代表ブログ 015 – 時代背景

西式健康法創始者西勝造先生(昭和34年=1959年没)による医学、健康法に関する研究は、昭和20年代半ばくらいまでは行われておりましたが、その主要部分をまとめ上げ、一応の完成に至ったのは昭和10年前後のことであったと思われます。
昭和20年代後半から昭和30年代に入りますと、啓蒙普及活動が中心になってしまった感があります。

その頃にも新たな著作物は相当数発行されてはいるのですが、内容的には戦前の印刷物を再編集した書籍であったり、講演、講義録を書物としてまとめたものがほとんどです。
現在であれば、すべての著作物はデータとして保管されているのが当たり前であって、一度絶版になってしまった書籍であっても、データさえ保管してあればいつでも再版が可能です。

内容の大幅な改定、追加原稿があろうとも、コンピュータ編集ソフト、製版ソフト等のおかげで、たいして費用もかけずに再版できてしまいます。
一方で、昭和の時代、わずか30~40年程度昔であっても印刷方法は「活版印刷」という技術で行われるのが普通でした。

活版印刷

今の若い方々にとっては想像もつかない技術であろうかと思われますが、まず「活字」という、鉛を主原料にスズ、アンチモンを加えた合金製で、すべての文字を反転した状態で盛り上げて描いた四角形のものを、原稿にしたがって木枠に並べていきます。
ずらっと隙間なくその活字を並べる必要がありますから、通常の印鑑の形状を正方形にして、印鑑の縁取りを取ってしまったものをイメージしてください。

木枠のサイズには、それぞれB5版用であるとかA6版用であるとかのサイズがあって、それに「植字工」という職人さんが原稿用紙を片手に、原稿どおりに活字を並べていくのです。

明朝体、ゴシック体等々、書体、文字サイズに合わせてそれぞれ、すべての種類の活字を複数用意してありますから(例えば「は」であるとか「。」などであれば数百個~千個単位のはずです)、活字自体は当然使いまわしで磨耗して使えなくなるまで、何度も再利用します。

活字を組み終えたら、紙に仮刷りをしたものを著者等に届けて校正してもらい、校正が済んだら、著者の指示通りに並べ替えるわけですが、実際には木枠に並べた活字を入れ替えるわけですから、これはものすごく大変な作業になります。

冒頭部分に、「さて」という文言を追加しただけで、一度並べ終えた数万本の活字をすべて二文字ずつ送って並べ替えなければなりませんから、膨大な手間隙がかかります。

ですから、校正の段階で表現の仕方を変更したり、文字の追加があると、印刷作業自体が大幅に遅れてしまいますし、印刷会社も膨大なコスト増になってしまいます。

そういうわけで、その時代に著述を行うものは、活字の並べ替えの手間が最低限で済むように文章を訂正、追補、削除するのがプロの著述家としての腕であり、また初稿の段階から、練りに練った原稿を印刷会社に渡すのがプロの著述家としてのマナーであったわけです。

例えば、追加した文字分と同じ文字数を、そのできるだけ直後の文章の表現を変えるなどして減らして調整します。
活字の並べ替えは数行だけで完結するようにして、そのあとの膨大なページ数については、組み換えをしなくて済むように文章を訂正するというテクニックです。

現在のわれわれは、数十年前の著述者、作家の皆様と比較してどれだけ恵まれていることか、直しは校正段階でやれば良いからとりあえず入稿だけしておくか、といったやり方でもほとんど文句を言われることがないだけでも、とてもありがたく楽をさせてもらっていることになります。

そういうわけですから、当時の校正の主たる目的は植字工の誤りを訂正することでした。数千~数万文字もの活字を枠に入れていく作業ですから、時には似ているけどうっかり別な活字を入れてしまったり、上下逆さまに入れてしまうこともあります。これを「誤植」と言います。
また、あまり同じ文字を多用する原稿内容だと、もともと印刷工場に備えてあった活字そのものが足りなくなってしまうこともあります。
そういった時には、とりあえず適当な活字を入れておくのですが、間違って組んだのではなくて、活字不足でとりあえず使った活字ですよ、ということが校正者にも一目で分るように、活字を裏表反対に入れておきます。

活字の文字のない側は、下駄の歯のように「ニ」のような形状(活字を鋳造する時の工程上の理由と思われます)になっていますから、意味なく「二」になっているところも正しい文字に校正指示をしなければなりません。印刷会社では不足した活字は構成中に新たに作っておいてくれます。

校正が終わって活字の組み直しも終わり、著者サイドから「校了」というゴーサインが出ますと、次は活字を組んだ木枠の上に、柔らかい厚手の紙を敷いて、圧力を加え、厚紙で型を取り(紙型)、その紙型に鉛合金を流し込んで刷版(さっぱん)を作成します。

刷版とは、輪転機に直接巻きつけて印刷を行うための印刷型版のことで、通常の書籍サイズであれば16ページ分(その後の製本作業の段取りを考えて、その16ページは配置されるので、印刷上がり状態での1~16ページとはまったく異なるページ配置)が刷版では1枚になります。

再販のために、この刷版をそのまま保存しておくということになると、重量は重いし、材料代は高価、輪転機から外したときに絶対に歪まないように、といっても困難ですから、この刷版は予定枚数の印刷が終われば、溶解して次の別の刷版用にと、これもまた何度も何度も再利用します。

そういった工程で印刷物は作られていましたので、当時の印刷会社で働く人々にとっては鉛中毒等が深刻な問題であったとのことです。

さて、では再版のときはどうするか?またイチから活字の組み直しでは、コストがかかって再版のメリットも何もあったものではありませんから、先ほどの紙型をうひとつ作っておいて、それを再版用に保管しておくということも印刷会社の役割でした。

ですから、その当時は、第5刷りとか、10刷りとか再販を重ねるごとに(紙型は、1回再版するごとにコピーのコピーになるので劣化していきます)不鮮明になっていったものです。

そういった事情でしたから、昭和20年以前に発行され、印刷された著作物の紙型の多くは、太平洋戦争の空襲で焼失してしまったと思われるのです。

新たに活字を組みなおす手間が新刊書と同じであるなら、著者が修正したいと考えていた部分や追加説明をしたかった内容についても十分に反映させ、新刊本として出し直したほうがずっと良いと考えたのは当然のことでした。

時代によって表現のし方は変わる

長々と「印刷の歴史」を解説してしまいましたが、もちろんそういったことを解説したかったわけではありませんで、時代背景、その時代によって表現の仕方も、主要ポイントも変わってくることがある、ということ理解していただくために、長々と解説したわけです。

例えば、温冷浴を実行する際、今日の住宅事情では新規に浴槽を増設するということはほぼ不可能といって良いですから、一般的には浴槽に湯を張り、シャワーで冷水をかけるという実行法が一般的でしょう。

なぜなら、西式の本では、「水槽の準備のない場合は、水道のホースで足先から段々上の方へと水をかけてもよく、また、洗い桶で足からかけても良い」と書かれているからです。

しかし、流れる水の体感温度はかなり低くなりますから、冬期はこの方法での実行は極めて困難です。逆に、夏場はこの体感温度のおかげで、原水温がそこそこ高くても効果が得られることになります。

つまり、こういった表現がなされていた理由は、当時はお湯が出るシャワー設備が付いた浴室がある家庭などあるわけもない、に決まっていたからです。

風呂場を増改築して冷水槽を置くほうが、自在に温度調整が可能で、ボイラーマン不要、メンテナンスフリーといった湯沸し装置を設置するより、はるかに安価で現実的だったからです。

今日では、追い炊き機能が備わった風呂設備の方が普通でしょうから、冬期であれば浴槽に水を張り、好みの温度に加温して冷浴を実施し、十分な湯量の温水シャワーで温浴代わりとする方がずっと楽に実行できます。

ただし、温冷浴を実行したいと思っている方が、家庭内一の権力者である必要はありますが…。

また、西式の文献中で「およそ1分」であるとか「1分程度」等の表現も出てきますが、これもきっかり1分という指示であるとは考えないでください。

当時、昭和一桁時代は、家庭に備えられた時計は柱時計であって、俗に紳士と呼ばれていたような方々は秒針つきの懐中時計を所持していた可能性も高いのですが、一般人で秒針つきの懐中時計や腕時計を持っていた人は、ほとんどいなかったのではないかと思われます。

職務上、軍人や鉄道員は所持していたかと思われますが、女性や一般の労働者はまず持っていなかったのではないかと考えられます。

そういう時代ですから、「柱時計を見ながらのおよそ1分程度」という意味であって、秒まできっちり計れるからといって、ちょうど1分にしなければいけないということではないということを理解してください。

とくに、背腹運動の準備運動は「おおよそ1分程度」とか「約1分」といったように表現されていますが、これはそこそこのペースで実行しなさい、遅すぎると効果がありませんよ、ということを表現するための解説であって、「1分で終わらせろ」、「1分以内で終えろ」という意味には解釈しないでください。そのペースでの実行は早すぎます。

しっかりと、メリハリがある動作の中ですばやく行う、ということを心がけて実行なされば十分です。

きちんと計測すれば、かなり手早く終えたつもりでも65~66秒は程度はかかっているはずです。

温冷浴もきちんと1分を計る必要もないのですが、これはまた別な機会に解説します。