようとした時点からは、色々な形で記録が出てくるのですが、その元であるカンフル注射液、つまり本来のカンフル剤ですが、それについては分からないのです。

たぶん、今日では真相を知っている人は本当に誰もいないし、文献もまったく存在しないか、国会図書館に所蔵されているとしても、どの本に記載されえているのかを調べるのは非常に困難であるかと思われます。

一つ可能性があるのは、今となってはほとんど知っている人もいないかと思いますが、樟脳はかつて専売品であり、昭和37年(1962)まで日本専売公社が独占的に販売していまして、いつから専売品になったかというと明治36年(1903)のことです。

当時は大蔵省樟脳事務局が担当していましたが、この時期は日本が台湾を併合した8年後のことです。

台湾で相当量が生産された樟脳、プラスティックが発明される以前はセルロイドの原料であるとか防虫、防腐剤として莫大な利益を生む一大利権事業であったわけで(であるからこそ政府が専売品にしたわけです)、たぶんその一環として強心剤としても使えるという、かなり根拠の薄い乱暴な主張に対してもブレーキをかけにくかった雰囲気があったものと推察されます。

ところが、第1次世界大戦前にドイツは日本の樟脳利権屋にそそのかされた結果であるかどうかは分かりませんが、一時は採用したものの、実際に第1次大戦で重症の負傷者にカンフル剤(ドイツが用いたのは「カンフルオリーブ油注射液」)を使って、その結果多くの被害者が出たからこそ、その後まったく使わなくなったと考えるしかありません。

そして、日本にも当然その情報はフィードバックされていたはずですが、国策で行っている事業として大勢の日本人、日露戦争が明治37年(1904)~38年のことですから、日露戦争で負傷した多数の将兵にも、当然のように使用したものと思われます。

その時はカンフル注射によって、実際はかなり多くの負傷兵を殺してしまった、という認識はなかったかとは思いますが、第1次大戦後のドイツからの報告によって認識せざるを得なくなっていたことは間違いないでしょう。

なお、ビタカンファーの開発を提案した、やはり東京大学医学部薬学科の田村憲造教授は大正9年(1920)から翌年にかけてイギリスをはじめ欧米5か国を歴訪しており、カンフル注射液に対する生の声もたくさん聞かされてきたものと思われ、それも呼び掛けの動機になったと考えられます。

日本でビタカンファーの研究開発が実際に始まったのは昭和2年(1927)とされていまして、発売が前述のとおり昭和7年とのことですから、推測が多過ぎることは重々承知していますが時系列的には矛盾はないものと思います。

さてそこで、天皇陛下の赤子である皇軍将兵を利権がらみの金もうけのために大量に殺してしまった、ということだけは何が何でも否定し続けるしかありませんから、ビタカンファー開発後もカンフル注射液も並行して販売は続けられまし。

さらには、明治天皇崩御直前には、崩御の前日からカンフル注射、生理食塩水の注射を行った、という公式記録が残っておりますから、カンフル注射薬の毒性を認めてしまえば、明治天皇を死に至らしめたのはカンフル注射ということになってしまい、冗談抜きで切腹をしなければならない人間が数十人は出てしまいます。

そういったような事情もあり、ビタカンファーもほとんど毒性はないかもしれないけれども、万一カンフル注射液の販売を中止したら、なぜ?という質問を浴びせられるのが明らかだったからこそ、知らん顔をして作り続けるしか、販売し続けるしかなかったということなのでしょう。

結局は学会と役所と利権政治家、利権がらみの政商の都合だけで100年かけて抹殺された歴史が、強心剤としてのカンフルの歴史であって、そこには国民の福祉も健康もまったく不在であるということです。

それでも、ある時期までは正面からカンフル問題を声高に批判することは相当難しかったものと思われます。

西式健康法創始者である祖父西勝造も「強心剤は殺人剤(罪)」というキャンペーンを張ってはいましたが、文献に具体的に記した強心剤は「ジキタリス等の強心剤」としており「カンフル」という具体的な表現はまったく使っておりません。

たぶん、戦前から終戦後一時期にかけては「カンフル注射を打って患者を殺している」といったようなことを公言すると、本当に自身の生命が危うくなると心配していたようです。

なお、幸運なことに終戦後間もないころの西式健康法講習会を受講した方から、そのあたりのことを聞かせていただくことができたのですが、当時はだれも録音機など持っておりませんから、証拠の残らない講義の中では「カンフル剤」と明言していたとのことです。

このようにしてカンフル剤の犯罪性を隠ぺいしてきた医学、薬学、製薬会社、厚生省の仲良しコンビが、薬害エイズ事件など隠ぺいするのは造作もないこととタカをくくって、隠ぺいしようとしたということも、彼等にとってはごくごく自然なことであっと思われます。